2018年12月29日土曜日

連休・元号・今年の締め

 仕事が納まり、年末年始の連休が始まる。すごく嬉しい。普段3連休で嬉ションしそうになっていることを思えば、年末年始の大型連休なんて、昇天してもおかしくないと思う。それなのにいま僕がこうして良い姿勢を保ったままキーボードを打てているのは、たぶんスケールが理解できていないということなのだと思う。ありがたさのスケールが把握できていないくせに、心の余裕だけは闇雲に確保してしまっていて、連休1日目の今日は、大したこともせずにのんべんだらりと過してしまった。連休って逆にこうなりがち。まあ今日に関しては、帰省前のエアポケットのような日だから仕方ない面はあるが、帰省から戻ったあとの日々でこんなことにならないよう、しっかりと自覚を持ち、計画を立て、堂々たる嬉ションを実行したいと思う。

 来年は5月1日から元号が変わるわけだけど、今日の新聞に、その新元号の発表は、開始の1ヶ月前にすると決定した、と書いてあった。だとすれば、5月1日の1ヶ月前ということは、それは4月1日ということになるのだろうか。新元号の発表って、平成のときのことはリアルタイムでは覚えていないが、パロディではさんざん目にしてきて、そのためただでさえネタ的なイメージがあるのに、しかもその発表がエイプリルフールとなると、もうすっかり大喜利の様相を呈してくるのではないかと思う。一億総大喜利。欲しがります、笑うまでは。もしも本当に4月1日に発表ということになると、日本中の有象無象が放つネタ回答に紛れて、どれが本当なのか判らないという事態にまで陥りそうな予感がする。なので政府は4月1日発表と言いつつ、3月31日とかにフライング発表し、4月1日用にネタを用意していた国民(お調子者タイプの)を、悔しがらせればいいと思う。

 昨日「仲間内10大ニュース2018」を投稿したことで、ブログの年間行事が無事にすべて終了した。めでたい。年越しを前に、やり切った清々しさがある。10大ニュースでは、去年の記事内の文章を引用したりして、長く続けてきたことの蓄積を、うまく活用することができた(内容も珠玉の出来だった)。ファルマンも言っていたが、とにかく続けることが大事なのだと、今年の年間行事をこなしていて、しみじみと感じた。「cozy ripple流行語大賞」は10周年で、「パピロウヌーボ」内で10年間の流行語を振り返ったし、「パピ労の日報告」では今年も朝青龍がコメントをくれた。そして「干支4コマ」では、最初の寅年からなんとなく入れていた右下の通しナンバーが、今年でとうとう100に到達したのだった。長年をかけて培ってきたものが、いよいよ円熟してきたのを感じる。なにしろログである。溜まってなんぼなのだ。じゃあ続けていれば、またこれからもっと愉しくなるということか。いいなあ。いついつまでも続けようと思う。
 というわけで今年の投稿もこれでおしまい。ご愛読ありがとう。ご投稿ありがとう(俺)。

2018年12月15日土曜日

プリキュア・ヌーボ・はためき

 ファルマンとピイガが幼稚園に登園する前、とても余裕のある朝の準備をしている時間帯に、地方局で過去のプリキュアの再放送というのを毎日しているのだそうで、それでにわかにわが家のプリキュア熱が高まっている。女の子を育て始めてそろそろ8年になるが、ようやくである(ひとり目はドラえもんからハリーポッターへ進んだ)。
 とにかく平日に毎日やるので、進行が早い。観始めたときは「スマイルプリキュア」だったのが、先般終了し、翌日から「ドキドキプリキュア」になった。こういうアニメって、1年を通して観ることによって、子どもはその1年間、ずっとそのプリキュアとともに日々を暮し、そしてともに成長するみたいな、そういう感慨のあるものなのだと思うが、この視聴にはそういうのが一切ない。愉しんではいるが、心が寄り添う感じは一切ない。さらに言えば、本放送では物語中のプリキュアが用いるアイテムのおもちゃなどが流れていたに違いないCMの時間も、地方局なので本当になんのマーケティング的な思慮もない、鈑金工場とか、渋い銘菓とか、そんなものばかりが流れるのだった。
 ところでどうして僕が流れるCMまで知っているかと言えば、にわかなプリキュア熱の高まりは、ファルマンとピイガだけにとどまらず、ポルガや僕にまで派生しているため、録画したものを夜に観たりしているからだ。
 観てみたら、まあなかなかおもしろい。娘とともに観るので、なんとなく感じ入る部分もあるのだと思う。たまにちょっと涙が出そうになり、驚くときがある。

