2026年1月2日金曜日

 

「hophophop」は「OREGAYO」に収束しました。

2025年12月31日水曜日

義弟の誘い・松江・スクラブ・そして大切な読者のみなさまへのお知らせ


 年末年始ということで、もちろん兵庫の次女一家が帰省してきている。
 わが家も一家で顔を出したところ、夫の姿がない。次女に訊ねたら、「向こうの父親や弟とサウナに行った」とのことで、今年もまたやられた、と思った。そういうことをするときは僕にもひと声かけてくれって言ったじゃん! お義兄さんカンカンだったよ、って伝えといてよ! と次女に言づけた(実際に伝えたかどうかは知らない)。言づけてから、毎年忸怩たる思いを抱くだけで、実際には「そういうとき俺も誘ってくれよ」と直接伝えているわけではないかもしれない、すっかり伝えた気持ちになっていたが、心の中で思っているだけで口には出していないかもしれない、とも思ったが、まあ別にどっちでもいいのだ。横で話を聞いていたファルマンは、「あなた本当に誘ってもらったってどうせ行かないでしょ」と窘めてきた。それはまあ、たしかに行かないだろう。次女の夫ひとりでも一緒に行かないものを、次女の夫の父と弟らとご一緒するはずがない。ご一緒するはずがないのだが、世の中にはご一緒するはずがないサウナしかないのだが、それでもお伺いだけ立ててほしいのだ。お伺い立てられたガーリーなのだ。そんな早口言葉みたいな言葉を作らなくても、要するに構ってちゃんなのだけども。

 冬休みのちょっとしたレジャーというわけでもないが、先日松江に行ってきた。26日で今年の最終放送だった「ばけばけ」は、ラストシーン、夕焼けの宍道湖のほとりでトキとヘブンの心が結ばれるという感動の締め方で、その前から松江行きは予定していたのだが、これは宍道湖をきちんと巡礼しなければならんということになり、行きだけ高速道路ではなく地道で行った。もっとも宍道湖というのは大きく、あのラストシーンがどこで撮影されたのか(そもそも本当に宍道湖なのか)はよく分からないので、数年前にカヌー体験をした道の駅に立ち寄り、そこから宍道湖を眺めることにした。そうしたら、思った以上に本物に近い風景が広がっていて、夫婦ともどもだいぶ満足した。そしてなにより驚いたのは、それくらいいい感じの宍道湖フォトスポットに、あの感動的な放送回から2日後の日曜日だというのに、われわれ以外まったく人がいなかったということだ。午前中だったからだろうか。夕方だったらさすがに人がいただろうか。もしも本当にここで撮影がなされたのだとしたら、撮影時、人払いの必要がまったくなくてやりやすかっただろうなあと思った。そして松江ではカラコロ工房にも行って、「ばけばけ」展を観てきたのだった。すっかり嵌まっている。ご当地の朝ドラがきちんとおもしろくて嬉しい。

 作る水着がハーフバック気味になったことで、尻の見栄えを気にするようになり、筋トレも積極的に行なっているが、同時に美容面としてボディスクラブを購入し、せっせと皮膚を磨いている。最初にやったとき、それまで自分の肌がザラザラしているという自覚もなかったが、手なのか尻なのか、あるいは両方なのか、スクラブを流したあとのトゥルントゥルン具合に衝撃を受けた。42歳男性でこんなにトゥルントゥルンな尻たぶがあるかよ、と思った。それ以降、定期的にスクラブによるマッサージを行なっているが、感動は少ない。もう常態としてだいぶトゥルントゥルンしているというか、ザラザラの蓄積がないのだ。それはいいことなのだけど、同時に少し切ない。もうたぶん僕はこの人生で、何十年もスクラブをしなかったザラザラを磨いてトゥルントゥルンにしたときの、あのギャップを味わうことはできないのだ。それは仲間にしたばかりのレベルの低いキャラクターが、はぐれメタルのような経験値の高い敵を倒したあと、テレテテッテテッテーが何度も鳴り響くときの、あの爽快感に似ている。でもいちどそれをやったあとは、もうはぐれメタルを倒してもひとつくらいしかレベルアップしなくなる。そんなことを思いながら、日々せっせと地道なレベル上げをしている。

