2020年1月31日金曜日

コロナ・オマーン・とうとう散髪

 新型コロナウィルスというものが流行っていて、ファルマンもその話ばかりしている。タピオカの次はバナナジュースとかいっていたが、そんなことなかった。コロナウィルスだった。
 ウィルスってやっぱり、生きものにとっていちばん大事な、生存に関わるものなので、その禍に際すると、普段なるべく取り繕っている自制心のある人間性みたいなものが取っ払われ、恥や外聞なんて概念のない、生きもの本来の姿がさらけ出されると思う。中国の、武漢の人々に対する、自警団によるあんまりな処置なんかを見ていると、しみじみとそう思う(もっともその様を眺めて半笑いを浮かべる我々もまた、それはそれで恥も外聞もないのかもしれない)。
 昨日観た映像では、自警団の人々は、武漢から帰ってきた一家の家のドアに木片を打ちつけて開けなくして、さらにはドアの横に、「この家の住民は武漢帰りだから接触してはならない」という貼り紙までしていた。ウィルスすごい。ウィルスひとつで、世界はこんなに簡単にディストピアめくのか、と感心した。
 ところでこの貼り紙というのが、もちろん中国語(簡体字)なのだが、それが赤い紙に黄色い文字で記されているのである。いかにも中国の人のセンスでデザインされたもので、なんだか目を奪われた。「nw」で記したように、カッティングマシンを買ってオリジナルTシャツ作りにハマっているところなので、わりと世の中の全てをその対象として見ているところがあり、それを見て「ありなのではないか?」などと思った。赤いTシャツに黄色いシートで、「この家の住民は武漢帰りだから接触してはならない」というTシャツ。不謹慎にもほどがある。

 今日の新聞に、1月10日に亡くなったという、オマーンのカブース前国王への追悼が、広告の扱いで一面を使ってなされていた。学がないので、カブース前国王のことはこれまで知らなかったし、オマーンという国が日本とどういう関係を持つのかも知らなかった。ただ去年の12月9日に、Twitterでこう詠んでいた。「我が国の国際情勢なぜそんな気にするのかとオマーン大使」。オマーンという国は、僕にとって本当に、本当に、国際情勢や国際空港のことしか思い浮かばない、そんな国なのである。なんかこう書くと、まるで救いようのない阿呆な子のようだ。そんなことないのに。新聞を見て、「オマーン国王、おまーんこくおう……」と2回呟いたけど、そんなことない。

 髪を切った。前にも書いたが、ずっと伸ばしていた。去年の8月からいちども切っておらず、そろそろ結べようかという頃合いだった。人生の最長記録だったろう。毎朝の爆発はとんでもなく、整髪剤とヘアピンが必須で、さらには入浴後のドライヤーも時間がかかったが、自分的にはとても満足していた。しかしファルマンからの評判はすこぶる悪かった。切れ、切らせろ、寝てる間に切ってやろうか、ということを、この2ヶ月くらいの間に何百回いわれたろう。何百回じゃない。千回を超える。でもぜんぜん切る気持ちにならなかった。ピイガと、卒園式までには切るという約束をしたので、まだまだ伸ばすつもりだった。
 つもりだったのだが、なんか唐突に、もういいかと思って、先ほど切ってもらった。そしたら、すごくいい! めっちゃすっきり! 頭が軽い! そして顔も明るい! 若返った! いま、その効果のほどに感動している。短い髪がこんなにいいものだったなんて。
 こんなによくなるんなら、なんでもっと熱心に、切るべきだといってくれなかったのか、とファルマンにいったところ、あああ!? とヤンキーみたいに凄まれた。

2020年1月19日日曜日

十二国記・クラT・Fっぽい

 ようやく十二国記の最新作「白銀の墟 玄の月」を読んだ。先週から読みはじめ、読みはじめたら全4冊を猛スピードで読むほかなかった。1、2巻と3、4巻が1ヶ月置いて刊行されるということで、4冊が出揃ったら読もうと思っていて、でも1、2巻が出た時点で好奇心からウェブ上のレビューを読んでしまい、そうしたら評判があまりよくないので、なんとなくテンションが下がってしまった。そしてこんなタイミングでの読書となった。4冊を読み終えた感想としては、1、2巻の時点で読むのがくじけそうになるのも仕方ないかなー、と思った。4冊一気に読んでも回避しきれずちょっとクラクラする局面があったので、これで1、2巻で1ヶ月間を置かれたら、それはつらかったろう。刊行されてすぐに読んでくれる熱心なファンに対して無慈悲な刊行形式をとったものだと思う。幸い僕は愉しめた。分かってはいたけど、この作者はとんでもないものを書くな、としみじみと思った。架空の世界で物語を書くとなったら、もっと華やかで気楽で派手なものを書こうとするもんだろう。こんな地味で細かくてせせこましいことを書くなら、もういっそ現実でいいじゃん、と思った。とはいえこれは解説の人もいっていたが、特殊設定下でのミステリ的な部分もあるので、だとすればこれは4巻目のあの場面のカタルシスのための、とてつもなく長い特殊設定の説明なのかもしれない。すさまじいことだな。今年には短編集が刊行予定とのことで、そっちは華やかな、ファン心を素直にくすぐるような話であればいいなと思う。肩の力を10分の1くらいまで抜いてほしい。

