2020年6月30日火曜日

電話帳・水泳・インフルエンサー母

 先日、ガラケーの契約が2年にいちどの更新時期に入り、それはそのタイミング以外で解約などをしようとすると違約金として結構な額を払わされる期間のことで、なにもしなければ自動更新となるわけだが、そもそもガラケーというのが、詳しくは忘れたが(さんざん「切り替えろ!」という要旨のダイレクトメールを受け取ったくせに)、なんかもうあと数年ほどで使えなくなるというし、それに近ごろはあまりにもガラケーを持っている意味がなさすぎる状態(もはや目覚まし時計と、保険や不動産投資の勧誘を受けるだけの機械だった)になっていたため、このタイミングでもういっそガラケーはやめることにした。それでガラケーをやめてスマホに乗り換えたのか、といえばそんなことはなくて、携帯電話の番号は、持っているタブレットへと移し、つまりタブレットだけの体制となったのだった。タブレットだけで通話はどうするのか、という話だが、まあ本当に電話というのは滅多に掛かってこないし、もしも掛かってきたらオンフック状態で話せばいいだけなので特に問題はないだろうと思う(一応マイク付きのイヤフォンも買った)。ガラケー+タブレットからスマホに一本化、というのなら話は簡単だったのだけど、やはりいちどタブレットを持ってしまうと、スマホの小さい画面にはどうしても抵抗があり、このような選択となった。
 そのような、通常の乗り換えではない移動だったためか、これまでの乗り換えの際には必ず行なわれてきた電話帳のデータ移行が、今回は行なわれなかった。そのためガラケーの電話帳の画面を眺めて、本当に必要そうな番号だけを、タブレットの通話アプリの電話帳に自分で入力することにした。
 その結果、入力がなされた番号は、祖母と叔父(LINEで繋がっていないため)、実家、ファルマンの実家、そして行きつけのカラオケ店と、車検やオイル交換をしてもらっている車の整備工場、というラインナップだった。本当にこれだけなのだった。
 これまでは乗り換えのたびに自動で電話帳データを移行され続けていたため、携帯電話を持ちはじめた高校時代のクラスメイトの番号までもが電話帳には残っていた。そいつらとなんか、卒業以来いちどもなんの交信もしていないので、もう18年間、なんの意味もなくずっとデータだけが存在していたことになる。それでも僕がそうであるように、アドレスはもちろんさまざまな変遷があったろうが(そもそも携帯電話のメールアドレスなんてもはや存在しない可能性のほうが高い)、電話番号はずっと変わっていない人間もいるだろう。それが18年間音信不通となると、もうひたすらに怖い。発信したら、18年後の同級生(おっさん)が不審げな声で「もしもし?」と話すかと思うと、怖くてしょうがない。そもそもこれまでデータが残っていたことがおかしかったのだ。これはまた「18年」が「14年」になるだけの大学時代の知人もほとんど同じで、ここらへんの番号はばっさりと切った。さらには書店員時代の同僚や島根時代の人たちも、どう考えても今後の人生で関わり合いを持つとは思えなかったので、番号は入力しなかった。
 そして、新しい電話帳は先述の通りのラインナップとなった。こうして書くと、自分のこれまでの人生というものに思いを馳せ、なんとなく寂寥感のようなものを抱きそうになるのだけど、僕の人生は別に、その時々の関わりを持った人々によって形作られたり彩られたりしているわけでは決してないので、まあいっか、と思う。