 そしてこのブログの仕組みを根底から覆す4つ目の話題として、このブログを読んでくれている人に報告がある。
 2018年から始まった「hophophop」、突然だが、今回が最終回である。7年間、35歳から42歳まで、パピロウのそこまで長々と語るわけではない話題を綴るために存在していたブログだったが、このたびその役割を終え、幕を閉じる運びとなった。ブログというのは、あるとき明確にその役割を終えるのだ。ブログって、そうなのだ。ブログってほら、例のあれと例のあれを、繰り返すものですからね。次の展開をお愉しみに!

2025年12月21日日曜日

不服・不毛・不慮

 裸で寝ることを、ファルマンがいまだに許容しない。許容しないと言っても、僕が裸で寝るのを禁ずる権限をファルマンが持っているわけではないので、ただ「信じらんない、やめてよ」とひたすら言い募るだけである。そんな暮しを、もう3年とか4年とかしている。当初は、「はじめはそんなことを言っていた妻でしたが今では私以上に……」のパターンだろう、その丁寧な前フリなのだろうと思っていたが、どうやらファルマンという人は本当に、裸で寝ることを是とはしない人のようだと、近ごろでは達観した僕である。ならばファルマン側も僕の所業について達観すればいいものを、布団に入ろうとするなりやおら裸になる僕を見て、いつまでも初々しい反応で、「信じらんない、やめてよ」と唱え続けるのだった。ちょっと僕の乳首とか性器について、過剰な反応をし過ぎなのではなかろうか(いや分かるけども!)。
 日々よほど忌々しく思っているのか、僕に体の不調が訪れると、そのすべてを裸で寝ているせいにする傾向がある。「少し洟が出る」「裸で寝るからだ!」、「なんかここが痒い」「裸で寝るからだ!」というふうに。それはまるで、なんの科学的根拠もない村の因習を頑なに守ろうとする老人のようだと思う。寝るときゴムで腰を締め付けるって、本当に因習以外の何物でもないだろ、と強く思う。

 今年の春、Netflixで「白い巨塔」を観たとき、「不毛地帯」も配信されたらいいのになー、ということを書いたが、このたびめでたく配信が開始されたのだった。それで愉しく観ている。放送当時の視聴者もそうだっただろうが、意気揚々と観はじめた第1話がひたすら、だいぶテンションの下がるシベリア抑留時代の話で、それが2時間あるので、なかなかハードだった。いまは主人公はもう商社に勤め、戦闘機のことであれやこれやしている。こちらはこちらで緊迫感があるのだが、そんな中で唐突に井之頭五郎が出てきたので気が抜けた。もちろん井之頭五郎ではないのだが、スーツを着た松重豊は、それはもう井之頭五郎なのである。戦闘機の契約のことで防衛庁を相手に暗躍する井之頭五郎。お腹は減っていないのか、減っていないのだとしたらなにを食べたのか、そんなことばかりが気になる。

 触れたら負けだと思いつつも、さすがに、ということであえて触れる。
 毎年恒例、今年の漢字が、「熊」だった。
 この企画の、一切の忖度のない、操作のない、絶対的な多数決によって選ぶ姿勢は、ここまで来れば逆にすばらしい気もしてくるけれど、しかしそれにしたって「熊」である。それはないだろう、と言いたくもなる。
 じゃあ「熊」じゃなくて何ならいいのか、と問われると、それはどうしたって「熊」からわずか180票差で2位だったという「米」とか、あるいは3位の「高」とか、まあそこらへんなら無難ということになるのかもしれないが、しかしこうして書いていて感じるのは、「米」や「高」だったら何だってんだ、ということで、これがこの企画の「触れたら負けさ」だとしみじみ思うが、そもそもが漢字1字では、1年間を表すことなど不可能なのだ。それを言ったらおしまいなのだが、実際そうなのだ。根本的な企画が無茶なのに、選出形式も無茶だから、もはやパンクの領域だ。そしてパンクの領域なのだとしたら、「熊」というのも案外ふさわしいもののようにも思えてくる。すごい力業。清水寺を使うあたりに、権威を利用してやろうというしたたかさも垣間見え、実は流行語大賞などよりもよほど強靭にできているのかもしれない、とも思う。他人の感情を気にしない剛腕ほど強いものはない。