 ネットサーフィンをしていたら、受注生産のオリジナルデザインTシャツの制作販売のホームページに行きついた。受注生産のオリジナルTシャツとは、つまりクラスであったりアマチュアのスポーツチームであったり、なんかそういう集団が心をひとつにするために着用する、あれのことだ。僕の人生でこれまでいちどもなく、というか今後なんかしらの集団に所属して、おっさんおばさんと揃いのTシャツを着たってなんにも愉しくないので、高校時代に学校祭用のクラTを作らなかった時点で(そもそも男子校に進学した時点で)、僕の人生は既にこの文化とは完全に隔絶しているといっていい。そんな僕が、そのホームページを眺めていてなにを思ったかといえば、完全に架空のサンプルなのか、あるいは実際の制作例なのかは判然としないが、何点か表示されているそのクラT、それを買って着たいじゃないかよ、ということだ。たぶん美術部の奴とかがデザインしているので、それなりによくできていて、若者らしいまっすぐでさわやかなテイストで、そしてなにより、クラス全員のファーストネームが羅列されていたりする。ここがいい。ひとりも知らないけど、俺もこれを買って着れば彼らと結束できるんじゃないかと思う。あるいは女子校と思しき女子の名前しかないTシャツというのもそそる。それを着ているということは、じゃあ俺は彼女たちの担任なのかな、という気持ちになれる。いいなあ。実にいい。クラT部外者販売。けっこう需要があるんじゃないか。発注する高校生に対して、部外者販売をオッケーにしてくれたら割引とかにすればいいのだ。ウィンウィンではないか。ちなみにメルカリにクラTって出品されてないのかな、と覗いたがさすがになかった。

 最近ちょっと字を書いたり絵を描いたり、努めてそういうことをしているのだが、久しぶりに絵を描いて思ったことに、僕は相変わらず本当に動きのある絵が描けない。マネキンのように、直立している絵しか描けない。それに対し、近ごろドラえもんの絵ばかり描いているポルガは、それは要するにF先生の模写なので、シンプルながらも絵に動きがあり、羨ましく思う。僕も小学生の頃、ドラえもんの絵ばかり描いていたのだが、基本的に頭部の絵しか描かない子だった。もうその時点から、能力的なものは露呈していたということだろう。
 先日、動きのある絵の代表として、走っている絵が描けるかどうか、という話になった。ちなみに僕は描けないのである。ファイナルファンタジーのサボテンダーみたいなのしか描けない。それはつまり、「走っている人」のマネキンでしかないということだ。ところがポルガは「描けるよ」といって、スラスラと鉛筆を走らせはじめた。それで、マジかよすげえなあ、と思って眺めていたら、ドラえもんやのび太の顔がみんな正面を向いているではないか。「いや、走ってる絵を描けよ」と指摘したら、「走ってる絵だよ」と答える。どういうことかと思っていたら、紙の画面奥からこちら側に向かって走ってくる構図の絵だった。走ってる絵というお題でそのショットを描くかよ、と驚愕した。泳いでいる魚の絵が、得てして左向きに泳いでいるものであるように、走っている人の絵は、右から左に向かって走る様を描くものだと決めつけていたので、とても意外だった。振り上げている手なんか、ちょうど水平になっている袖の部分が、正円で表現されていた。なんかFっぽい、そんな部分ちゃんと見たことないけどたぶんFっぽい、と思った。

2020年1月16日木曜日

バナナ・炎・よそ者

 いつものサウナに入っていたら、ちょっと珍しく若者のグループがやってきた。高校生のようだ。いつも腹の突き出たおっさんしかいないので、その若さと細さに驚いた。
 その若者のひとりが、仲間の若者に向かって、こう問いかける。
「なあ、タピオカの次に流行るものって知ってる?」
 なになにその話、と食いついた。なんて興味をそそる導入だろうか。
 するとそれに対して、問いかけられた若者はこう答えた。
「知ってるよ。バナナジュースだろ」
 ええー! と心の中で驚きの声をあげた。いつものようにタオルを頭に被せながら、目を瞠った。
 タピオカの次はバナナジュース……、そういわれてみればたしかにありそうな絶妙のポイントだな……、しかしこの取って付けたような会話は本当だろうか……、なんか芸人のネタとかじゃないのか……、などと思念が渦巻いた。
 帰宅してからネットでバナナジュースを検索したら、なんか本当にそういうことをいっている人たちがいるようだった。若者のブームを生の声で先取りした、と思った。

