2019年7月26日金曜日

ヴォルデ復活・ベンチ・息子

  炎のゴブレットの下巻を読み終えた。おととい。なので5日で読んだことになる。ペースがだんだん上がってきているな。横に読了者がいるので、こういうことをいうと、「わかるわかる、そこらへんからグイグイいっちゃうよねー」みたいな感じになるのが嫌だ。
 僕は刊行当時に途中まで読んで、脱落した手合いであり、どこまで読んだのかが定かではなかったが、たぶんアズカバンまでは読んでいて、ここから読んでなかったんだと思う。アズカバンだって大概その内容を忘れていたけど、この巻からはいよいよいちど読んだ感触がなかった。全7巻の、しかも4巻目からは上下巻になるシリーズで、3巻目までを読んだだけで、これまでよく「読んだ感」を抱いていたものだと思う。それは実質的にぜんぜん読んでいない。だって復活してないじゃないか。この巻でいよいよ復活してしまったので、この物語はここから本格的に始まるのだと思う。俺は始まる前に読むのをやめていたのだな、と10年以上の時を経て知った。

 先日ニトリでダイニングテーブル用のベンチを物色した、ということを書いたが、あのあとすぐ、それがなくてはならないもののように(それさえあれば子どもたちはとても行儀よく食事を取ってくれるに違いないと)夫婦そろって思うようになり、ネットでテーブル幅に合ったものを探し、2脚購入したのだった。それでわが家はふたたび、居間の座卓からダイニングのテーブルで食事をする家庭になった。子どもの行儀は、座卓よりかは多少改善された、のでは、ない、かな、と思う。座卓時代がマジでクソだったから、それに較べれば、という話ではあるけれど。
 それでわが家にベンチがやってきて、そして僕はいま肉体改造に取り組んでいて、ジムとか通っちゃってるわけで、じゃあもうそんなのあれだよね、ダンベル買うしかないじゃんね、ということで、誕生日プレゼントのフラゲとして、当世話題のダンベルを買った。ダンベル何キロ持てる? という問いに答えるとするならば、こんなんじゃあきっとすぐに追加のプレートを買うはめになるだろうと思った左右それぞれ10キロのダンベルが、重すぎたのでまずは3キロ減らして7キロ。7キロでベンチプレスしている。とてもいい。しながら思う。これもうジム行く必要ねえわ。

 分娩の際に生死の境をさまよい、それでもなんとか持ちこたえて産声をあげた女の赤ん坊に対して、親が「生きてくれているだけでいい、息をしてくれているだけでいい」という思いを込めて、息をする子、息子と名付けたとしたら、その子が将来結婚して、男の子を産んだ場合、息子の息子となるわけで、ちょっとおもしろいのではないかと思った。あるいは夫が妻を紹介する際に、「妻の息子です」と述べるのもおもしろい(これは叙述トリックに使えるかもしれない)。さらに言えば、ちんこのことを息子と呼ぶ習慣が一部にあるので、夜の生活においては「い、息子がっ……! む、息子をっ……!」という局面も出てくると思う。

2019年7月23日火曜日

くず・水癒着・ハローグッバイ

 吉本興業の話が大盛り上がりで、しかし僕自身は別に当事者でもなんでもないので、意見もなければ思うところもない。ただニヤニヤと眺めている。
 ただし直接的な当事者ではないが、10日ほど前にカラオケに行った際、くずを唄わなかったことにようやく思い至り、そのことは悔しく思っている。許せないことがあっても、テレビのニュースに怒っても、やりきれない心のモヤモヤも、全部ひっくるめて力にすればいい。なんて沁み入る歌詞なんだ。ぐっさんは予言者か。ああ、本当に後悔だ。
 かろうじて救いがあるとすれば、僕ではなくファルマンだが、「ああエキセントリック少年ボウイ」を唄ったことだ。ちょっと松本人志が話の主役みたいになってきてるところがあるし、ちょうどよかったかもしれない。まあ加藤浩次にとって松本が敵か味方か、微妙なところだけれども。あの写真ばらまかれたら終わりや。こちらの歌詞も沁み入る。