 気温が高まっていることで渇望感があり、プールへはそれなりの頻度で通っている。
 先日そこで驚くべき出来事があった。何往復か泳いで、端までたどり着いたところで息が上がったので少し休んでいたら、隣のレーンで同じく立って休憩していた中年男性が、こう話しかけてきた。「お兄さん、泳ぐの上手いねえ」。こんなことは初めて言われたので、思わず「ええっ」と声を上げてしまった。たしかに水泳の本を何冊も読んでフォームに気を配ったりもしたが、そもそもの体力や運動神経の素養がそれほどでもないので、プールにおいてたびたび遭遇する、「マジでめっちゃスイスイ泳ぐ輩」を見ては、(俺はどんなに練習してもあの次元までは行かないんだろうなあ)と諦観している僕である。なので、「いや、そんなことないと思いますよ!」と全力で否定した。すると中年男性はさらに「そう? 大会とか出る人じゃないの?」と言ってくる。これには「まさか!」と大きな声が出た。中年男性は、ビート板を持って泳いでいたので、ビギナーであることは間違いなかったが、それにしたって見る目がなさすぎるだろうと思った。そう思ったけど、まあ、もちろん悪い気はしなかったよね。お金とかあげたくなったよね。

 minneに出品したものが相変わらずぜんぜん売れないのだが、そのことを憂えたファルマンが、何を思ったのか、僕の母親にLINEで、minneの僕のページを紹介したのだった。
 これまで母へはヒットくんやクチバシのトートバッグを何枚かあげたのだが、どうやら母は実際にそれを街で使ったり、仲のいい友達に1枚プレゼントしたりしているようで、「かわいいって言ってたよ」とか「店員さんに褒められたよ」などという報告がちょくちょく来るので、じゃあもう販売ページを教えて広めてもらおうよ、とファルマンは考えたようだ。たしかに、インフルエンス能力があまりにも壊滅的な我々夫婦よりも、関東在住ということもあり、母のほうがよほど宣伝力に期待が持てるのは確かだ。とは言え、この時代、この年齢で、作品の宣伝が母の口コミ頼みというのは、果たしてどうなのかと我ながら思う。我ながら思いつつも、ひとつ目の話題で書いたように、僕は過去の人間関係を大事にせずバッサリ切ったりするので、そこはもうしょうがないんだと思う。なにかもう、他人との交感というあたりの機能に、(僕は淡くファルマンは濃く)問題があるんだと思う。なので母にがんばってもらうしかない。新商品ができたら送ろう。

2020年6月22日月曜日

ミラーレス一眼・大丈夫・いいんだよ

 なんか40万円もらえたので、カメラを買った。ミラーレス一眼というやつ。
 ポルガの誕生直後に買った一眼レフカメラが、最近いよいよとぼけてきていて、どうも簡単には取り除けない場所に入り込んだゴミが、撮った写真に入り込むし、そもそもそのゴミのせいで撮りたい対象にちゃんとピントが合わないという事態になっており、そんな状況で僕もファルマンもタブレットを持つようになったため、公園に行くときなども、カメラはタブレットでいいか、となる場面が増え、しかし別に性能の優れたものではない我々のタブレットで撮影する写真のクオリティはたかが知れているし、かといって一眼レフカメラをわざわざ持っていっても、大きい画面で見たらちょっとぼやけてる写真ばっかりだし、といった感じで、この1年2年くらい、わが家の写真環境は実はとてもよろしくなかった。今回の購入により、それがようやく打開されたのだった。もしも「自分で稼いだわけではないひょんな40万円」などという、本当に稀有な収入がなければ、まだ当分その状況が続いていただろうと思う。
 買ったのは、標準レンズとズームレンズがセットになったもので、これまでの子どもの幼少期は、標準+単焦点のセットだったのが、子どもがふたりとも小学生になったタイミングでズームレンズという選択になったのは、とても実利的だなあと思う。これで運動会や発表会の撮影もバッチリだ。
 もっともなぜ40万円の収入があったかといえば新型コロナの流行によるもので、そして新型コロナの流行によって運動会も発表会も軒並み中止となっており、なんだかこれはどことなくO・ヘンリーの「賢者の贈り物」のような話だな、と思う。

