2022年12月22日木曜日

ポイント恨めし・広い心の身長・メスの安寧

 マイナンバーカードの申請をして例のポイントがもらえる期限が、当初の今年12月末から来年2月末まで延長されたらしい。納得がいかない。どの部分に納得がいかないかと言えば、すぐに申請した人間と、そうやって延長されてやっと申請した人間のもらえるポイントが、同額であるという点だ。ここは差をつけなければおかしい。それは首謀者(国)的にも都合がいいはずだ。首謀者は申請数を増やしたいのだろう。だから延長するのだろう。ならばポイントに差をつければいい。3000円程度の差をつければ、12月中の駆け込み申請が怒涛の如く押し寄せるに違いない。そんなの火を見るより明らかだ。「差をつけるなんて不公平だ」という批判が怖いか。あり得ない。どこに不公平があるのだ。門戸はずっと開かれていた。それだのに、他人と較べて損をしてしまう、という実感を得るまで申請しなかった人間が100%悪い。悪いはずなのに、なんの区別もなく救済される。納得がいかない。そのことに納得がいかないし、そしてあまりにもマイナンバーカードが日常でなんの役にも立たない。

 今年も健康診断が執り行なわれる。クリスマスと年末年始の直前というこの時期は、健康診断のタイミングとしてはなかなか好都合だと思う。すなわちそれは、不摂生期間の直前ということだからだ。これが年明けすぐとかだと最悪だろうと思う。
 今年は数値をよくするために静かに闘志をみなぎらせていて、実は12月はこれまでろくに酒を飲まずに来た。なのでたぶん芳しい結果になっていると思う。年明けの結果通知が愉しみだ(なんだか逆に伏線のようになってしまった)。
 ちなみに去年165.8という数字を叩き出し、計測者を無能と言い募り、僕の中でノーカンとすることにした身長だが、今年は165.7だった。0.1に関しては、誤差なので気にしない。大事なのは、同じだということだ。すなわち、去年の数字はなにかの間違いというわけではないのかもしれず、もしかすると僕がずっと信じてきた166.7という数字こそが間違いだったのかもしれない。でもね、それならそれでいいのです。もう達観しました。身長は、低いよりも高いほうがいいが、それは162に較べて176のほうがいいよね、という次元の話であって、165と166は、うん、誰にとっても、もはや本人にとっても、どっちでもいい。だってどちらにせよ、広い心で見れば170ですからね(懲りない)。

 夫婦ともども友達がいないキャラで売っていたつもりが、妻には娘がいるじゃないかよ、すっかり裏切られた、ということを前に書いた。それを読んだファルマンが、「そういえば私は、妹がふたりいたから、昔からそんなに積極的に友達を作ろうと思ったことがない」と言ってきて、ますます打ちひしがれた。さらに言えば、ファルマンにポルガとピイガがいるということは、ファルマンの母にとってはファルマンがそういう存在であるわけで、ファルマンは、上にも、下にも、そして横にも、波長の合う存在が多数いるということだ。ぜんぜんだ。ぜんぜん違う。なぜ最初、同類だと僕は思っていたんだろう。満たされない者同士の友情を感じていたら、実はあいつの実家めちゃくちゃ太い、みたいな裏切られ方だ。
 前回の記事を書いていたときにも頭にあったが、サルとかの群れの、基本はメスで、オスはリーダーの1匹だけで、それはある日急に取って代わられることもあり、そしてオスの子どもはある程度の年齢になったら群れから追い出されるという、そんな仕組みが、人間にもある気がする。僕には父親はおらず、兄弟もいないし、息子もいない。しかしいたとしても、ファルマンがあれらと接するようには接さないだろうと思う。どうも基本的に、人間関係、人間社会というものは、メスの安寧が保たれるように成り立っている気がする。