 相変わらずちょくちょくプールで泳いでいる。ちょっと前に、どうも最近は泳ぐのがスムーズじゃない、贅肉が落ちて筋肉質になったからだろうか、みたいなことを書いたが、あれからその原因ははっきりした。当時はちょっと泳ぎすぎていた。週に3日とか泳いでいたのだ。それはちょっと泳ぎすぎ。週に3日も泳いでリフレッシュもなにもあったもんじゃない。最近は5、6日にいちどくらいのペースにしていて、これだといい具合に泳げる。
 ただしいい具合に泳げると言っても、別にスイスイと泳げるわけではなくて、隣のレーンに、元水泳部とかなんだろう、泳ぎに覚えのある人が泳いでいたりすると、そういう人の「進みっぷり」には、膝から崩れ落ちそうになる。たくさん買い物をするとゴールド会員になるみたいに、水中で長く暮していると、水側がなんかしらの特典をくれて、ひとかきでグイーンと進めるような、そんな仕組みになっているんじゃないだろうか。そんな風に思えるほど、泳ぎがうまい人の泳ぎってすごい。めっちゃ早く腕を動かしてるとかなら納得がいくのだけど、そうじゃなくて、ひとつの動きですごく進むのだ。ずるい。絶対に水との癒着関係がある。

 先日フィットネスの駐車場から建物へと歩いていたら、僕の少し前を歩いていたおじいさんが、向こうからやってきた、知り合いなのだろうおじいさんに向かって、「こんにちは!」と言い、そうしたら向こうのおじいさんはそれに対して、おじいさんAは今やってきてこれから建物に入って活動するところだからその挨拶になるのだけど、おじいさんBはもう利用し終わって帰るところだったものだから、「さようなら!」と答える、という場面があり、その見事なまでの「ハローグッバイ」に、ひとり感動した。ビートルズとナイツを思い出した。

2019年7月19日金曜日

体内年齢・外泊・ほのごぶ

 体組成計の項目に「体内年齢」というのがあって、「基礎代謝量」や「筋肉量」などは、そもそもその数値に対して思い入れがないので、向こうから「お前これね」と差し出されたものを「はあ、そうですか」と受け入れるだけなのだけど、「体内年齢」に関しては、なんてったって実年齢という確固たる指針があるため、それに対して低いか高いかがとても大事になってくる。
 ちなみにこのところの僕のそれは、実年齢と同じ「35」である。それがずっと続いている。5月初頭の測りはじめの頃は「33」とか「34」だったのが、なぜか上がった。なぜだよ、と思いちょっと検索をかけたら、こういう機械の体内年齢は、水分量や基礎代謝量なんかを元に算出しているそうで、「その元に算出しているのです」と言われたら、やはり「はあ、そうですか」と受け入れざるを得ないのだけど、そもそもお前のはじき出してる水分量や基礎代謝量にどれほどの根拠があるのか、5秒ほど足の裏を乗せただけで、2500円くらいだったお前という機械が、どれほどの正確な検知をするというのか、とも思う。本当に話がそもそも過ぎて、じゃあもうそいつの言う体内年齢に一喜一憂しなきゃいいじゃないか、という話ではあるのだけど。
 だって5月初頭に較べて、贅肉は明らかに落ち、筋肉は明らかに付き、身体は明らかに軽くなっている。若返ってなきゃおかしいはずだ。項目の説明欄に、「理想の体内年齢は実年齢の3分の2です」とある。3分の2ということは、24ということになる。いや、24とは言わん。別に24歳のとき今より身体が溌溂としていた自覚もないが、3ヶ月程度の肉体改造でそこまでの数字を求めているわけではない。でもせめてちょっと減ってこいよと。31くらいになってろよと。そう思う。
 この体内年齢に対する悶々の、唯一の救いと言えば、ファルマンのそれが「37」であるという点だ。実年齢より上。俺もギリギリだが、ここの1、2歳差は大きい。

