2022年4月19日火曜日

筋肉・キムシャブ・飛行機

 それぞれのワクチン接種の副反応で中断してしまったが、その少し前あたりから、ファルマンと一緒にHIITをしている。HIITとは筋トレと有酸素運動を兼ね合わせたもので、ファルマンは運動不足の解消、僕は筋肥大と脂肪減を目的に、YouTubeの動画に合わせ、3日にいちどくらいのペースで行なっている。行なうと、次の日に僕は筋肉痛に襲われるのだけど、ファルマンはほとんどそれがないというので、びっくりする。日々、HIIT以外にもせっせと筋トレに励んでいる僕が筋肉痛になり、この時間以外はガラパゴスゾウガメレベルの動きしかしないファルマンは筋肉痛にならない。なぜ、と思う。同じ動きをしているようで、実は僕はちゃんと体を刺激できていて、ファルマンはそれができていない、というのならいい。しかしそれよりも、筋トレ程度では覆せない地力、という考え方のほうが、正直しっくり来る。どんなに筋トレをしてもいつまでもやわらかさのある僕の体(かわいすぎる)に対して、特になんにもしていないファルマンのバキバキたるやどうだ。抗えない事実として、肉牛でいうなら品種みたいな、そういうものを感じる。加えて、前に書いたが、阿呆な奴のほうが、日々のありとあらゆる動きに際し、効率のいい動きというものを一切しないものだから無駄に肉体を使い、しかし結果としてそれが絶え間ない筋力トレーニングになっている、という例の説のこともある。そんなふうに考えて、このやるせない現実を受け止めている。

 吉野家の取締役が言い放ったという、「生娘をシャブ漬け戦略」という言葉が、やっぱりすごくおもしろい。ワードのチョイスがいいのに加え、語呂もいい。近年の流行語でいうならば、「激おこぷんぷん丸」にも匹敵する完成度ではないかと思う。これまで編み出されたすべての「〇〇戦略」の中で、たぶんいちばんおもしろいと思う。あまりに秀逸なので、演劇でいうところの、役に役者のイメージがついてしまうみたいな現象で、今後は「戦略」という言葉を聞くたびに、(生娘をシャブ漬け……)と頭の中に浮かんでしまうだろうと思う。それくらいすごい。すごくひどい。こういう失言の類には、言葉の綾とか、文脈とか、作為的な切り取りとか、そういった弁明がつきものだが、そんなものを完全に受け付けようがない、完膚なきまでのアウト発言。10点満点。見事だ。
 ちなみにファルマンはこの話題を知って、なにをどう感じたかといえば、島根から所沢に出てきて、ひとり暮しで、プロぺ通りの吉野家で牛丼ばかり買って食べていた日々のことを思い出したそうだ。シャブ漬けにされた生娘だったのだった。

 飛行機に乗ることになり、一日のうちの何分間かは、そのことに思いを馳せている。乗っている時間は1時間半ほどなので、その間なにか、空を飛んでいるという阿呆な現実を忘れられるくらい、熱中できるものがあればいい、と思う。そうして考えたとき、やっぱりエロしか思い浮かばない。席は2列のシートを前後で取り、子どもたちをそれぞれ窓側に座らせる予定で(飛んでいる窓の外を見たいなんて狂気の沙汰だと思う)、だから隣には娘が座るわけだが、それでもこのときだけは許してもらって、ぜんぜん普通にエロ漫画を読んで、ぜんぜん普通に勃起して、ぜんぜん普通にちんこをこすったりしていようかな、などと思う。あまりの恐怖に、飛行機が落ちなくても社会的に死ぬ方法さえ検討し始めた。

