2020年6月22日月曜日

ミラーレス一眼・大丈夫・いいんだよ

 なんか40万円もらえたので、カメラを買った。ミラーレス一眼というやつ。
 ポルガの誕生直後に買った一眼レフカメラが、最近いよいよとぼけてきていて、どうも簡単には取り除けない場所に入り込んだゴミが、撮った写真に入り込むし、そもそもそのゴミのせいで撮りたい対象にちゃんとピントが合わないという事態になっており、そんな状況で僕もファルマンもタブレットを持つようになったため、公園に行くときなども、カメラはタブレットでいいか、となる場面が増え、しかし別に性能の優れたものではない我々のタブレットで撮影する写真のクオリティはたかが知れているし、かといって一眼レフカメラをわざわざ持っていっても、大きい画面で見たらちょっとぼやけてる写真ばっかりだし、といった感じで、この1年2年くらい、わが家の写真環境は実はとてもよろしくなかった。今回の購入により、それがようやく打開されたのだった。もしも「自分で稼いだわけではないひょんな40万円」などという、本当に稀有な収入がなければ、まだ当分その状況が続いていただろうと思う。
 買ったのは、標準レンズとズームレンズがセットになったもので、これまでの子どもの幼少期は、標準+単焦点のセットだったのが、子どもがふたりとも小学生になったタイミングでズームレンズという選択になったのは、とても実利的だなあと思う。これで運動会や発表会の撮影もバッチリだ。
 もっともなぜ40万円の収入があったかといえば新型コロナの流行によるもので、そして新型コロナの流行によって運動会も発表会も軒並み中止となっており、なんだかこれはどことなくO・ヘンリーの「賢者の贈り物」のような話だな、と思う。

 「大丈夫」という言葉は、ファルマンが「好きな言葉は?」と訊ねられたときの回答でもあるのだが、もともとは頑強な男のことを指すものであり、「ますらお」と打っても「大丈夫」と変換されるほど「益荒男」と意味は近く、そして「大丈夫」の時点でもうっすらと感じられたことだが、「益荒男」となると、いよいよ男性性のシンボル的な雰囲気は高まり(「ま」と「ら」が連想させる部分も大きい)、そう無邪気に好意を宣言してよい言葉なのだろうか、という気もしてくる。
 さらには先日あるとき気づいたのだが、悪い男がいたいけな女の子を、半分騙すように籠絡しようとするとき、男はやけに「大丈夫だから」と言うのだった。たとえばビキニをちょっと持ち上げておっぱいを見せてもらいたいとき、あるいはちんこを触ってもらいたいとき、逡巡する女の子に向かって、男は「大丈夫だから、大丈夫だから」と、なにが大丈夫なのか知らないが、やけにその言葉を繰り返す。でもこれはよく考えれば、いまどきの「大丈夫=安心安全」というイメージがむしろ間違いなのであって、男の唱えるそのフレーズで女の子が「安心だから、安全だから」という解釈をするのは勝手だが、男はあくまでそれを、「健康な男の性的発露によるものだから、健康な男の性的発露によるものだから」という意味で使っているわけで、ここに大きな落とし穴がある、と思う。だってこの場合、「大丈夫だから」で安全が担保された、などというのは女の子の勘違いに過ぎない。男は、「大丈夫だから」と、堂々と宣言した上で欲情をぶつけているのだ。これは裁判でもよく争点になる部分だ。知らないけど断言してみた。

 minneへの出店からもう1ヶ月以上が経つのだが、まだいちども売れていない。なんでだよ、と思う。「nw」に出店報告をした際、分け合えば余る、ということを書いたが、みんなちょっとわきまえ過ぎだ。分け合い過ぎだし、余り過ぎ。もうちょっとガツガツしていい。いいんだよ。パピロウオリジナルデザインのトートバッグが1800円。たしかに信じられない安さ。たとえば最高級黒毛和牛1キロが100円だといわれたら、なるほど買いづらいかもしれない。数に限りがあるサービス価格。自分だけ得してやろうとそれに群がることに抵抗感を覚えるのは、文明人としては当然のことだろう。僕のブログを読んでいるあなたがたは特にその傾向が強いので、そのあまりの品性、そして貞節さが邪魔をして、とてもじゃないが、まるで乞食に恵んでやるような値段のトートバッグに手を挙げられないのだろうと思う。分かるよ。分かるけど、でもいいんだよ。パピロウの手の掛かったものを1800円で買っても、いいんだよ。にわかには信じられないかもしれない。そんな僥倖があってたまるか、という疑念はなかなか消えないだろうと思う。でもがんばってその理性に逆らい、一歩を踏み出してほしい。夢みたいな幸福をあなたに。