2025年12月12日金曜日

歴史・徴兵・カラオケ


 おらが県が舞台の朝ドラ「ばけばけ」を、引き続き愉しく観ている。もちろん朝の放送を録画したものを夜に観るスタイルなのだが、先日リビングに現れたポルガがテレビを観て、「これって何年前くらいの話?」と訊ねてきたので、そんなことはきちんと考えたことがなかったが、なんとなく「たぶん100年前くらいじゃないかな」と答えたところ、「そんなはずはない。日露戦争の前なんだとしたらもっと前だ」と、知識に裏打ちされた反論をしてきたので、少しつらい気持ちになった。しかしよく考えみたら、今年は「昭和100年」ということをNHKなどは盛んに言っていたわけで、たしかにだとすれば明治時代が舞台の話が100年前のはずはないのだ。ちなみにラフカディオ・ハーンが小泉セツと結婚したのは明治24年、1891のことで、130年以上も前のこととなる。
 でも僕の中で、明治=だいたい100年前というのは固定観念となっていて、その要因はたぶん夏目漱石(1867~1916)あたりにあるのだが、しかし高校生から大学生くらいにかけて夏目漱石に触れて醸成されたその固定観念というのは、実はもう四半世紀モノであり、若造である自分の人生など、文明という長い歴史の中では、点のようなものに過ぎないという気持ちがどうやら僕にはあったようなのだけれど、実はもう決してそんなことはなくて、戦後というのもいつまでも50年の印象があるのに対し、実際はもう80年だったりして、どうやら気づけば自分の人生というのは、それなりに歴史的なものになりつつあるようだ、ということを、娘とのやりとりをきっかけに思い知らされたのだった。

 ドイツで兵役制度に関する法案が可決され、18歳になった男子は全員、兵役の適性検査を受けさせられ、いざというときは徴兵もあり得るらしい。
 そのニュースを目にして、そら見たことか、と思った。僕は子どもの頃から戦争が、そして徴兵が、本当に恐怖だったので、体育の授業を決してがんばらなかった。年度始めの体力測定も、ぜんぜん本気を出さなかった。健常な若人であることが国にバレたら、有事の際に優先的に兵隊にさせられるだろうと考えていたからだ。当時のアルバムを見ると、徒競走で僕は、ひとりだけすごくヘラヘラ笑いながら走っていた。運動能力はもとより、精神性もまた、見るからに兵隊に向いてなさそうで、作戦は成功していると言えた。幸い、20代30代の頃にそういうことは起らず、もうぼちぼち逃げ切ったと認識してもいいのではないかとも思うが、コロナ禍がそうであったように、世の中のうねりというものは急で強力なので、なにがどうなるか分からない。
 それにしても、ドイツのその、18歳になっての検査というのは、どうやって検査するのだろう。ただの授業の一環としての体力測定だよ、というカムフラージュもなく(僕は聡いので見破っていたが)、兵役のための適性検査と銘打ってやるのだ。そんなの、いったい誰が本気を出すというのか。牛歩レースのようになるのではないかと思うのだけど。