 夏休みの島根帰省の際、去年のキャンプに引き続いて(なぜ引き続くのか)、今年も外泊の計画が組まれているらしい、ということを前にちらっと書いた。そして僕はそれに絶対に不参加の姿勢だ、と。気づけばもう1ヶ月後のことなので、話はわりと具体的になってきたようで、日取りや参加者も決定した。もちろん僕は不参加の意思を貫いた。僕が参加しないことについて、僕がそう指示したわけではないが、ファルマンが「パピロウは仕事関係の都合で島根に来るのが遅くなってしまう」という虚偽の説明をしてくれたらしい。義父は、仕事関係なら納得する、仕事関係以外なら納得しない、というタイプの人なので、不参加するためにはそんな嘘をつくしかなかったのである。「億劫でつらいだけだから不参加です。みなさんもよせばいいと思います」ではダメなのである。父と夫の間に挟まれ、ファルマンには面倒をかけた。その面倒も含めて、なぜこんなことを企画するのかよ、としみじみと思う。「私、親に嘘とかつかないでここまで来たのに」とファルマンは眉をひそめていた。そのフレーズは一般的に、彼氏との内緒の外泊の際に使われるものであり、夫が実家の面々との外泊を拒む際に使われるものではあまりないと思う。

 ハリーポッターの4巻の上巻を読み終える。6日か。連休でわりと読み進めたということもあるし、なにより今これしか読んでいないので、だんだん文体とかリズムとかに慣れてきたということもあるだろう。
 なにしろ上下巻の上巻なので、感想もなにもないのだが、薄々予感はしていたものの、炎のゴブレットからハリーの名前が出てきたときは、ハリーやべえな、と思った。ハリーポッターともなると、書いてない、入れてない紙が、炎のゴブレットから出てくる。ルール違反なので「おいおいおい」とみんなブーイングを浴びせ、それに対して「ちがうんだ、僕は入れてないんだ! 僕を殺したい誰かが勝手に入れたんだ!」とハリーは弁明するのだけど、自分で入れるより誰かに勝手に入れられるほうが、よほどハリーの特別感が強調されるのではないかとも思った。俺も立候補してないのに圧倒的得票数で参議院議員に選ばれないかな。

2019年7月14日日曜日

アズカバンの発育・一緒にお風呂・令和初

 映画版ハリーポッター、アズカバンの囚人を観る。読むほうは、かつてここまではたしかに読んでいた(でも内容はほぼ忘れていた)が、映画に関してはそれよりももっと早い段階で脱落したため、初めてだと思う。それで映画をこれまで2作目までしか観ていなかったので、僕の中のハリーポッター像は、主に1作目、それと2作目を少しだけ、くらいのイメージで完成していた。その感じで頭に思い浮かべ、読んでいた。だから映画3作目のラドクリフたちがもうけっこうゴツくなっているのに驚き、体のラインが出るパーカーを着たエマワトソンに乳房のふくらみがあるのに驚いた。そうだったのか……。映画の感想としては、原作を読んだ人特有の、ああ原作のあの部分はしょっちゃいます?的な、俺は読んでるから話の流れが理解できるけど駆け足過ぎて未読の人はつらいんじゃない?的な、いやらしいことばかりを感じた。結局そういう人は映画を観たりしなければいいんだと思う。そうする。そして僕のハリーは最終巻まで少年でい続け、ハーマイオニーの乳房はほんの少ししか膨らまないんだ……。

