2020年4月30日木曜日

肌着・DAIGO・パン祭り

 Tシャツの季節がやってきた。去年の夏の終わり(といっても10月になんなんとしていた)、あんなにうんざりしたTシャツが、半年置けばこうも喜ばしい。もうネルシャツもカーディガンも着たくない。Tシャツばかりをひたすら着たい。
 しかも今年は、いい体になった&オリジナルデザインTシャツがある、というふたつの要素まで加わっているので、ますますTシャツライフに胸が躍る。先日ファルマンが衣替えをやってくれたのだが、見てみたら自分の保持しているTシャツの多さに驚いた。ひと夏、毎日ちがうTシャツで生きていけるんじゃないか、というくらいある。いつの間にこんなことになっていたのか。
 しかしTシャツの充実に対して、Tシャツの下に着る肌着のことがいつまでも解決しない。基本的にタンクトップを着ているのだが、白いTシャツだとタンクトップが透けて不格好だ。それとTシャツを最近タイト気味にしているので、肌着も体にピタッとしたものにしたいのだが、そうすると丈も短くなって、裾がボトムスから出てしまう、という問題もある。これを解決するためには、昔の女の子が着ていたような、ちょっとしたワンピースくらいの丈があるキャミソールみたいな、あんな肌着が必要なのではないかと思い、ファルマンに「あれはなんていうんだろう?」と訊ねたら、「たぶんシュミーズだけど、えっ、なにシュミーズ着んの?」と警戒された。シュミーズ着ねえよ。大胸筋鍛えてシュミーズ着てたら、そんなのもう絵に描いたような変態じゃないか。

 小さいと不評の官製マスク(「アベノマスク」という言い回しは、はじめに聞いたとき、上手いと感心したが、しかし誰かが発案したジョークであって、正式名称ではないし、みんなでそのジョークを繰り返すのもどうかと思う)だが、このたび家に届いたというDAIGOが、「俺にはジャストサイズ」とSNSに投稿し、その素敵な振る舞いに賞賛が集まっているという。たしかに素敵だ。外出自粛のストレスや政策への不満もあって、人々はついマスクのことを攻撃してしまいがちだが、DAIGOはその状況を逆手に取った。「みんな、文句言うなよ! せっかくもらったんだから受け入れようぜ!」じゃ誰も耳を傾けない。みんな小さいっていうけど、俺にはちょうどいいサイズだったぜ、ということで、もう誰も小ささのことをいえなくなった。だってそれはつまり自分の顔がでかいことを喧伝することに他ならないからだ。素晴らしいな。とんちだ。
 この話で思い出したのは、前にも書いたが、ショッピングサイトの、ペニストレーニングの器具とか、コンドームとか、あるいは水着とか下着とか、そういう商品の購入者レビューには、必ず「俺にはちょっとフロント部分の設計が小さすぎた」という内容がある、という例の話だ。世の中に絶対はあまりないが、これは絶対にある。男性器をはめる系の商品には、絶対に「俺には小さすぎ」といっているレビューが存在する。疑うなら試しに見てみたらいい。
 それが今回のDAIGOのマスクに関するコメントとどう関連するのか、といわれると、まあ連想したというだけで、そう関連しているわけではない。ちなみに炎上商法で知られる加藤紗里は、各家庭に2枚ずつ配布されるこのマスクを、「ナイトブラにした」といって実際に乳房に装着した写真を公開したらしい。この話もまた、関連する、ようで関連しない、ようで関連する、ような感じだ。それでもちんこと乳房なので、ちょっと近づいた感はある。ちなみにその写真は見ても仕方ないのでもちろん見ていないが、たぶん装着した様は、いわゆる眼帯ビキニのような感じになるんだろうと思う(眼帯ビキニっていわれても一般の人は画が浮かばない気もするが)。そこまで考えてさらに連想するのは、ちょっと前に僕がTwitterで詠んだ短歌、「昨今のマスク不足にグラドルがビキニの寄付を申し出るなり」だ。予言だったのかもしれない。