 腹の突き出たおっさんたちは、場所中なので相撲の話に花を咲かせていた。田舎のおっさんどもはやっぱり外国人力士が嫌いなようで、メタメタにいっていた。稀勢の里や御嶽海にばかり声援を送り、白鵬へはブーイングをする勢いの観客ってどういう人たちなんだろうと思っていたが、なんのことはない普通のおっさんたちなのだった。
 その中で炎鵬の話題になり、「炎鵬はいいなあ」「炎鵬は小さいのによくやってる」と、おっさんたちはやっぱり小兵力士のことも好きであるらしかった。その話の際に、ひとりのおっさんが炎鵬のことを「れんほう」といってしまい、他のおっさんたちが「蓮舫はちがう」「蓮舫て」と総出でツッコむ、という一幕があった。
 そしてそのうちのひとりのツッコミがこうだった。
「炎じゃあ」
 この言い方が、さすがは岡山、リアルノブで、なんだか感動した。 

 斯様に地元密着の浴場に、もちろん顔見知りがいるはずもないので終始無言で、そしてそれなりの頻度で通っているのだが、たまに館内アナウンスが掛かり、「……近ごろ盗難事件が多発しております。貴重品の管理には十分お気を付けください……」みたいな内容が流れると、身に覚えなどないのになんだかうすら寒いものを感じる。この環境で、本当に盗難事件があったらば、僕のような存在は真っ先に疑われるのだろうな、と思う。

2020年1月6日月曜日

ねずみ・ピイガ6歳・凄王

 昨年末に「今年の仲間内10大ニュース2019」を投稿したことで、年間の恒例行事は無事にすべて完了したのだった。多い。11月下旬から年末まで、恒例行事が多すぎる。皇室かよ、と思う。ちなみに本来ならば年始に干支4コマをアップしなければならず、だとすればそれも年賀状のように、年末のうちに準備をしておかないといけないのだが、それはもちろん年が明けた現時点でもやっていない。干支のネズミのキャラクターデザインそのものが、どうしたもんだろうかなあ、という感じで何度か紙に描いてみたりしたが、まだぜんぜん定まっていない。ネズミって既存のキャラクターが多いので扱いやすいような気がしていたが、案外そうでもない。なんとなく顔が尖っているイメージがあり、そうなってくるとかわいくしづらいのだった。まあでもほら、ネズミ年は1年あるから。

 ピイガが誕生日を迎えた。1月4日。なんともいえない日付だとしみじみと思う。三が日なら三が日で、もう親戚の集いの中で誕生日を祝ってしまえばいいと思う。でもそうじゃない(3日の25時半くらいに産まれたのだ)。その一方で、正月気分が完全に取り払われたかといえば、もちろんそうでもない。正月と日常のあわいの、まだ頭が現実に追いつかないぼんやりしている頃に、そこへ向けて誕生日の祝いの準備をしなければならないのである。これが6年目になっても慣れない。もしかしたらいつまでも戸惑うのかもしれないと思う。ケーキはクリスマスに続いて、オーソドックスないちごのショートケーキ。それにしてもいちごはやけに高かった。また1月4日の悪口みたいになるのだが、スーパーのチラシを眺めていたら、1月5日はいちごの日ということで、いちごがちょっとだけ安くなっていた。まったくもって間が悪い。
 それにしてもピイガが6歳。春からは小学生。まるで嘘のようだと思う。相変わらず小さいし。しかし小さいけど声はデカく、動作も激しく、わが家でいちばん音を発していることは間違いない。ポルガは基本的に物静かで、そして周囲のことを一切気にしない人間なので、その正反対であるピイガの存在は、とても尊い。ファルマンがダダかわいがってダダ甘やかすものだから、女王気質がいよいよ増長してきているきらいはあるが、今後も健やかに全力でバカ明るく生きていってほしいと思う。

 そんなわけで、今年の冬休みが終わる。長く愉しんだ。相変わらず家族や親類とばかりいて、他者とは一切絡まなかった。でもそれでいい。
 今年の目標としては、いろいろ思うことはあるが、一言でいうならば、ぼんやり生きたくないと思っているので、そのための具体的な方策として、「すごい」ってなるべくいわずに1年を過そうと思っている。実際の発言でも、文章でも、深く考えずに「すごい」っていい過ぎではないかと、昨年末にふと思ったのだった。だからこれまで「すごい」で済ましてしまっていたところを、ちゃんと別の表現でいうようにしようと思う。結果的にそれがぼんやり生きないことに繋がるのではないかな、と目論んでいる。目の付け所がすごいよね。