 娘たちと一緒にお風呂に入るのをやめた。
 向うから「もうよす」と言われたわけでは決してなく、特にポルガなんか、こちらから言わなければいつまでも気にせず入りそうな恐ろしさがあるが、僕のほうでなんかもう居心地が悪くなり、よすことにしたのだった。本人たちに向かって宣言したわけではないが、もうこの1ヶ月くらいは既に一緒に入っていない。僕がプールやジムのあと、シャワーやら浴場やらで風呂を済ませて帰るようになったというのもきっかけになった。
 異性の親と子どもがお風呂に一緒に入らなくなるのって、子どもが多感な時期に入っていろいろなことを意識するようになって拒む、というのが一般的なパターンで、普通の大人はその部分への意識が一切ないから、いきなり子どもから拒絶を伝えられてショックを受けたりするのだと思うが、その論でいくと、僕はやっぱりだいぶ意識をしているということになるのだと思う。僕は女の子の女の子らしい発育のことを神聖化しているところがあるので、自分の娘にそれが顕れ、目の当りにしてしまうのが、嫌なんだと思う。その点に関しては、一生ベールに包んだまま、幻想を抱いていたいのだ。自分以外女の家で育ち、自分以外女の家庭を持って、なおも。

 令和になって以来、妻・母・姉を除く誰からも1通もLINEのメッセージが届かない、ということを何十日か前に書いたが、それから今日時点で、いまだにその状態は継続している。ちなみに妻・母・姉と並べると、まるで後半のふたりとも頻繁に連絡を取り合っているかのようだが、もちろんそんなことはなく、両者ともGWの帰省の際に事務的な連絡をしただけのことで、だから実質的には妻としかしていない。妻としかしないなんて、なんと貞節な夫だろうか。結果論的に極度の愛妻家みたいなことになっている。
 令和になって75日ほどが既に経過している。「令和初メッセージ」への思いは、この期間が長くなればなるほど、いやが上にも高まっていく。いつか届いた暁には、「あなたのそれが、令和になって僕に初めて届いたメッセージだったんだよ!」と相手に伝えてやりたい。即座にブロックされることだろうと思う。

2019年7月8日月曜日

バナナまもる・40キロ台・交際記念日

 大好きなバナナを携帯するために、「バナナまもるくん」という商品を購入した。バナナの形をしたプラスチックのケースで、これに入れることでバナナが鞄の中で圧迫されず、黒くならない。さらには半密閉状態にすることでシュガースポットとかの熟成にもいい効果があるとされるが、そっちはまあそんなに重視していない。バナナはどっちにしろおいしいから。
 しかしこのバナナまもるくん、製品の性質上、一般的なバナナよりもふた回りくらい大きいサイズに仕上がっているため、わりと大きい。僕は毎日ちょっとしたボストンバッグくらいの鞄で出勤しているので問題ないが、普通の鞄だとかなりのスペースを取るだろう。しかも持ち運んだバナナを食べたあとは、ただのバナナ型の空っぽのケースになるので、僕のようにバナナ愛が強い人間でないと、けっこう持て余すアイテムではないかと思う。
 持て余すと言えば、3本ほどで1袋になっているような、1本1本が巨大なバナナだと、バナナまもるくんのキャパオーバーとなり、入れることができない。巨大なバナナというのはわりと本当に巨大なので、それにも対応するケースとなったら、なんかもうそれはそれだけでちょっとしたポーチくらいになってしまうのだと思う。というわけでそういうバナナを買ってしまったときは、仕方がないので裸で持っていく。
 バナナまもるくん持ちとしては、バナナまもるくんの容積に対応したサイズのバナナを買えよ、という話なのだが、どうしても大きいサイズのバナナを選んでしまう癖が抜けない。このさもしさは、食欲の発露でもあるが、同時にやはり性欲もだいぶ作用していると思う。(この大きさはまもるくんに入らねえだろうな)と思いながら買って、家で試してやっぱり入らなくて、(ああ、やはりまもるくんに入らない威容であることだ)と満足する。規格外に大きすぎて拒まれる感じ、悪い気がしない。逆に小ぶりのバナナしか売ってなくて(5本とか6本で1袋)、仕方なくそういうのを買って帰り、バナナまもるくんに入れたときのスカスカ具合は本当に哀しい。プライドがズタズタにされる。