 4月30日ということで、ヤマザキ春のパン祭りが終わる。世の中ではほとんどの春祭りが中止だったが、この祭りだけは今年も無事に開催された。ここ数年、わが家でも毎年何枚か皿を獲得していて、今年も2枚分(今年は少なめ)の点数がたまった。それで交換をしようと思うのだが、しかし東京ほどの深刻性はないにせよ、不要不急の外出をしないとか、ソーシャルディスタンスとか、スーパーの店員さんありがとう、などと叫ばれているこのご時世に、パン祭りの皿の交換って、もう不要不急中の不要不急みたいな行動であるような気がして、なかなかその気になれない。別に皿のためにわざわざ赴くわけではなく、スーパーへは日々の必需品を買うために行くのだから、そのついでにサービスコーナーに立ち寄るのは、そこまで見識のない行為でもないだろうとも思うのだが、しかしやはりどうしたって間が抜けている。そもそもこの、0.5刻みのシールをせせこましく25点分数えて貼った用紙を提出して皿をもらうという行為は、いつだって基本的に間が抜けているのだ。絶対にかっこよくはキメられない行為なのだ。それが今年はさらに時世的に苦境に立たされている。そのハードルはきわめて高い。しかしせっかく50点も集めたのだから放棄するという選択肢はない。交換期限は5月10日までだ。意外と短いな。

2020年4月28日火曜日

移住・モワーッ・THIS IS US

 別にいま住んでいる土地に不満は持っていないつもりなのだが、とても魅力的な島を見つけたので移住したくて仕方なくなる、という夢を見た。
 その島は瀬戸内海にあり、広島県に所属する。それに関し、広島県かー、岡山県ならよかったのになー、と夢の中で思ったのを覚えている。しかし具体的にどう魅力的だったのかという、肝心な部分をあまり覚えていない。なんかの用事で僕は実際にその島に上陸し、そこである一家と知己を得た。その一家の感じがとにかくよかった。そしてその家の主人は、島ではそれなりに顔の利く人物であるらしかったので、移住するにあたってそのことはとても頼りになるだろう、ということを夢の中で算段した。夢らしく、変なところが曖昧で、変なところがやけに細かい。
 しかし移住となると自分ひとりの問題ではない。僕は普段、夢の中では家族を持たなかったり、それどころか自分が自分でさえなかったりもするのだけど、今回の夢はその点がとてもリアルで、島への移住の欲求にひとり焦がれつつ、しかしファルマンは絶対に嫌がるだろう、それをどう説得しようか、ということを必死に考えていた。夢の中なのだからもっと自由に振る舞えばいいのに、妻の反応を気にするだなんて不憫なことだ。もう尻に敷かれている状態で人格が形成されてしまっているのかもしれない。ファルマンが懸案するだろうポイントは聞かずとも分かっていた。利便性(商業施設や医療機関など)と子どもの教育環境だ。でもなにぶん夢の中の理想の島なので、調べてみたらその点も問題なかった。島は最初に思っていたよりもだいぶ栄えているようで、人口も多く、島内で完結するレベルのしっかりした社会基盤があり、ショッピングセンターなんかもあるようだった。これならファルマンも受け入れてくれるかもしれない、と僕は安心した。
 そのあたりで目が覚めた。目覚まし時計が鳴る30分前だった。起きたのだから、今まで見ていた情景は夢だったわけだが、起き抜けの頭に、理想の島に出会った興奮も重なり、じゃあこの30分であの島についてインターネットでもっと情報を集めよう! などと思った。しかしその溌溂さも一瞬のことで、すぐに、あれ? いまの夢だったんじゃね? という疑念が生まれてしまい、それにネットで調べようにも、僕は移住しようとしていたその島の名前さえ知らず、そのことに気付いた瞬間、感動したはずの島の風景もサラサラと幻の向こうへ消えていった。なんだ、夢だったのか……、と切なくなった。
 あとからウェブで検索した結果、広島県に所属する瀬戸内海の島でまあまあの規模となると、因島、倉橋島、江田島あたりが該当するようだ。いつか行ってみたい。GWは行けない。

