2023年11月14日火曜日

BGM・日本シリーズ・からし

 ホームグラウンドプールのBGMが自由だ。たぶん本当に自由なんだと思う。規定とかがなくて、その日のシフトの職員が、掛けたい曲を掛けているんだと思う。
 Adoであるとか、BTSであるとかは、「いまどきの曲」として、違和感がない。「いまどきの曲」というのは、時代ごとに違うものなのに、やはりその時代の空気感に寄り添っているから「いまどきの曲」なわけで、きちんと「そのとき」であれば、お葬式とかを除けばあらゆる場面で受け入れられるようになっているものだと思う。
 映画音楽チャンネルにでも合わせたのか、「ハリーポッター」や「トップガン」、「2001年宇宙の旅」の音楽が流れたときは違和感があった。普段と同じいつものプールなのに、なんか物語性があるような気がした。「トップガン」のときは心なしかクロールのスピードが速くなった気がしたし、「2001年宇宙の旅」のときは新しい時空へ突入するような気がした。
 これまででいちばん印象に残っているのは、尾崎豊の「卒業」が流れたときで、平日夜の、子どもなどひとりもいない、健康志向のおっさんおばさんしかいないプールに響く、「卒業」。これほどふさわしくない音楽もそうそうないだろう。25mを延々と往復して、水の抵抗に逆らい続け、あがき続け、俺たちはどこへ向かうべきなのか。しかしだとしたら、いまどき「卒業」を掛けるのにふさわしい空間って果たしてどこなのだろう。お葬式とかだろうか。

 ちょっともう古い話になるが、タイガース対バファローズの日本シリーズが行なわれ、タイガースが優勝したのだった。シリーズ中は世の中が盛り上がっていて、そういうのには素直にミーハーなので、チャンネルを合わせて中継をちょっと観たりもしたのだけど、もちろん僕以外の3人は野球にまったく興味がないので、そこまでがっつり眺めはしなかった。もとより僕自身、話題に乗ってチャンネルを合わせるだけで、がっつりスポーツを眺める素地は持っていない。
 そんな日本シリーズを垣間見て、ファルマンがこう言ったのが印象に残っている。
「日本シリーズって、いる?」
 なんかちょっと前にも決定戦みたいのやってたのに、またやってんの、と。
 今年もまた、毎年恒例の、プレーオフ(クライマックスシリーズ)は不要ではないのか論争が繰り広げられていたが、そんな議論はもう時代遅れらしい。時代の先を行くファルマンともなると、もはや日本シリーズが必要なのか、という境地である。ちょっと前に決定戦みたいのやってたんだからもうあれでいいじゃん、と。140試合やって優勝チームを決めて、そのあと同じリーグの3位と2位と1位とで改めて短期決戦をして、それで勝ったチームがバンザイしておしまい。セだのパだの知らねえ。
 非常に大胆で、希少価値のある意見であると思う。NPBにはぜひ一考を望みたい。

 納豆には、たれとともにからしの小袋が入っているけれど、あんまり使わない。わが家の場合、子どもは使わないし、大人も、納豆を納豆として食べるときには入れるけれど、卵と混ぜるときや、オムレツに入れるときなどは、たれは使ってもからしは使わない。だからからしの使用率は、20%未満だと思う。つまり納豆3個パックふたつ分、6個の納豆を消費したとして、からしの小袋は5個も余る計算となる。
 余ったからしは、とりあえず冷蔵庫のドアポケットの最上階、刺身を買ったときに付いてくる個包装の刺身醤油などと同じエリアに放り込むわけだが、既にそこには、何ヶ月前のものだか知れない、よく見ると謎の作用でなんか成分が分離している感じになっている小袋があったりして、まったく活用できていない。ここからからしがすくわれるケースとしては、お弁当に焼売を入れるときであったり、チューブのからしを切らしたときであったりするのだけど、それはきわめて稀だ。
 今ではすっかり駆逐されてしまったけれど、かつて大容量タイプのヨーグルトにはかなりの分量のグラニュー糖の袋が封入されていて、あれも各家庭で持て余されていた。しかしグラニュー糖は、なんだかんだで料理にも使えるので、消費のしようがあった。からしにはそれがない。からしを調味料として使う料理として検索したら、「辛し和え」というものが出てきた。そんなものは作らないし、しかも小袋の大量消費にはならなそうである。
 もういっそグラニュー糖と同じくからしの封入をやめてしまえばいいのではないかという話だが、しかし15%以上20%未満くらいの確率で、からしは必要なのである。完全になくされると(いささか)困る。
 というわけで考えたのが、「からしプチ当たり方式」である。当たったあなたは幸運、というほどの低い確率ではなく、3個パックのうちのひとつには入っているくらいの割合で小袋を入れるのだ。使わないときは冷蔵庫に入れておいて、次に納豆を買って、からしを入れたかったのに3つともにからしが入っていなかったときに使えばいい。そのくらいの案配で、からしの不良在庫はゼロにすることができると思う。でも現実的じゃないだろうな。同じ値段で内容が違うことになるわけで、クレーマーの餌食だろうな。