2022年12月16日金曜日

タイヤ交換・ワクチン接種・クラス担任

 まことに寒い。寒さってこんなにつらいものだったっけ、と呆然とするくらい寒い。一気に寒気がやってきて、先日などは短時間だが吹雪きさえしていた。年内に吹雪くかー、と日本海側の冬のスピード感をまざまざと思い知った。その寒波が来るという予報が出たところで、ファルマンとMRワゴンのタイヤの交換を行なった。フリードのほうは、もう少し前に、義父の車とともに業者に来てもらって既に交換していた。基本的に近所しか運転しないMRワゴンはそこまで急がなくてもいいだろうと暢気に構えていたのだが、思っていたよりも早い決行となった。そして今回、ファルマンとふたりで作業をした結果、われわれ夫婦はひとつの結論に至った。普通自動車は素人にはちょっと大変だけど、軽自動車ならそこまでじゃないから自分たちでタイヤ交換をやるという、義父の流儀をなんとなく踏襲して、この2年ほどをやってきたけれど、軽のタイヤ交換だって、ぜんぜん業者に頼むべきだ。やろうと思えばできることではあるけれど、だから自分たちでやったほうが常に得かと言えば、決してそんなことないのだ。1台2000円ほどである。そしてどうせ業者は義父の車とフリードのタイヤ交換のために呼ぶのだ。じゃあもうついでにMRワゴンもやってもらったほうが、心の底からぜんぜんいい。その2000円、ぜんぜん惜しくない。寒風吹きすさぶ中でのタイヤ交換、普通にとてもつらかった。できることならもう二度としたくない。あれが2000円で回避できるのなら、そのほうが断然いいと思った。次の、4ヶ月後くらいの、ノーマルタイヤへの交換から、そういうことでお願いしようと、夫婦で強く心に誓った。

 4回目の新型コロナウイルスワクチンを接種する。マスクもワクチンももう不要なんだよ、いまだにそんなことに拘泥している奴は思考停止の情報弱者なんだよ、という風潮もあり、そういうことを言う人々に対し、マスク着用やワクチン接種の重要性を訴える熱意も知識もないのだが、ただもう単純に、やっぱり受けておいたほうがいいかな、というほうに気持ちが振れたので受けることにした。というのも、もう1ヶ月ほど前になるが、ピイガが熱を出したことがあり、とうとうわが家にもコロナがやってきたかと暗澹たる気持ちになり、しかし抗原検査の結果は陰性だったので事なきを得たのだが、でもそのときに抱いた恐怖というのは想像していた以上に強かったので、やっぱりワクチンは受けておくに越したことはないな、と思いを改めたのだった。それまでは、3回目の副反応がけっこうハードだったこともあり、4回目からは逃げようと思っていた。思っていたんですけど、やっぱり受けることにしたんですよ、というエピソードを職場で披露したら、職場には高齢者が多いため、なかなか好評を得た。いちどは受けないスタンスを取りながら改心して受けることにした、というストーリーが、余計に老婆たちの心を掴んだと見えた。
 それで4回目の副反応だが、ファルマンはいつも通りの1日半くらいダウン、そして僕はほぼほぼなし、という結果だった。接種の予約が取れたのが平日で、次の日も普通に出勤だったため、副反応がひどかったら嫌だな、と思っていたので、本当によかった。
 受けたら受けたで、やはり安心感がある。寒さが増し、感染者数もどんどん増えてきていて、そして年末年始に突入するので、あのタイミングで決心し、なんとか予約が取れ、接種することができてよかった。

 2学期も終わるということで、子どもたちの個人面談が行なわれた。
 その際にそれぞれの担任から語られた子どもたちの評をファルマンが教えてくれ、なかなかおもしろかったので、ここに記録しておくことにする。
 まずポルガ。

・文章すごい。
・休み時間は自由帳が多いが、たまには人とも遊ぶ、誘われれば遊ぶ。
・自由帳を描き続けているので、男子にたまに「なに描いてるのー」などちょっかいっぽく言われることもあるが、意に介さない様子。実は心が痛いのではないかと心配しているが、行動がぶれる様子はない。
・係の仕事を忘れがち。周りの人がやっていても気づかず、言われないとやらないので、もう少し周りの様子を見れるようになるといい。
・勉強はよくできてるので、もっと難しい問題集を買ってやってみることをお勧めする。

 続いてピイガ。

・男子と鬼ごっこなど、日々元気いっぱい遊んでいる。
・自然と周りに人が集まってくるキャラクター。
・困っている人を助けてくれる。
・係の仕事を決して忘れず毎日やってくれている。
・勉強は、ノートがきれい。
・よく手を挙げて発表する。間違うこともあるが、再びくじけず発表する。
・テストはほどほどにちゃんとできている。
・一学期よりは、じっと座っていられるようになった。ものを机から落とす頻度も減った。
・分からないときちゃんと質問できるので偉い

 まあどちらもおおむね想像通りの学校生活なのだな、と思った。キャラが違っていておもしろい。そして教師というのは思っていた以上に生徒をちゃんと見てくれているようだ。時代だろうか。僕の小学校時代はたぶん、そんなことなかったと思う。あるいは地域性だろうか。学校給食がひどいことで名高い横浜市だからな。教育が崩壊しているのかもしれない。

