2020年6月10日水曜日

シーズン2・佐々木希・プールとミシン

 「THIS IS US」のシーズン2を観終える。観終えてしまった。primeには今のところここまでしかないのに。明日からいったいどうすればいいのだろう。
 内容はもちろんおもしろかった。しかし物語を成立させるためとはいえ、ピアソン家の人々は本当にトラウマだらけだな、と思った。観ながら犬ドッグのことを何度も思い出した。エテモンキーは鍵だらけだし。
 どうせすぐには観られないのだし、ということで、2を最後まで観てすぐ、シーズン3と、この春にアメリカでの放送が終わったばかりのシーズン4の、あらすじをウェブで読むということをしてしまう。その結果、観たら観たで、それはもちろんついていけるし、おもしろく感じるのだろうが、いま現在の気持ちとしては、「なんか、もう、いいかな……」というふうになった。過去のエピソードの掘り返しも、現代の人間関係の広がりも、さすがにもうこれ以上いらない、と思う。しかしそのふたつを否定してしまったら、「THIS IS US」とは一体なんなのか、自分はこれまで「THIS IS US」のなにをおもしろいと思って観ていたのか、という話になってくるので、まあ気長にシーズン3を拝める日が来るのを待とうと思う。わりと先でいい。

 渡部建が不倫をしていた、ということで大騒ぎだ。
 なぜこうも騒ぎになるかといえば、渡部建の最近の売れっ子ぶり、というのももちろん大いにあるが、しかしいちばん大きな理由はこれだろうと思う。
 渡部建の奥さんは佐々木希だから。
 それなのに、だから。
 奥さんが佐々木希なのに不倫をする。これはどうにかスマートなフレーズに仕立てれば、50年後くらいにはことわざになっているくらいの現象だと思う。漁夫の利、とか、船頭多くして船山に登る、みたいなのに混じって、奥さんが佐々木希なのに不倫、というのが辞典に並ぶ可能性がある。意味としては、「いちばん価値のあるものを持っているのに活用せず、それより劣るものに固執すること」みたいな。サッカーに圧倒的な才能を持っているのに、頑なにリフティングしかやらない生徒に向かって、教師が「お前、このままだと奥さんが佐々木希なのに不倫、だぞ」と言う。あるいは佐々木希の側に立って、「佐々木希でも不倫される」という表現をしてもいい。この場合の意味は、「世の中には最善を尽くしてもどうしようもないことがある」になるか。万全の準備をして本番に挑むが、それでも失敗することはある。それで落ち込んでいる相手に言ってやる。「くよくよすんなよ、佐々木希でも不倫される、だよ」
 なんて言いつつも、まあ、夫婦にはいろいろあるんだろうな、ということも思う。

 先日からちょいちょいプールに行っている。
 プールは市営のものが再開したから行っているわけだが、どうもまだあまり大きな声で「プール行ってきたぜ!」とは言えない風潮があると思う。東京都の、緊急事態宣言が解除された途端に感染者がまた増えた、なんて現象が、ますます自粛警察の力を強めるのではないかと危惧している。いつまでもすっきりしないな。
 それはそれとしてプールはやっぱり気持ちいい。久しぶりだし、いつの間にか初夏だから、なおさらだろう。しかし相変わらず自分の体つきに満足がいかない。1200メートルほども泳ぎ、これは相当にパンプアップされたことだろう、と思って更衣室に戻ったら、そこにはプニョンとした体の男が映っているのだった。思わず目を疑った。そんなはずないだろう!? と鏡の中の男に詰め寄りたい気分だった(ノイローゼだ)。
 そんなことがあった翌日とかに、家で縫製の作業をしていて、その区切りをつけたところで風呂に入ることにして脱衣所で服を脱いだら、洗面台の鏡にやけにパンプアップした体が映し出されていたので、目を疑うとか、詰め寄るとかじゃなく、もはや奇怪だった。なんでやねん! なんでプールよりもミシンのほうが筋肉つかっとんねん! と鏡の中の男に詰め寄りたい気分だった(やっぱり詰め寄りたくなった)。
 もうこうなったら「縫製トレーニング」という新手法で本を出そうかな。手芸の本でありながら、トレーニング法も書かれているのだ。いいな。俺なら買うな。逆にいえば俺しか買わないかもな。