 家族でカラオケに行く。カラオケに行った話はこれまで「おこめとおふろ」に書いていたが、カラオケのこと以外に書くこともないので、こちらに唄ったものを書き留めることにする。ちなみに今回、追悼歌唱はない。追悼歌唱のないカラオケもこの世にはあるのだということを、みんなもそろそろ知ったほうがいいと思う。
 唄ったのは順番に、「それもいいね」(Wakeys、こっちのけんと)、「最上級にかわいいの!」(超ときめき♡宣伝部)、「ドスコイ! ケンキョにダイタン」(こぶしファクトリー)、「手紙 ~拝啓十五の君へ~」(アンジェラ・アキ)、「ウォーアイニー」(水曜日のカンパネラ)、「エルフ」(Ado)、「愛♡スクリ~ム」(AiScReam)、「イケナイ太陽」(ORANGE RANGE)、「倍倍FIGHT!」(CANDY TUNE)、「ジャンボリミッキー!」(東京ディズニーランド)、「すてきなホリデイ」(竹内まりや)、「クリスマスイブ」(山下達郎)というラインナップ。
 「エルフ」は、Adoにしては唄いやすい気がして唄った。気持ちよかった。「愛♡スクリ~ム」は、途中までファルマンがなんの歌かぜんぜん気づいてくれず、「ルビィちゃん なにが好き?」の所が思いっきりスルーされ、切なかった。「イケナイ太陽」は令和ver.のMVがあったのでそっちにしたら愉しかった。俺の精子。「倍倍FIGHT!」は前回も唄ったが、愉しかったので今回も唄った。前回よりも確実に上手になっている自分がいて嬉しかった。「ジャンボリミッキー!」は、わが家がカラオケに行ったこの週末に、義母と三女がディズニーランドに遊びに行くということをしていたので、それにちなんで唄った。数あるディズニーソングの中で、セレクトするのがこれなのか。
 ところで去年、年末に親族カラオケというものを開催したが、今年は果たしてどうなるのか。なにぶん去年、最後に「さよならの向う側」を唄ってマイクを置いてしまったからなあ。でもできることならやりたいな。百恵のように潔く引退というのはなかなか難しいようである。

2025年11月29日土曜日

年間行事・地毛金髪・回送中

 今年も年間行事を無事にこなすことができた。言わずもがな、「cozy ripple名言・流行語大賞」と、「パピロウヌーボ」である。ほっとした。
 またなんと言っても出来がよかった。毎年、本当に誰からも褒めてもらえないので、どうしたって自分で言うはめになるが、すばらしい仕上がりだった。パピロウヌーボのゲストが広末というのは、半年くらい前から心に決めていたのだけど、それ以外は行き当たりばったりで、毎年選考に難儀する大賞のプレゼンターを、本文内でも記したが、ファルマンの進言によりクマにしたことで、そこから一気に話が動き出したと思う。クマから鳥羽シェフ、そして「森のくまさん」からキャンドル・ジュンのあの謎のピアスへと話が展開するさまは、われながら見事というほかない。あと松尾のこととYOSHIKIのことも、今年の芸能ニュースとしてどうしても触れたいと思っていたので、そこも叶ってよかった。特にYOSHIKIは秀逸だったと思う。ChatGPTのおかげで、こういう歌詞ボケがとても簡単にできるようになったのは非常にありがたい。もっともファルマンとピイガが遊んでいるのを眺めると、それはChatGPTではなく他のアプリなのかもしれないが、ただ歌詞を作るだけではなく、それを曲にして、さらにはボーカロイド的でさえない、本物の人間が唄っている感じで唄ってくれまでするようなのだが、今回はそこまではしなかった。「音楽でボケる」というのは、これまで音楽の素養がなければぜんぜん成り立たないものだったが、その敷居がだいぶ下がったものだと思う。
 今年はとにかくChatGPTが幅を利かせた年で、ChatGPTがその場で発表し、同時に今年の大賞を受賞した「それ言うと人生しんどくなるやつだよ」も、実にいいのだった。この日以来、僕とファルマンの間で、本当に流行語になっている。
 という感じで、去年の僕もふたつのイベントの自画自賛をしばらくしたのち、「これでやっとおもひでぶぉろろぉぉんに戻れるよ」と書いていた。今年の僕も同じ気持ちだが、去年のこの時点で、読み返し作業は2008年の9月という進度だったそうで、現時点のそれが2009年の5月であることを考えると、おやおや? となる。去年の僕は厚かましいことに、おもひでぶぉろろぉぉんのことを「ライフワーク」などとほざいているが、1年後の僕は、決してそんなことは言わない。おもひでぶぉろろぉぉんは、数多くある趣味のうちのひとつでしかなく、そして最近は確実に当初よりも勢いが落ちている。それを認められるようになった成長を、手放しで褒めてやりたい。僕はもしかしたら、僕を影ながら応援する、紫のバラの人なのではないか。そのくらい、徹頭徹尾、僕ばかりが僕を褒める。ああ、会いたい、会って感謝を伝えたい、紫のバラの人……。