 グータンヌーボが復活するというニュースに驚いた。
 さすがに江角マキコが司会ではないのだけど、タイトルをそのまま用いる、正式な系譜に連なる番組になるようで、ちょっと驚くと同時に感動する部分があった。だって「キャサリン三世」がそうであったように、おんなじような内容の番組を、別のタイトルでやったってよかったのだ。でもやっぱり「グータンヌーボ」が、ネームバリューもあり、人々の心に訴求するものがあると判断されて、そういう結果になったわけである。
 そこに、パピロウヌーボを続けてきた身として、誇らしい思いがある。僕はこの数年間、グータンヌーボの灯が絶えることのないよう、薪をくべ続けてきたのだと、言えないこともないと思う。
 それがようやく大きな燭台に移され、僕は役割を終える……、ということはもちろんない。番組はたぶん2年弱で終わるから、そのあともやっぱり僕は、正式な系譜に連ならない、あの活動を続けていくのだと思う。

 異世界ブームってなんなの、と思う。ラノベで流行るのはいくらでも勝手にやればいいけど、ラノベの流行りは、そのまま美少女文庫や二次元ドリーム文庫へも降りかかってくるので、それで迷惑を被っている。
 異世界とか本当に興味がない。姫とか、半裸のアーマーの女戦士とか、魔王とか、そんなものを性欲の対象にするには、想像の羽で飛び越えなければいけないハードルがあまりにも多くて、億劫だ。そこまではためかせられない。はためかせたくない。
 途轍もなく極端なことを言ってしまうけど、エロ小説の舞台って、永遠に高校だけでいい。高校から出ようとするから、はためく必要が出てくる。もう翼なんて退化してしまっていい。それで校舎を囲む高い塀を飛び越えることができず、一生そこに閉じ込められるんでいい。本当にそう思う。

2018年12月3日月曜日

うさんくさい・きもい・おじんくさい

 cozy rippleじゃないほう、でおなじみの流行語大賞が発表される。
 年間大賞は「そだねー」だそう。なんとも忌々しいことだ。
 他になかったのかよ、と思ってトップテンを見てみると、「(大迫)半端ないって」なんかは大迫選手も中西氏も登壇できないので、そこが都合悪かったのかな、と思ったり、まさか大賞でもないだろうが「スーパーボランティア」も尾畠さんが受賞を辞退したというし(この人は普通に立派な人だと思う)、結局のところ代表者がほいほい出てくれるこれにあげるしかなかったのかな、と思う。
 あとトップテンに「奈良判定」が入って「悪質タックル」が入っていないのはどう考えてもおかしい。「奈良判定」というフレーズもよかったが、どちらが広く長く世間を騒がせたかと言えば、確実に「悪質タックル」だろう。まあこれはおかしいと言うか、僕が思っている以上に、日大というのは力を持っているということだろう。うさんくさ。

 11月は、ファルマンと、母と、姉と、義妹としか、LINEのやりとりをしなかった。
 こんなはずじゃなかった。LINEを始めたらこんなことにはならないはずだった。
 母とは年末年始の帰省についてのやりとりだったし、義妹とは月頭に義妹がこちらに来たときの送迎のやりとりだったので、これらは言わば事務的な交信である。たとえ僕がLINEをやっていなくても、電話で同じ内容のやりとりが繰り広げられただろう。それに対して姉は、姉の息子の通う幼稚園で劇をやるにあたり、衣装の作製を課せられたので、それについての相談をしてきたのだった。これはたぶん僕がLINEを始めていなければ、わざわざ訊ねてこなかっただろうと思う。つまり、姉くらいなのだ。少し長めの棒を振り回して届くようになる距離関係にいたのは、姉だけだったのだ。じゃあなんだ、僕がLINEを始めた意味は、姉弟間のコミュニケーションのためか。きもいわ。

 さんまの季節がそろそろ終わる。今年は豊漁だったこともあり、わりと堪能した。生さんまの塩焼きは、やっぱりしみじみとおいしかった。しかもそこへ新米なのだから、秋という季節はほとほとありがたいものだと、おじんくさいことを思った。
 さんまが終わるのは哀しいが、そのぽっかり空いた心の隙間を、ぼちぼち回転ずしに現れ始めたあん肝軍艦が救ってくれるのだ。ああ、魚のはらわたが好き。大好き。