 肉体改造とか言って、酒をやめ、なので晩酌で麺類とか食べるのもやめ、チョコレートもやめ、おせんべいもやめ、飴もやめ、ごはんの量も減らし、そしてプールとかジムとかやっていたら、当然の帰結として痩せた。体組成計を買ったのが5月の頭で、それからほぼ毎日計測しているのだが、この2ヶ月で4キロちかく痩せて、先日とうとう体重が50キロを切ってしまった。53、52、と来て、51キロになったときに、こうなったら50キロを切りたいな、とは思ったが、実際に切って40キロ台になってみたらちょっと引いた。身長の伸びが止まってから、いまがいちばん体重が少ないのではないだろうか。本来の目的は筋肥大だったのが、体重とか体脂肪って数字で目標を立てやすいので、なんかそっちにだいぶ熱がいってしまっていた。もうシェイプアップはいい。ここからはきちんと筋肥大に集中していこうと思う。

 7月8日ということで、ファルマンとの交際開始記念日である。16周年である。去年が、交際15周年と結婚10周年(8月8日)だったので、今年はぜんぜん節目じゃない。なのですさまじくピンと来ない。16年といったらずいぶんな年月だが、夫婦生活も10年を超えてくると、それはもう短距離走でも中距離走でもない、長距離走の領域に突入するようで、銀婚とか金婚とかの、スケールの大きな世界で捉えたらまだまだ序盤という気もしてきて、これからしばらくの人生ではこのふたつの記念日について、そんなぼんやりした気持ちを抱き続けるのだろうと思う。いいことだと思う。ぼんやり平穏に流れ、続く暮しがいちばんだ。

2019年7月3日水曜日

カウントダウン・ハリポタ・7月

 ラグビーのワールドカップが今年、日本で開催されるということは前から知っていて、しかしラグビーというものを観る習慣がないので、それほど関心を持たずにいたのだが、その開催日というのがあろうことか9月20日で、それに向けてあちこちでカウントダウンがなされていることを知って、俄然それへの愛着が湧いた。ちなみに開催まで今日の時点であと79日らしいが、もしかしてだけど、もしかしてだけど、ラグビーワールドカップにかこつけてホントは俺の誕生日を祝える日を心待ちにしてるんじゃないの。そういうことだろ。

 ハリーポッター第2巻、秘密の部屋を読み終える。1巻を読み終えたのが6月23日なので、1巻もそうだったが、また10日もかかった。実にゆったりと読むことだ。
 毎年刊行されていた当時、中盤で脱落するまでは読んだので、この2巻なんかは確実に読んでいるのだが、内容はさっぱり覚えていなかった。最後のほう、わりと印象的な「そうだったのかよ!」みたいなことが判明するのだが、それもすっかり忘れていた。やー、まさかリドルがねえ……。
 それにしても魔法界というのは、魔法省などもあってだいぶ規模の大きな世界であるように見えて、どうも人間関係が狭い範囲でぎすぎすしている感じもあり、実際のスケールがよく分からない。実はすごく小さいコミュニティの話なんじゃないか。ヴォルデモートもさ、もう自分の出身校のことなんか忘れろよ。田舎のおっさんじゃないんだから。

 そんなわけで今年も7月に突入した。
 使っているカレンダーは2ヶ月にいちどめくるタイプのもので、だからおととい5・6月のところから1枚めくって、7・8月の面にしたのだけど、毎年のことながら7・8月というものの放つエネルギッシュさに、なんだかくらくらした。7・8月って、他の5組に較べて桁違いに輝いている(逆にいちばん輝いていない組は5・6月だと思う)。ちびまる子ちゃんでいう、大野くんと杉山くんのようなイメージだ。だから学生時代に大野くんと杉山くんのポジションにいた人間は、7・8月のきらめきを素直に享受できるのだろうけど、そうでない人間は、そうでないのに強制的にそこへ身を置くことになるわけで、結果このような、こうしちゃいられないような、期待感を大きく上回る焦燥感に襲われるのだと思う。夏が好きな人間は、人生の早い段階でバージンを喪失できた人間である場合が多い、という研究結果もある。知らないけど多分そうなので研究結果があることにした。夏を翳りなく喜べる人間になりたかった人生でした。