僕は残念ながら、「自称広末涼子」というニュース報道のくだりの際は、勤務中だったため居合わせられなかったのだけど、それを抜きにしてもやっぱりおもしろいと思う。思えばこういうスカッと笑える芸能ゴシップ、かなり久しぶりなんじゃないか。こうして今回のニュースを目の当たりにしたことで、中居正広の話って、さすがにぜんぜん笑えなかったんだな、と気づかされた。
伝えられている奇行のひとつ、「広末でーす」と通りすがりの人に突然声をかけたといわれている場所は、浜松のサービスエリアであるようで、たしか去年の夏にわが家も寄ったし、また横浜に車で行くのだとしたら、今度も立ち寄る可能性は十分にあり、その際はぜひ「広末でーす」の吹き出しを持って記念撮影したいものだな、などと思う。あるいはサービスエリア側が用意してくれないだろうか。
ところで先日ファルマンの誕生日の祝いをした際、ケーキにロウソクを立てたのだけど、42という数字はチョコプレートにチョコペンで記したので、ロウソクはなんか波状にくねくねした長細いものにしたのである。それを扱う際に僕は、「ジュンさんが1本1本くねくね曲げてくれたんだから大事にしなきゃな……」と、『この世のロウソクはすべてキャンドル・ジュンが手掛けていると信じ込んでいる人』というボケをして、ファルマンに失笑されたのだけど、本当にもう、キャンドル・ジュンのことだけで十分ありがたかったのに、さらに今回のことがあって、広末涼子というのは本当に尊い存在だな、としみじみと感じた。思わず音楽配信サービスで広末涼子のプレイリストをダウンロードし、通勤中に聴いてしまうほどだ。その際ランダムで再生していたら、「ヨリミチ」という曲が掛かったので、浜松サービスエリアに寄り道して運転を交代しなければこんなことにはならなかったろうになあ……、などと思ったり、歌詞をとても噛み締めながら聴いている。こんなことをしているときが人生でいちばん愉しい。生きている意味があるな、と思う。
このまま順当にいけば、年末のヌーボ的な企画のゲストは、去年のフワちゃんの流れそのままに、ほぼ決まりだな、と思う。なんかサンデージャポンみたいになってきたな。
子どもがテレビを使ったあと、入力2のままスイッチを切るのが嫌である。テレビの状態に戻してから切りなさいよ、と思う。思うし、言いもする。しかしあまり守られない。
わが家のテレビは、入力1がビデオ、入力2がインターネットの映像サービスおよびゲームとなっていて、なので子どもたちは圧倒的に入力2ばかりを使うのである。でもテレビなんだから、本分はテレビなんだから、次に点けた人が、なにも出力されていない真っ黒の入力2の画面に対峙するはめになるのは、なんか間違っているだろう、と思う。
思っていた。だから確信を持って、正義の名の下に、子どもたちに向かって注意をしていた。しかし最近になって、なんかこの図式って、絵に描いたようないわゆる老害なのではないか、という疑念が生じてきて、注意の声も勢いを減じてきている(それにしても子どもたちはこちらの注意に対して一切の服従をしないことである)。
僕の中に確固としてある、テレビは地上波放送を受信して映す機械であるというイメージ、これがもう子どもの世代にはぜんぜん共通していない。僕自身はもちろん、入力1のビデオを観たあとも、必ずテレビのモードにしてから電源を切るのだけど、そのあと子どもがテレビを点けたら、それはもう一瞬で入力2に切り替えるのである。「いまなんかおもしろいのやってるかな」とか、「今晩どんな番組があるのかな」などと考え、ザッピングすることはもちろん、テレビ欄を確認したりするという発想は一切ないようである。
老いては子に従えではないけれど、今後ますますこの流れは加速し、われわれはどんどん端に追いやられる。テレビのスイッチを切るときはモードをテレビにして消しなさいなどという注意は、実用性ではなく、もはやおじいちゃんは作法的な観念で言ってんのかな、というふうに取られるようになり、やがてはひいじいさんのおまじないや迷信(あるいは妄言)みたいになるのかもしれない。切ない。「夜明け前」読もうかな。
これから男陣営からはブーイングを受けるであろう、機密事項をリークします。
女性と違い、男は小便のあと、拭かないじゃないですか。それは性器の構造的に水はけ? 水切り? がよいので、拭かなくても問題ないとされているからだけど、たしかに女性のそれほどの必須性はないかもしれないが、でもぜんぜん大丈夫かと言えば、実はそんなことない。ないよ。俺だけじゃないよ。絶対みんなそうだよ。液体の注ぎ口が、液体を注いだあと、拭かずにいて湿り気を帯びないなんてこと、理屈としてあるわけないだろ。放出後、しばらく振って、中のものをしっかり出し切るというのとは、これは別の話で、そうしたあとでも、とにかく先端から液体が出ているわけだから、その部分は濡れているに決まっている。
それで僕はなにが言いたいのかと言えば、今後は男も小便のあとペーパーで拭きましょうよ、ということを提案したいわけではなく、じゃあなんなのかと言えば、実は特に理由はない。とにかく性器の話をしたかっただけかもしれない。ピュアだな。