 「大丈夫」という言葉は、ファルマンが「好きな言葉は?」と訊ねられたときの回答でもあるのだが、もともとは頑強な男のことを指すものであり、「ますらお」と打っても「大丈夫」と変換されるほど「益荒男」と意味は近く、そして「大丈夫」の時点でもうっすらと感じられたことだが、「益荒男」となると、いよいよ男性性のシンボル的な雰囲気は高まり(「ま」と「ら」が連想させる部分も大きい)、そう無邪気に好意を宣言してよい言葉なのだろうか、という気もしてくる。
 さらには先日あるとき気づいたのだが、悪い男がいたいけな女の子を、半分騙すように籠絡しようとするとき、男はやけに「大丈夫だから」と言うのだった。たとえばビキニをちょっと持ち上げておっぱいを見せてもらいたいとき、あるいはちんこを触ってもらいたいとき、逡巡する女の子に向かって、男は「大丈夫だから、大丈夫だから」と、なにが大丈夫なのか知らないが、やけにその言葉を繰り返す。でもこれはよく考えれば、いまどきの「大丈夫=安心安全」というイメージがむしろ間違いなのであって、男の唱えるそのフレーズで女の子が「安心だから、安全だから」という解釈をするのは勝手だが、男はあくまでそれを、「健康な男の性的発露によるものだから、健康な男の性的発露によるものだから」という意味で使っているわけで、ここに大きな落とし穴がある、と思う。だってこの場合、「大丈夫だから」で安全が担保された、などというのは女の子の勘違いに過ぎない。男は、「大丈夫だから」と、堂々と宣言した上で欲情をぶつけているのだ。これは裁判でもよく争点になる部分だ。知らないけど断言してみた。

 minneへの出店からもう1ヶ月以上が経つのだが、まだいちども売れていない。なんでだよ、と思う。「nw」に出店報告をした際、分け合えば余る、ということを書いたが、みんなちょっとわきまえ過ぎだ。分け合い過ぎだし、余り過ぎ。もうちょっとガツガツしていい。いいんだよ。パピロウオリジナルデザインのトートバッグが1800円。たしかに信じられない安さ。たとえば最高級黒毛和牛1キロが100円だといわれたら、なるほど買いづらいかもしれない。数に限りがあるサービス価格。自分だけ得してやろうとそれに群がることに抵抗感を覚えるのは、文明人としては当然のことだろう。僕のブログを読んでいるあなたがたは特にその傾向が強いので、そのあまりの品性、そして貞節さが邪魔をして、とてもじゃないが、まるで乞食に恵んでやるような値段のトートバッグに手を挙げられないのだろうと思う。分かるよ。分かるけど、でもいいんだよ。パピロウの手の掛かったものを1800円で買っても、いいんだよ。にわかには信じられないかもしれない。そんな僥倖があってたまるか、という疑念はなかなか消えないだろうと思う。でもがんばってその理性に逆らい、一歩を踏み出してほしい。夢みたいな幸福をあなたに。

2020年6月10日水曜日

シーズン2・佐々木希・プールとミシン

 「THIS IS US」のシーズン2を観終える。観終えてしまった。primeには今のところここまでしかないのに。明日からいったいどうすればいいのだろう。
 内容はもちろんおもしろかった。しかし物語を成立させるためとはいえ、ピアソン家の人々は本当にトラウマだらけだな、と思った。観ながら犬ドッグのことを何度も思い出した。エテモンキーは鍵だらけだし。
 どうせすぐには観られないのだし、ということで、2を最後まで観てすぐ、シーズン3と、この春にアメリカでの放送が終わったばかりのシーズン4の、あらすじをウェブで読むということをしてしまう。その結果、観たら観たで、それはもちろんついていけるし、おもしろく感じるのだろうが、いま現在の気持ちとしては、「なんか、もう、いいかな……」というふうになった。過去のエピソードの掘り返しも、現代の人間関係の広がりも、さすがにもうこれ以上いらない、と思う。しかしそのふたつを否定してしまったら、「THIS IS US」とは一体なんなのか、自分はこれまで「THIS IS US」のなにをおもしろいと思って観ていたのか、という話になってくるので、まあ気長にシーズン3を拝める日が来るのを待とうと思う。わりと先でいい。