 髪の色を元に戻した。元に戻すとはどういう意味かと言えば、強いブリーチを施した金髪になったということである。これが元。黒髪で過したこの1ヶ月半くらいが異常事態だったのだ。その証拠に、黒髪にしたときは職場の人々から「黒くしたんだ」「黒いね」などと反応されたが、今回の金髪は完全にスルーされた。もはやそうなのだ。もう完全に金髪の人なのだ。
 ちなみにだが、1ヶ月半ほどの間を置いたとはいえ、黒髪戻しで染めた髪にブリーチをしたためか、そこまで激しい脱色にはならなかった。8割の人は金髪と言い、2割の人は茶髪と言うのではないか、というくらいの色合い。でも当初の予定では、激しい金髪にしたあと、ミルクティベージュみたいなまろやかなカラーを入れようと思っていたのが、結果的にそれに近いものに1回でたどり着けたのではないかな、と思っている。ならば得をした。お金と、労力と、そしてなにより毛根へのダメージを、得した。まあ、そもそも黒髪が大損だったけどな、なんてことは言うもんじゃないよ。

 道を走っているバスの、おでこの位置にある表示板に、「回送中」とあり、その上に小さい文字で「お急ぎの所、申し訳ありません」と付してあった。かつてはただ「回送中」だったのが、阿呆な輩のクレームによってそんな文言を足したに違いなかった。そんな心の狭い、同じコミュニティに絶対に存在していてほしくない人種が、残念ながら存在しているのだという事実を厳然と突きつける、その丁重すぎる文面には、心が満たされるどころか、クサクサするばかりで、あなた方がただの「回送中」に対して抱く怒り以上の憤りを、「お急ぎの所、申し訳ありません 回送中」に俺は抱くよ、と思う。もっともだからと言って、バスの運営会社に対し、そんな情けない屈服をするんじゃない、などとクレームをつけるつもりはない。あちら陣営と異なり、こちらの心は広いのである。ただこの話には、あと1ヶ所だけ、どうしても気になる部分があって、それは「お急ぎの所」の「所」だ。この場合はひらがなの「ところ」だろ、と見るたびに思い、指の先に棘が刺さっているような気持ちになる。もちろん実際に訴えはしない。バス会社を責めるのは筋違いだ。「回送中」で済まさなかった人たちがすべて悪い。怒りは他者にぶつけるものではない。ブログに書くものだ。

2025年11月9日日曜日

精タイム・クマ・流行語


 先日、男性器を硬くする方法についてネットで検索していたら(別にさしあたって困っているわけではなく、純粋な興味や、飽くなき向上心によるものである)、当たり前なのだけど、結局は生活習慣という答えで、その生活習慣とはどんなものかと言えば、適度な運動をして、ストレスを溜めず、栄養バランスのいい食事を摂り、そして質のいい睡眠をしっかり取ることだそうで、それはもちろんそうなのだろうが、でもそんなのもう男性器への作用に限った話ではなく、健康寿命そのものの話だろう、とも思った。
 そして、それらの項目を高いクオリティで実現できていそうな人物として、真っ先に大谷翔平のことが浮かんだ。サイズ自体は持って生まれたものなのでどうしようもないが、硬さに関しては生活習慣に拠るところが大きいのだとすれば、よかったじゃないか、翔平はたぶんだいぶ硬い。「なんだかんだで大事なのは硬さ」ということが、女子界隈ではまことしやかに囁かれるという。だから翔平はサイズのことには拘泥せず、そのストイックな生活習慣の賜物である、日々の努力の結果としての硬さを誇ればいいんと思う。
 願わくは、この記事が翔平の目に届きますように。
 僕は数年前から、大谷翔平の男性器が小さいという前提で万事を考えることで、大谷と同時代を生きる同性である自分を肯定している。みんなも一緒にやるといいよ。