 政府広報による「密を避けよう」のコマーシャルで、人の口から発せられるウイルス的なものが、小林製薬のブレスケアみたいに、なんかモワーッとした煙のようなもので表現され、他人と集うということはそれだけ互いの身体から出たものを吸い合うことなんだよ、だから新型コロナウイルスが流行っている今は密を避けようね、ということを伝える、というものがあるのだが、あれってもう「流行っている今は密を避けよう」どころの話じゃなくて、そこを気にしだすと日常生活に支障を来すからこれまで目を逸らしてきたけれど、他人と狭い空間に一緒にいるのってめちゃくちゃ気持ち悪いじゃん! 他人の口から出た、餃子を食べたあとの口臭みたいなモワーッとしたやつを体の中に入れるってことなんじゃん! と、もう一生だれとも近い距離で接したくなくなった。タバコの煙っていうのは、もちろんにおいとか有害物質とかもあるけれど、あのようなCGを使わずともモワーッとしたのが可視化されているから、人の吐いたものを吸うことの気持ち悪さを嫌でも痛感させられ、だから忌み嫌われてどんどん排斥されたんだと思う。それが今後は、ただの呼吸でももうだめだ。タバコを吸っていなくても、誰の口からも、モワーッとしたやつが出るのが見えるようになってしまった。なんて生きづらいんだ。もう友達とカラオケに行くのも控えようかな……。

 「THIS IS US」のシーズン1を観終える。18話。観始めたのは何ヶ月か前で、途中で停滞していた期間があったのだが、最近になってprimeにシーズン2も追加されたので、そう意識していたわけではなかったのだが、どうやら僕はそれで安心して、シーズン1を観終えることにしたようで、それからこの10日間くらいで後半をわりとハイペースで観た。とてもおもしろかった。
 途中でも書いたが、36歳という年齢のこともあり、主人公たちに感情移入しやすく、そうしてアメリカ人に感情移入ができる、ということに驚いた。主人公のひとりが、婚約者のことを人に話すとき、「フィアンセ」という言葉を使ったあと、「フィアンセだなんてフランス人みたいで照れる」という場面があって、そうなのかー、と思った。フィアンセという言葉はアメリカ人にとってもそうだったのか。そんなふうに、わりとおんなじなんだな、と思うこともある一方、きゃつらは街中はもちろん親の前でも恋人と口でチュッチュチュッチュしたりするので、そこはやっぱり大いに違う、などとも思った。
 とてもおもしろく観終え(ラストはびっくりするくらいシーズン2に続くだけの終わり方でしかなくて驚嘆したけれど)、そのあと最終話のあとの特典映像、客を入れたホールでの最終話試写会のあとの舞台挨拶みたいなのも見た。そこに現れた出演者たちは、なにぶん18話を愉しく観賞した愛着があるので愛しかったが、しかし大成功したこのドラマがどれほど素晴らしかったか、どうしてこんなに素晴らしいものになったかを、互いにどんどん褒め合うので、さすがにだんだん鼻についた。僕の「自分が所属している集団に誇りを持っているタイプの人間が嫌い」センサーから出たビームが、18話分のキャラクターへの愛情というフィルターを突き抜けたのを感じた。
 でもシーズン2も愉しみ。愉しみというかもう観始めてる。

2020年4月18日土曜日

間寛平・マスク・健康診断

 星野源と安倍首相のコラボ動画の件で、みんないろんな理由で憤っていたが、その中で間寛平のコメントがとてもよかった。間寛平はあの動画を見て「がっかりした」のだという。なぜか。「安倍さんは家ではマスクを作ってるかと思ってた……」間寛平はそういったのである。すばらしくないか。これはもちろんボケなのだけど、なんとキュートでおしゃれなボケだろう。星野源と仲間たちが謳歌していたが、安倍首相の登場で一瞬で蒸発してしまったおしゃれさが、巡り巡って間寛平に集約した形だと思う。吉本の大御所といえば、去年の吉本の闇営業とかの騒動(なんと平和な時代だろう)の際、リポーターの「いま吉本興業にいいたいことは?」と訊ねられた池乃めだかは、「背が高くなる薬を作ってほしい」と答えたそうで、それも当時とてもいいと思った。芸人が他のコメンテーターと一緒に眉をひそめ、同じようなことをいってもなんの価値もない。中世の王様の傍にいたピエロのように、奇矯なことをいうのが彼らの役割だろう。芸人かくあるべし、という姿を見た。