2023年11月2日木曜日

流行語・かわいそ(笑)・排出権

 10月が終わり、11月になった。今年もあと残り2ヶ月。そのことに信じられないような思いもありつつ、cozy ripple名言・流行語大賞のために1年の日記の読み返しをしているので、まあたしかに10ヶ月、ちゃんとかどうかは別として、生きてはいたな、という確信もある。
 ところで本日、世間一般のほうの新語・流行語大賞のノミネート語が発表になった。30語。納得のいくものもあればそうでないものもあり、しかしその感想は毎年きれいなくらい均一だな、ということを思った。過した1年も、その30語も、毎年ぜんぜん違うのに、その一覧を眺めて抱く思いは必ず一緒。だとすれば賞の理念として強固な一貫性があると言えるかもしれない。大賞は「アレ」で岡田監督はきっと上手なスピーチをするし、とにかく明るい安村も登壇することになるだろうから、今年の授賞式は久しぶりにまあまあ盛り上がるのではないかと思う。あとひとつ気になるのは、サッカーのW杯は2022年の12月だったのだが、こちらの賞というのは、cozy ripple名言・流行語大賞のように、昨年のノミネート語発表の翌日からが集計範囲ということにはなっていないのだろうか。「ブラボー!」や「三苫の1ミリ」が、30語の中に、影も形もない。だとすれば11月12月にいくら言葉を流行らせても徒労だということになる。別にサッカー派というわけでもないが、なんとなく釈然としないものを感じる。だって、それじゃあ1年間の流行語ではなく、10ヶ月間じゃないか。

 新語流行語のノミネートにも入っていたが、「X」である。
 実は心の奥底では脅威だったり憧憬だったりを抱いていないこともなかったTwitterがあんなことになってブロガーとしては胸がすく思いだ、ということは前に書いた。名前がXになったり、有料サービスになるという噂が現実味を帯びたり、それだけで「ハハッ、かわいそ(笑)」と思っていたのに、ここへ来てイーロン・マスクは、Xを将来的には有料の出会い系サービスにするつもりでいる、というニュースを目にし、なんかもう、さすがに不憫になってきた。Twitterがアイデンティティみたいになっている人って、世の中にわりとたくさんいただろうに、宇宙船地球号で考えれば、大気が汚れたとか、文明が荒廃したとかいう、叡智を結集すればなんとかできるかもしれない局面を超越し、これはもう地球そのものが壊れてなくなります、というレベルの話だ。もうジタバタしてもしょうがないのだ。世界は、神様のスイッチひとつで簡単に消え去ってしまうみたいな、Twitterをやっている人たちというのは、今そういうSF哲学みたいな境遇にあると思う。かわいそ(笑)。

 ちょっと遠出をする予定があり、車内で流す音楽を、それ用に新しいプレイリストを作成しようぜという話になり、ひとり25曲、4人で100曲ということでどうか、となったのだが、実際のところ曲を25曲もホイホイ選べるのは中学生のポルガのみで、あとの3人は25曲なんて持て余すのだった。しかしポルガだけ25曲で、他の人間が少ないと、高頻度でボーカロイドの中二病っぽい歌詞の曲ばかりを聞くはめになるので、ポルガが20曲、他は15曲ということで手打ちとなった。
 この擦り合わせの際、はじめ与えられていた25曲の権利のうち、10曲分を400円ほどでポルガに販売するのはどうか、そうした場合、僕の曲が15曲、ポルガの曲が35曲ということになるが、400円儲かるならいいな、などと思い、これは炭素の排出権ビジネスとまったく同じ発想だな、と思った。カーボンニュートラルとは、これくらいくだらない話なんだな、ということを実感した。