 クマのニュースが本当に毎日伝えられている。これまでに較べての、急な露出の増加に、クマ界の首長が交代したのかな、などと思う。なんか他業界とかでキャリアを積んだ、めっちゃ辣腕のクマがトップに就いたことで、クマ全体の士気が上がり、それでこんなに活動を激しくしてるのかな、と。そんなふうに思うくらい、異様に日本各地でクマが躍動している。これまでとは一頭一頭の意識が違う。
 ちなみにおらが島根県では、南部の中国山地のほうは当然として、西部の目撃情報も多いようだが、東部ではさすがに話を聞かない。話を聞かないが、ニュースに出てくる地元住民はよく「まさかこんな市街地で」と言うので、分かったもんじゃないな、とも思う。
 先週、次女一家が兵庫に戻る際、みんなで出発を見送ったのだが、そのとき3歳の姪がお気に入りのクマのぬいぐるみを見失い、少し「クマは?」「えっ、クマどこ?」「ほら、クマ」「ああ、クマだよ、クマ」みたいなやりとりが大人たちで繰り広げられたので、僕はすかさず「みんなあんまり外でクマって言わないほうがいいよ! 近所の人が誤解するかもしれないだろ!」と一同に注意を促した。クマのことに過敏になりすぎている人という、とても不謹慎なギャグ。ゾンビ映画とかで最初に殺されるタイプ。そしてクマの出てき方、若干ゾンビ味もあるな、とも思う。

 ユーキャンの流行語大賞の候補語が発表された。
 われらがco大(言わずもがな、cozy ripple名言・流行語大賞のことである)の向こうを張るあちらの賞に、毎年エールを送るような気持ちでノミネート語についてやいのやいの言ってきたが、今年はあまりそんな気持ちにならない。うんざりしている。
 ノミネート語についてやいのやいの言うという行為そのもの、そしてその中で必ず出てくる「流行語って言いつつ俺は聞いたことねーよ」「〇〇が入ってないなんてマジ忖度だよ」「やくみつるがうぜーよ」「流行語大賞そのものがもうオワコンだよ」などのフレーズに、もう飽き飽きしてしまった。もう誰も、なにも言わなくていい。言ってもいいけど、聞かさなくていい。完全に飽きた。今年も反射のように意見を述べている人は、気付いていないのだ。もう触れたら負けなのだ。「今年の漢字」は10年くらい前から既にそうなっている。流行語大賞もぼちぼちその気配が見えてきた。別に「終われ」と言っているわけではない。主催者はずっとやればいいと思う。その内容について第三者がツッコんだら負けだということだ。
 ちなみにそれはco大の境地だとも言える。co大ほど第三者が関わらずに成立している賞は他にない。あちらの賞も、やっとその段階に来たということだと思う。

2025年10月25日土曜日

泳いで帰る・おか・悪ガキ


 近ごろLINE通話の接続が悪く、ファルマンに「これから帰る」の連絡を入れようとしても、ぜんぜん繋がらないということがままある。でもそれならそれで、不在着信にはなっているだろうし(それさえなっていない場合もあるが)、なにより30分あまりで家に帰り着くのだから、別にいいか、となる。ただしプールに寄って帰る場合は、晩ごはんの関係上、やはりそれはきちんと伝えるべきだろうという考えがこちらにはあり(ファルマン側が気にしているかどうかは知らない)、メッセージを送ることになる。文面は決まっている。
「泳いで帰ります」
 送信しながら、これだと職場から家まで海峡を横断して帰るかのようだな、といつも思う。わが家が湖の中の浮島に建っていれば本当にそんなことも可能なのにな、などと夢想したりもする。そのように、言い回しが微妙だし、なにより毎回打つのも面倒なので、こんなときこそスタンプという機能の出番だろう、と思った。
 というわけで少しLINEスタンプの販売ページを覗いたが、あまりよさそうなものは見つけられなかった。たぶん検索スキルが低いんだろうという自覚はある。クソみたいなつまらないものばかりが出てきて辟易した。スタンプは基本的に使わないのだ。これに関して、主義とかスタンスとか、かっこいいことを言うつもりは一切ない。ただ文面でのコミュニケーションにおいて、スタンプというものがうまく脳に組み込めていないだけである。明治の世でもちょんまげを結い続けているのだ。
 しかしそんな僕が唯一持っている、わざわざ買ったスタンプがあり、それは岡山時代、タブレットを買ってLINEを始めた直後くらいに手に入れた「耳をすませば」のもので、結局ぜんぜん使っていないのだけど、40個あるこれのうちのひとつを、夫婦間の符丁として「泳いで帰ります」の意味にすればいいのだと気づいた。さてどれにしよう。迷うな。当たり前だが、ぜんぜんプールを連想させるものがないな。聖司が「オレと結婚してくれないか」と言っているスタンプや、杉村が「お前が好きなんだ!」と言っているスタンプとかだと、そればかりが並んだ場合、悪質なストーカーみたいになってしまうので、いっそ含意がないのがいい気がする。雫が鍋焼きうどんを食べているスタンプがあるので、これにしようかな。「飯を喰って帰る」みたいな意味に取られたら困るけど、飯を喰って帰ったりしないからな。
 