 相変わらず不織布のマスクは流通しないが、しかし不織布のそれは布のマスクよりも防御力が高いというのなら、医療現場や、小売店や、あるいは電車で通勤しなければならない人が優先的に手に入れて着ければよく、僕のような田舎でマイカー通勤して日々いつもと変わらない面子で働くような人間は、そんなものを必死に購おうとしなくてよいのだと思う。布マスクをたっぷり作った余裕もあり、そんなふうに思う。
 しかしドラッグストアなどには並ばないが、ある所にはあるようで、楽天でこれまでに利用して登録していた店(それもドラッグストア系ともぜんぜん違うような店)などから、「不織布マスク入荷しました!」なんてメールが届いたりする。そしてそれらの値段といえば、これまでよりも大袈裟じゃなく10倍くらい高い。今まで50枚入りで500円しなかったのが、3980円とかするのだ。そういうのを見ると、とても気分がクサクサする。メルカリなどでの転売屋を世間はあんなに批判したのに、悪質さの程度がちょっと違うだけで、やっていることはぜんぜん一緒じゃないか。そしてやっていることがぜんぜん一緒という意味では、戦後の闇市とも一緒だ。
 ところで今週末からいよいよ政府謹製の布マスクが配られはじめるらしい。マスク配布て、というそもそもの行為に対する批判や、配られるマスクが微妙に小さいこととか、とかく評判の悪いこの施策だが、しかし届いたマスクで遊んだりネタにしたりすることは絶対にしてはいけないと思う。どうも最近はTwitterやYouTubeで、倫理観のない輩がそういうことをしそうな気配がある。市販のマスクがどうしたって手に入らなくて、その布マスクを使わなければならない人も世の中にはたくさんいるのだ。そういう人たちが、そのマスクを着けにくくなるような揶揄だけはしてはいけないと思う。

 今年の健康診断の結果が返ってくる。
 これが、めっちゃよかった。
 なんてったって、なんてったって、去年までの僕とは別人である。今年に関しては、健康診断の直前だけめちゃくちゃ節制した、なんてことは特にないのだ。それなのにナチュラルにいい数字。つまりマジで健康な人になったのだ。
 別にこれまでも、全体的に惨憺たる有様だったというわけではない。僕の健康診断は、要するに肝機能の数値の診断ということになる。毎年それに引っ掛かって、「要精密検査」という紹介状在中の封筒を結果と併せて渡されていたのだ。それが今年はなかった。いつもネックとなるγ‐GTPの値が、17年159、18年134、19年106と来て、今年はとうとう59となった。59! 50までが正常値とされるので、そこからは若干オーバーしているが、ぜんぜん問題視されるようなオーバーじゃない。日々酒を飲んでこの数字なら万々歳だろう。
 この結果の要因は、別に厳密な取り決めをしたわけではないがそれなりに休肝日を設けたことと、あとはなんといっても運動だろう。なにしろそれまでまるでしてこなかった運動をするようになったので、僕の身体には伸び代しかなかった。逆にいえば、これまでは伸び代をまるで広げることなく畳んでいたということだ。じゃあもう別人だ。広げてみたら、それは伸び代どころではなく、プリーツみたいになっていたんだ。僕は本当はこんなに健勝で壮健な人間だったんだ。もう東京時代の人間と会っても、誰も僕のことに気づかないかもしれない。寂しいよ……。