 渡部建が不倫をしていた、ということで大騒ぎだ。
 なぜこうも騒ぎになるかといえば、渡部建の最近の売れっ子ぶり、というのももちろん大いにあるが、しかしいちばん大きな理由はこれだろうと思う。
 渡部建の奥さんは佐々木希だから。
 それなのに、だから。
 奥さんが佐々木希なのに不倫をする。これはどうにかスマートなフレーズに仕立てれば、50年後くらいにはことわざになっているくらいの現象だと思う。漁夫の利、とか、船頭多くして船山に登る、みたいなのに混じって、奥さんが佐々木希なのに不倫、というのが辞典に並ぶ可能性がある。意味としては、「いちばん価値のあるものを持っているのに活用せず、それより劣るものに固執すること」みたいな。サッカーに圧倒的な才能を持っているのに、頑なにリフティングしかやらない生徒に向かって、教師が「お前、このままだと奥さんが佐々木希なのに不倫、だぞ」と言う。あるいは佐々木希の側に立って、「佐々木希でも不倫される」という表現をしてもいい。この場合の意味は、「世の中には最善を尽くしてもどうしようもないことがある」になるか。万全の準備をして本番に挑むが、それでも失敗することはある。それで落ち込んでいる相手に言ってやる。「くよくよすんなよ、佐々木希でも不倫される、だよ」
 なんて言いつつも、まあ、夫婦にはいろいろあるんだろうな、ということも思う。

 先日からちょいちょいプールに行っている。
 プールは市営のものが再開したから行っているわけだが、どうもまだあまり大きな声で「プール行ってきたぜ!」とは言えない風潮があると思う。東京都の、緊急事態宣言が解除された途端に感染者がまた増えた、なんて現象が、ますます自粛警察の力を強めるのではないかと危惧している。いつまでもすっきりしないな。
 それはそれとしてプールはやっぱり気持ちいい。久しぶりだし、いつの間にか初夏だから、なおさらだろう。しかし相変わらず自分の体つきに満足がいかない。1200メートルほども泳ぎ、これは相当にパンプアップされたことだろう、と思って更衣室に戻ったら、そこにはプニョンとした体の男が映っているのだった。思わず目を疑った。そんなはずないだろう!? と鏡の中の男に詰め寄りたい気分だった(ノイローゼだ)。
 そんなことがあった翌日とかに、家で縫製の作業をしていて、その区切りをつけたところで風呂に入ることにして脱衣所で服を脱いだら、洗面台の鏡にやけにパンプアップした体が映し出されていたので、目を疑うとか、詰め寄るとかじゃなく、もはや奇怪だった。なんでやねん! なんでプールよりもミシンのほうが筋肉つかっとんねん! と鏡の中の男に詰め寄りたい気分だった(やっぱり詰め寄りたくなった)。
 もうこうなったら「縫製トレーニング」という新手法で本を出そうかな。手芸の本でありながら、トレーニング法も書かれているのだ。いいな。俺なら買うな。逆にいえば俺しか買わないかもな。

2020年6月3日水曜日

負荷・唇マスク・虫

 筋肉がつかない。それまで拒んできた筋力について、つけるほうに舵を切って1年余り。イメージでは現状、もう少しシャープでパキパキした体になっているはずだった。途中、そういう気配はあったのだけど、それはただ痩せて、体重も50キロを切り、最低限の筋肉が表層に出ただけの、あのやつだった。筋肉の形と一緒にあばら骨とかも見えるやつ。こういうことじゃない、とそこからまた方向転換し、たくさん食べ、糖質も意識的に摂って、体重を増やすことにした。それでいまは56キロくらいになったのだが、そうしたら往時の筋肉はまた内側に潜ってしまい、それを脂肪が覆う、ぜんぜんシャープじゃない肉体が爆誕した。とは言えそれは、2年よりもっと前の、筋トレとか一切せずに暮していた頃とは、組成としてはだいぶ違うと思う。その実感はある。でも実感があってもしょうがないのだ。大事なのは客観的な見た目なのだ。客観といっても他人ではない。そうそう他人に肉体を見られる機会はない。僕の肉体をいちばん多く客観的に見るのは、他でもない僕自身である。その僕が満足しない。やわらかそうな体だな、と見て思う。実際、ファルマンは近ごろ半袖になった僕の二の腕を、「気持ちいい」といってたびたび揉む。そんなはずあるか。大胸筋を鍛えるためにダンベル種目をやって、でもダンベルってけっこう難しくて、腕ばっかり鍛えられちゃうんだよね、というのは筋トレあるあるだが、僕は大胸筋はもちろん腕にも一向に筋肉がつかない。なぜだ。胸に行ってほしい負荷が腕に行ってしまう、じゃないのだ。腕にも行ってないのだ。じゃあ日夜ダンベルを持ち上げている負荷はいったいどこへ行っているのだろう。ちんこだろうか。ちんこならいっそいいのに、そんな様子は微塵もない。うちの負荷知りませんか。