2022年12月11日日曜日

箪笥体制・母娘・流行語

 衣替えで箪笥の中が冬服になって以降、引き出しの中がギッチギチである。はっきり言って成立していない。開けるのも閉めるのも渾身の力を込めてせねばならないので、なるべく最小限で済まそうとして、とても狭い範囲しか使えていない。活用していない、箪笥の使い勝手を悪くする作用しかない服なんて捨ててしまえばいいという話なのだが、冬服というのは捨てるのも夏服よりもパワーが必要で、どうもその踏ん切りも付かず、にっちもさっちもいかない状況がずっと続いている。
 そんな中で、ファルマンと僕の間で、箪笥という存在への不信感が強まってきている。我々がこうして持っている服をうまく活用できていないのは、もしかすると箪笥に原因があるのではないか、という疑念である。
 箪笥には、服を収納するという機能があり、我々はその機能に対してお金を払って箪笥を購ったわけだが、どうも箪笥はそのお金を、服の収納だけでなく、箪笥を箪笥たらしめる、箪笥自身の価値向上へもだいぶつぎ込んでいる節があると思う。それは大袈裟に言うと、体制であるとか、既得利権であるとか、そういう種類の欺瞞である。我々夫婦は日本大学という所にかつて所属していたので、その手の気配には敏感なのだ。
 家財という言葉がある。また箪笥はかつて嫁入り道具であったという。わが家の箪笥はもちろんそんな上等のものではなく、ニトリとかで買った普通のものなのだが、それであっても箪笥には、服を収納する以外の部分に振っている余力がある気がしてならない。それは真摯ではない。傲慢だと思う。箪笥が、箪笥としての矜持を保つために要するエネルギーを、我々は服を収納する道具としての存在に、求めていないし、認めていない。そこにお金を払った覚えはない。
 今こそレジスタンスの時だ。服は箪笥に収納するもの、という先入観は捨て、引っ越しや模様替えのたびに多大な苦労をもたらす、肥大化し腐敗した体制は捨て去り、具体的に言うと、服が夏なら6、7枚、冬なら3枚くらい入る大きさの、使い勝手のいい機構のプラスチックケースみたいなものを、夫婦で15個くらい持っていれば、それで十分に事は足りるのだから、そうするべきだ。そうするべきだと心の中では確信しているのだけど、なにぶん肥大化した体制というのは、肥大化しているがゆえに、簡単には排除できない。その億劫さによって、体制というのはいつまでも腐ったまま君臨し続けるのだと思う。

 いつまでも夫婦ともども友達がいなく、僕はそのことについて、おととしあたりにようやく、「それでいいんだ」という感動の結論に至ったのだけど、そこまでの道のりが壮絶を極めたのに対し、ファルマンはだいぶ早い段階から、「友達なんていらない」「人間関係なんて面倒くさいだけ」と達観していて、僕は妻のそれに対して憧れと同時におぞましさを感じていたのだが、つい先日、リビングでやかましい子どもたちから避難し、夫婦の部屋にひとりこもって過し、廊下越しに響く3人の声を聴いていたとき、ある事実に気が付いた。
 妻と娘たち、とても愉しそう。
 子どもの相手で疲れると言いながら、ファルマンは娘たちと会話で盛り上がり、よく笑っている。それはまるで、友達同士のようだと思う。母と娘という関係性には、やはりそういう感じがある。もちろんそれ自体はとてもいいことだ。いいことだけれど、「夫婦ともども友達がいない」という前提は、ちょっと様相が変わってくると思う。ファルマンには、友達がいなくても、友達以上に気安く、波長の合う娘がいる。ふたりもいる。それに対し父である僕の「友達がいない」は、それ以上でもそれ以下でもなく、とても高い純度の「友達がいない」である。僕の「友達がいない」には、「だけど……がいる」がなにもない。完全無欠の「友達がいない」だ。そうか、だからだったのか、と得心がいった。なぜ妻ばかりが早々に達観し、僕ばかりが30代後半になってもジタバタしていたのか。同じ立場だと思っていたら、ぜんぜん後ろ盾が違ったのだ。妻には、母には、自分よりも長生きしてくれる、すなわち死ぬまで寂しくなることはない、確固たる保証があったのだ。ひどい裏切りだ。