2020年4月10日金曜日

入学・干支4コマ停止・カナリア

 ピイガの入学式が執り行なわれる。行なわれたのだ。行なわれてよかった、と思う気持ちと、行なうのか、という気持ちがせめぎ合う、たぶん関係する誰の心においてもせめぎ合っていた、そんな式だった。もちろん全員マスク着用で、窓は全開。陽射しの届かない体育館内はひどく寒かった。内容ももちろん短縮版で、来賓の挨拶などは一切なし。これは卒園式もそうで、なによりだと思った。疫病とか関係なくいつもぜんぜん要らない。
 あと印象に残ったところでは、担任紹介の際、教員ももちろんマスクをしているのだが、しかし「3組、ナンヤラ先生」と紹介されたときだけは、さすがにマスクを外して顔を見せていて(もちろんマスクを外した状態では喋らず、そしてまたすぐに着け直す)、紹介された人はマスクを外すというその流れが、仮面を外して次々に正体を現す悪の軍団のようでおもしろかった。たぶんその中には、てっきり死んだと思っていたかつての親友なんかもいるんだろうと思う。それと上級生からの言葉、校歌紹介のくだりでは、いったいどうするんだろう、いちばん歌の上手い子がソロで唄うんだろうか、などと考えていたら、なんと音声テープだったので、なるほど、と思った。でもその場にいない少年少女の声だけが響き、誰もいない壇上のほうを全員で眺めている情景というのは、ずいぶんシュールな感じで、でもやっぱり笑ってはいけない感じもあり、そわそわした。もしかしたらそのうち蝶野正洋が現れ、校長先生をビンタするのではないかと思ったが、そんなことはなく式は終了した。「ピイガの入学式はちょうど……」と、後々語り草にしやすい入学式だな、と思った。かくしてピイガは小学生になった。あのちっちゃい子が嘘だろ、という気持ちが拭えないし、始まった小学校も完全な形での登校とはならないようで、そういう意味でも嘘だろの疑いがあまり晴れず、なんとなくモヤモヤする。

 干支4コマが完全に停止した。タイトルデザインに東京オリンピックの幻のロゴを(モチーフとして)採用し、オリンピックを意識して急遽はじめた今年の干支4コマだったが、コロナの深刻度が増し、オリンピックの延期が発表になり、緊急事態宣言が発令されるという、刻一刻と状況が変化する中で、すっかり身動きが取れなくなってしまった。まあ全12話の、ちょうど半分までが終わったところなので、後半はまた年の終わりにやろうと思う。2020年という年を冠に据えた4コマを、この4月時点で完結させてしまうのは、どうしたって無理がある。後半、ちゃんとのどかに笑えるようになっていたらいいなと思う。ちなみに作中において「今年の干支漫談は初の無観客開催だ」というネタがあったが、たしかに3月の時点では、無観客開催だったのである。しかし大相撲がそうであるように、もう事態は無観客ならいいという段階を超えてしまった。だから連載も中断する。今年の干支4コマは現実とのリンクがすごいな。

 換気のために窓全開の入学式において、僕の鼻水はズビズバ溢れ出て、ずっとティッシュで鼻をかんでいた。その様子をあとからファルマンが笑い、「あなたってちょっと布団の上げ下ろしをしてもすぐに鼻が止まらなくなるし、本当に敏感だよね」といじってくる。それに対して少しムッとした僕が放った、「俺は鼻の中にカナリアを飼っているんだ」というフレーズが、我ながらちょっとおしゃれだと思った。鼻炎のことを、これからは鼻カナリアと呼ぼう。