2022年4月17日日曜日

日々・眼鏡・カムカム

 3月の最終週にコロナワクチンの3回目を接種して、金曜日だったが、翌週の火曜日あたりまで違和感があった。周囲にも、1回目と2回目はそうでもなかったが3回目は来た、という人はけっこういた。その次の週末が広島旅行だったので、かなり気忙しかった。旅行を終えて、次の週末には法事があった。ファルマンの父方の祖父の七回忌である。それ自体は日曜日の午前が潰れるだけのことなのだが、実はそれ用に娘たちの礼服を手作りすることにしており、その製作が、ワクチン接種の副反応や旅行のことなどでなかなか捗らず、かなり綱渡りの完成になってしまった。またその日々の中で、たった1泊2日の旅行記を6回にも分けて書くということをしていたため、結局この3週間ほど、普通の日々に普通のブログを書くということが、ぜんぜんできなかった。要するに、ちょっとバタバタしていた。バタバタといっても、外的な要因によって悩まされるとかではなく、ほとんど自主的なものなのだけど。しかしそこからもようやく抜け出し、いま差し当たって抱えている物事はない。嬉しい。筋トレして、裁縫して、ブログを書く、通常運転の日々の再開である。

 眼鏡を買った。とうとう買った。正月に買えず、広島で買えず、岡山に行ったときに、などと思っていた眼鏡だったが、やはりこれまでの眼鏡のレンズに入った傷は限度を迎えていて、目が疲れて瞼がピクピクする頻度は高まっており、それを見かねたファルマンが、「いいからもう島根の店で手を打ちなさいよ」と背中を押してきて、えー、でも島根の店にはいいのがないんだよなー、などと文句を言いながら、それでも行くだけ行ってみるかと覗いた店で、「あ、これいいじゃん」というものにあっさりと出会い、買った。さんざん引っ張っておきながら、買うときは呆気ないものだった。
 購入の際、視力検査をしてもらう。ここ2回くらいは、いま着けている眼鏡と同じ度数で、という注文をしていたのだが、瞼がピクピクするのが仕事中であることを考えると、これまで「ちょっと裸眼よりも目が良くなる」というコンセプトで作ってもらい、常に着けていた眼鏡だったが、本来の、18歳のときに初めて作った際の理由である、運転用に特化した、ちゃんと遠くがはっきりと見える仕様で作ってもらい、運転中は着け、労働中は外すという使い方をこれからはしようと思ったのだった。それで検査してもらったところ、「今までの眼鏡だったら更新が通りませんでしたね」と言われ、ヒヤッとした。そして2段階ほど度合を上げてもらった。着けると、ぐいっと遠くがはっきり見える。そこまで強く見えなくてもいいんだけどな、とも思うが、運転中は本来そうあらねばならぬものであったらしいのでしょうがない。そしてこれは、もちろん労働中にはとても着けていられない。
 そんなわけで週明けから、労働中は裸眼の人となる。えーどうしよう。ずっと眼鏡だったので、急な裸眼はなんだか恥ずかしいな。デビューみたいじゃないか。

 なんとなく気忙しかった日々の最中、毎日欠かさず視聴した「カムカムエブリバディ」が終了した。最後まで非常におもしろく、おかげでとても愉しい日々を送ることができた。100年の物語ということで、あのときのあの少年が老人となり、ここぞという場面で登場、みたいなことがあるんだろう、と前に予測したが、こちらの期待通り後半はもうそれの連続で、あまりの連続さに作者の狂気さえ感じるほどだった。連続テレビ小説にしろ大河ドラマにしろ、NHKのドラマではよく「ロス」ということがいわれ(それだけみんなNHKのドラマをよく観るんだろう)、放送中のハマり方からすれば僕もロス状態になってもおかしくないはずなのだが、実際はぜんぜんそんなことなく、カムカムがない日々を普通に受け入れている。たぶんそれは最後のその怒涛のサービスで、きちんとお腹いっぱいになったからだと思う。ちょうど満足したので、気持ちよく店を出て、振り返ることもなく、帰宅して、消化して、排便して、健やかなんだと思う。それって創作物としてすごいことだと思う。