 流行語大賞に「ヤー! パワー!」が選ばれなかった。それと村神様は当確だろうと予測していたので、とてもびっくりした。なぜ「ヤー! パワー!」が選ばれると思ったのかと言えば、流行ったというより、授賞式を盛り上げられるのはそれしかないだろうと思ったからだ。ベストテンのうち、毎年ひとつはそうやってギャグ枠、芸人枠を設ければ、主催者、マスコミ、芸能界、三方にとってメリットだろうと思うのだが、毎年のことながらこの選考というのはクセが強いな。
 選外と言えば、「顔パンツ」もベストテンから漏れた。道理で僕のもとに授賞式への出席の打診が来なかったわけだ。心の準備と、体の準備はしていたのだけどな。

2022年12月6日火曜日

シーズン・サッカー・ヘアー

 寒いったらありゃしないじゃないか。いまちょうど寒波がやってきているから、ということが言われるけれど、週間予報を見ても最高気温はずっと15度に達しない。そりゃあそうだよ、12月なんだもの、と言われたらそれまでだけど、これまで5月あたりから半年以上、熱が豊富な環境でのうのうと暮してきたので、急に過酷な境遇に置かれ、困惑している。気温お坊ちゃまなのだ。気温お坊ちゃまなので、寒波民が恭しく差し出した12度を、「こんなの嫌だよ!」と言って叩き落してしまう。それは寒波民たちが、子どもらの分も含め、それぞれ食事の量を減らし、やっと工面したものだというのに。もっともはじめはそんな態度だった気温お坊ちゃまも、ひと月もすればすっかりここでの暮しに順応し、寒波民の子どもたちに混ざって、8度を競い合ってむさぼるようになる。とは言え今はまだ過去の栄光が忘れられない。当たり前のように20度以上が与えられていた時代のことばかり考えてしまう。普通にしていたら手がかじかんでくるような寒さの中、さらに日も短く帰宅時は真っ暗となると、いよいよプールに行く気力は湧きにくい。プールの水は温かいし、泳いだあとは熱いシャワーを浴びて、むしろ普通に帰宅するよりも体が温まった状態で帰ることになるのだと、頭では解っていても、どうしたって足が向きづらい。これはあれだな。いわゆるひとつの、あれだな。シーズンオフだな。

 サッカーW杯の決勝トーナメント1回戦で日本代表が負けた。つまりベスト16。これまでベスト8に進んだことがないということで、悲願だったわけだが、残念な結果となった。僕自身は、そこに対する思い入れのようなものはもちろん持ち得ないわけだが、なんにしろかんにしろ、ギャグマンガ日和でも言われていた通り、トーナメントというのはそれだけで盛り上がるわけで、勝ち進んだらもっとおもしろかったのになー、という思いがある。軽いな。そりゃあ軽いよ。サッカー観たの4年半ぶりだよ。
 最終試合となったクロアチア戦は、月曜日の深夜零時(つまり火曜日)キックオフという、真っ当な社会人にはずいぶんハードな日程で、もちろん試合が始まる前に就寝したわけだが、ふと2時20分あたりに目を覚まし、スマホで確認したら、1対1で延長戦をしていて、PK戦になりそうな気配だったので、これは観るべきだな、と思ってリビングに行き、テレビで決着がつくまでを見届けた。そしてそのあとまた寝た。
 前回のスペイン戦しかり、今回のクロアチア戦しかり、僕の、試合中継を前にして寝るは寝るけど、終盤のわりといいタイミングで自然と目を覚ます能力は、どうもなかなかのものだな、と思った。サッカー日本代表は負けてしまったけれど、僕のこの能力は、もしかすると世界のベスト4くらいに食い込むかもしれない。

 髪が長い。もう十分に結べるくらいに長い。嬉しい。いつから切っていないのだっけと日記を振り返った結果、今年の5月21日の「hophophop」に、長髪のままブリーチしてド金髪にしたらあまりにもヤバい感じになったので仕方なく切った、という記述があり、どうやらこれ以来切っていないようだ。つまり現在、6ヶ月半か。なかなかだな。ファルマンはもちろん「切らせろ」「切らせろ」と日々言ってくるのだが、こちらの心は盤石だ。「前髪が分かれておでこが出てて変だよ」とか、「小汚いよ」とか、「得体が知れないよ」とか、あの手この手で説得しようとしてくるが、「いい」「大丈夫」「ノーセンキュー」と、すべて泰然と受け流している。5月の当該記事に、「39歳の僕は、たぶん弓道部の副主将みたいな黒髪ポニーテールをしている」という文言があり、そこへの準備は着々と整いつつあると言える。なにぶんこれから寒くなる一方なので、切らないことへの大義名分があるのがありがたい。こんなに寒く、心身ともにやられかけている人間に、さらに首元を寒々しくしろって言うんですか。そんなの虐待じゃないですか。裾野市じゃないですか。