2020年4月7日火曜日

sjk・低脂肪乳・過ぎたるは及ばざるがごとし

 Twitterのフォロワーとかがぜんぜん増えない。ほぼ毎日、せっせと短歌などをアップしているというのに、ほぼ反応がない。反応なんてなくても気にしない、というスタンスでは決してやってないのだ。そもそもそんなスタンスだったらTwitterでやってない。いいねとかリツイートとかされて、たくさんの人に褒められたくてやっているのだ。なのに一向にそんな兆候が見られない。話がちがう、と思う。誰となにを話したわけでもないが、なんとなくそんな気持ちがある。そこで人気を獲得するためのマーケティングとして、人気のあるTwitterユーザーの傾向を探ってみることにした。
 そしてその結果、ひとつの真理に到達した。これはとても商業的価値のある真理である。しかし僕は出し惜しみなどしない。さらりと記す。
 女子高生は人気がある。
 これが真理である。結局のところ、女子高生なのだ。女子高生ならばなにを書いたっていいねとかリツイートとかされるし、女子高生じゃない人間がなにを書こうが女子高生じゃないという時点で得られる名声はたかが知れてる。
 だから僕も女子高生になろうと思う。これまでプロフィール欄には「ウサントタッバ!!」とだけ記していた。これがいけない。ウサントタッバの意味が、「出ていかないと殺す」であるということ以前に、とにかくこれでは女子高生じゃない。この時点でアウトだ。
 だからこれを「私立ウサントタッバ学園2年生」とする。さらには、「おっぱいがおっきすぎるのが悩みのタネ……」とも続ける。これでいいねもリツイートも爆発するはずである。ちなみに今日ツイートした短歌は、「一センチ、一ミリ先を追求す俺のチンポのアスリート性」です。これをsjkが詠んだのだと思うと、逆に興奮して、いいねボタンが連打されるのも必定だすな。

 最近スーパーやドラッグストアで売っている低脂肪乳で、紛い物みたいなのが売られているじゃないか。あれがとても嫌だ。どう紛い物かといえば、一般的な低脂肪乳が、その名前から想起(期待)される通りに、他の成分は牛乳(生乳)と遜色ないまま脂肪分だけがカットされているものであるのに対して、最近目にするそれは、たんぱく質などの必要な成分までもが半分くらいの度合になっているのだ。それでは意味がない。意味がないし、そんなに成分が薄いのに牛乳テイストということは、逆に要らない成分がいろいろ加工されているのだろうなあ、と嫌な気持ちになる。それなら買わなければいい、という話であり、実際に買わないわけだが、それで済む話ではない。なぜなら、「低脂肪乳」ということでそれだけしか陳列していない店の場合、ちゃんとした低脂肪乳を求めて、わざわざ別の店に行かなければならないからだ。そんなことが頻繁にあり、とても不便している。さらに近ごろ頓に、正規の低脂肪乳からその手の偽低脂肪乳へ乗り換える店が増えてきていて、問題の深刻度は日々増してきている。おそらくだが、たんぱく質などの成分が半分くらいになっているということは、生乳に対してそれだけ水増ししているということで、普通の低脂肪乳より原価が安いのだと思う。そして原価が安い分、仕入れ値も安いわけで、店としてもそちらを選びがちなのだと思う。しかし思うのだが、牛乳ではなく低脂肪乳を選ぶ輩というのはもうその時点で、これは僕がユーザー自身であるという立場から少し口幅ったいのだが、「意識が高い」わけじゃないか。成分表の数値とか、気にした上で低脂肪乳を選んでいるわけじゃないか。その輩を相手に、数値が脆弱な製品を投入しても、忌避されるだけで絶対に受け入れられないはずだ、と思う。メーカーおよび小売店には、ぜひこのことをご一考願いたい。社会的影響力のあるブログからの発信です。

 ちょっと前、なにかの折にエロ小説を大量に仕入れたのである。お前その歳になってまだ買うのか、という話で、いや、それはまあ、買うといえば買うわけで、キャンペーンなどでお買い得で手に入るとなると、それはもう喜び勇んで大量購入したりしたわけである。それで、手に入れたそれらを、唯一許された保管場所、ベッドの下の引き出しへと詰め込んだ。それはもう「詰め込む」という表現がぴったりの詰め込まれ具合で、もともと満員に近かったところへさらに大量に新しいメンバーが乗り込んできたものだから、引き出しはいよいよパンパンになった。そしてパンパンになったら、もう全体の見通しが立たなくなって、どんなものがあるのかも気軽に確認できなくなり、ふいにある1作品を思い出して、あれを読もうと思ってもとても発掘できなくて、結果的にパンパンになる前よりも、エロ小説との間に距離ができてしまった。過ぎたるは及ばざるがごとし、ということをしみじみと痛感しました、というエピソードでした。