 われわれ夫婦はそれぞれの自己主張から、子どもたちからそれぞれ「おかあさん」「パパ」と、統一感のない呼び方をされていたのだけど、最近になって少し変化があった。と言っても、統一がなされたわけではない。そうではなく、ファルマンの「おかあさん」について、子ども(発端はピイガらしい)が、「なんでこんなもんにさん付けせなあかんねん」と考えたらしく、あるときから「おかあ」になった。ポルガもそれに引っ張られ「おかあ」になっていたのだが、こいつは言葉を短く言い放つ癖があるので、その「おかあ」がやがて「おか」になった。そうして今はふたりともファルマンのことを「おか」と呼んでいる。この「おか」は、「おかあさん」の一部だった時代とはイントネーションも変わっていて、地形の「丘」ではない、みつ子のほうの「丘」の言い方だ。丘みつ子の所属事務所の社長なんかは、たぶん丘みつ子のことをこう呼んだのだろう、という感じで「おか」と呼ぶ。かつて儒教の精神が根付いていた頃は、「さん」どころか、「おっかさま」や「おとっつぁま」などと、「さま」の対象でさえあったというのに。もっともファルマンのキャラクターに因る部分もあるけれど。

 先日、ピイガの秋の服を買いに子ども服の店に行ったところ、なんとなく眺めていた少年向けの売り場でいい感じのラグランのロンTを見つけ、160というサイズがあったので、じゃあ着れんじゃん、と思って自分用に購入した。すごく安かった。靴下もそうだが、成人男性用として店舗で売られているものは、地味なつまらない色合いのものばかりで、ずっと憤懣やるかたなく思っていたのだが、そうか、子ども服のデカいやつを買えばいいのか、という42歳の秋の発見だった。帰宅後、早速着てみたところ、サイズは若干小さい感じもあったが、そこまで問題はなかった。ただ、やはり鏡に映った姿にはどうしても違和感があった。子ども服特有の、大胆な配色の無邪気なデザインはすごくいいのだが、認めたくないことに、それを着ている僕が、どうしたって大の大人なのだった。この違和感、前にどこかで味わったことがあるなと考えて、悪ガキが女性教諭とかにイタズラをするタイプのAVの男優のそれだ、と思い至った。あの、子どもっぽい服を着て、キャップを後ろ前に被るという記号だけで小学生男子ということにしただけのおっさんが、若い女優にイタズラをしていき、最終的にはぜんぜん大人の性器でセックスするという、そういうタイプのAV。あれだ。これはあれだよ、とファルマンに向かって話したら、「なんであなた、そんなこと知ってるの?」と糾弾され、「観てるの?」と問われたのだけど、別に観てはいない。観てはいないけど、男性として生きていたら、観ていないAVの情報だって、ニュートリノのように全身を常に貫いているから自然と知り得ているものなんじゃないの、って僕は思うんだ。へへっ!(人差し指で鼻をこする)