 先日ニュースでちらっと見たのだけど、どこかの地方の飲食店、たしかうなぎ屋だったと思うのだが、その店の従業員は、口を覆ってしまう不織布マスクは冷淡な感じがするとして、マスクの上に唇のシールを貼っていて、これが客になかなか好評、という話があった。写真を見ると、従業員の中年女性たちが、わりと巨大で真っ赤な唇マークのシールを貼ったマスクを着け、みんながこちらを見つめていて、なかなか迫力があった。
 マスクに口を、といえば、先日「nw」に記事を書いた「「回」マスク」である。「回」マスクはいちど試作品を作っていまいちな結果になって以降、特になにも進展していない。しゃべるとき、マスクの中の実際の口に合わせて、もう少しマスク表面の「口」が動けばおもしろいのになー、などと思案しているが、解決の兆しは一向にない。うなぎ屋の唇シールのマスクは、そこらへんに関する思索は一切ないだろう。また真っ赤な唇マークに関して、ちょっと下品ではないだろうか、などという逡巡もたぶんない。中年女性の集団にそんな葛藤はない。あるのは勢いのみである。そしてそれは少し羨ましい。勢いって大事だよね。

 今年は毛虫が多い。田舎暮しになってからの8年余りで、ここまでそのことを強く感じたことはないので、今年はたしかに大量発生しているのだと思う。職場の駐車場が山の麓のような場所にあり、枝葉が伸びているその下に車を停めるような環境なので、労働を終えて車に戻ると、屋根やフロントガラスに何匹かの毛虫が鎮座していたりする。いうまでもなく、非常に気持ち悪い。またその毛虫が、実に気持ち悪い外見なのだ。頭の中に、思うままに最高に気持ち悪い毛虫の姿を思い浮かべてくれれば、それがほぼ実物そのものだろうという、そのくらいに気持ち悪い。毛がまた長くてさ。あいつが成虫になったらどういう虫になるのか、たぶん蛾だろうとは思うが、いったいどんな蛾なのか、知りたい気持ちはあるのだが、外見の特徴で検索をかけたりすると、真相にたどり着くまでに、見る必要のなかった毛虫の画像を大量に見なければならないと思うと、する気にならない。ちなみに車の上に毛虫が鎮座していたら僕はどうするのか、というと、「見なかったふりをして出発する」だ。そうしたら家に着く頃にはいなくなっている。それ以外に方法はない。同僚はフロントガラスについたやつを、「突っついて振り払うつもりで」ワイパーを作動させたら、それはもう惨憺たることになったらしい。想像したくない。
 あと虫つながりで、これも職場の話になるのだが、同僚が今日「家族でホタル見に行ったりしないの?」と訊ねてきたので、「いやー、行ったことないですね。ホタルなんてどこ行ったら見られるんですか?」と訊き返したのである。訊き返しながら、たぶん県北とかそういう話なんだろうなあ、と大体の予想をしていた。そうしたら同僚が、「あそこのファミマを左に曲がって、まっすぐ進んだあと看板が出てるからそこを右」と、駅前でラーメン屋の場所を訊ねたときくらいの説明をしてきたので驚嘆した。俺とホタルの生活圏はそんなに近かったのか。だとしても別に行かないけど(そこにはきっと毛虫も大量にいるのだろうし)。