2021年11月28日日曜日

迷惑・最低・疑惑

 鳥取旅行のあと、実は家族で体調を崩していた。わが家の体調崩しイベントが、8割5分くらいの確率でポルガから始まるご多分に漏れず、今回もそうで、ポルガは実は2日目の帰りの車内では、すでに密閉された空間で咳を撒き散らしていた。それは蔓延するわ。結局のところポルガは、前回のおろち湯ったり館がそうであったように、寒い時期に家以外で風呂に入ると、もれなく体調を崩すのだろう。ファルマンの話を伝え聞くに、いろいろな種類の湯がある場所に行くと、「すべての湯に入ること」をひたすら目的にして、あったまる間もなく移動を繰り返すらしいので、それで風邪を引くんだろうと思う。非常に迷惑だな。鳥取旅行そのものはいい記憶として刻まれたが、しかしやっぱりもう二度と、寒い時期に家族で温浴施設になんか行くもんかと思った。もっともそのうち頼んだって一緒に来てくれなくなろうな。

 アサヒの販売している「マルエフ」というビールのCMで、新垣結衣が「おつかれ生です」というのが、とても助かる。若い女が、「やっぱり生がいい」だとか、「生が好き」などと飲みの席でいうのを、下卑た男が、「ぐへへへ。だけどちゃんと避妊したほうがいいと思うよ」だとか、「ぐへへへ。ピル派なの?」などと茶化すの、今はもう本当にやったらいけないし、じゃあCMのガッキーに対してもやったらよくないのだけど、まあ相手に直接いうわけではないし、お茶の間でひとりぐへへへする分にはいいじゃないかと思い、存分にやっている。ガッキーがそのフレーズをいうのはCMの後半なので、前半からずっと、「ゴムかな? 生かな? ゴムかな? 生かな?」とやきもきしている。そして結果としてガッキーは必ず「生」なので、「生かー! やっぱ生かー! 新婚だもんなー!」と盛り上がりは最高潮となる。愉しく生きている。

 テレビで放送したので、録画をして、「アナ雪2」を観た。まあまあおもしろかった。前作あれほどヒットしたのに、人気に甘んじることなく、迎合した単純な話にするのではなく、むしろこちらを置いてきぼりにするくらい飛ばした物語だったので、ちょっと感心した。感心したと同時に、これって筋はだいぶ「もののけ姫」だな、とも思った。そのあと検索したら、「アナ雪2 も」と打ったところで、やっぱり「アナ雪2 もののけ姫」と出てきて、みんな考えることは一緒だな、と思った。
「Do you know princess mononoke?」
「No! We don't know ashitaka sekki!」
 めっちゃ知ってんじゃねえか。

2021年11月17日水曜日

ウミガメ・集団・寝つき

 海底火山が噴火して、海に大量の軽石が流出して大変だ、という話があって、海とはわりと近い距離感で暮しているが、なにぶん日本海側なので、その危機感にはあまりピンと来ずにいる。ただ一連の報道の中で、「軽石を誤ってたくさん飲み込んでしまったウミガメが発見された」というトピックがあり、これには思うところがあった。すなわち、ウミガメはなんでも飲み込んでしまいすぎなのではないのか、ということである。ウミガメといえば、人間が捨てたスナック菓子の袋を飲み込んでしまって窒息死、という話が有名で、だから海をきれいにしなければいけません、なんてことが説かれるわけだが、今回の軽石の件で、海に人間の捨てたゴミが出てしまうのはもちろんよくないことなのだけど、しかしウミガメというのはどうやらわりとなんでも誤飲するようだぞ、ということが判明してしまったために、この話の説得力はこれから弱まるのではないかと思った。

 ポルガの小学校のクラスで、5年生ともなるともうなかなかに面倒なようで、詳細はよく分からないのだが、女子の大半が授業をボイコットして図書室に避難する、という出来事があったそうで、このくらいの年頃の女子というのは、とみに集団になりたがる傾向があって、たぶん発端はわずかな人数の話だったのが、首を突っ込んできたり、慰めたり、諫めたり、あるいは単純に流れに乗って、あるいは仲間外れになるまいとして、どんどん人数が増えていって、そのような結果になったのだろうと思う。そのときポルガはどうしていたかといえば、「女子の大半」と書いたのは、全員ではないからで、先生が収束のために動き、授業が行なわれず自習となった教室で、ほとんど男子しか残っていない中、これは好都合とばかりに、その日の宿題をやっていたそうで、お前さすがだな、と思った。ポルガはいい意味でも悪い意味でも、本当に人の気持ちが分からない人間なので、今後も独自のポジションを確立し、周囲に妨害されずにやりたいようにやってくれたらいいなあと、親として思う。

 寝つきが相変わらずいい。布団に横になってから、寝つくまでの、記憶がいつもない。当然である。記憶もなにも、その時間は存在がないのだ。横になった瞬間、僕はもう寝ているのだ。本当にあまりにも寝つきがいい。そうではないファルマンからは、たびたび恨みがましい口ぶりで、その寝つきのよさを揶揄されるのだが、「俺にだって寝つけなかった夜はある」と反論したところ、寝つくまでに時間がかかり、慣れていないものだから必要以上に慌て、騒ぎ立てし、ホットミルクを作って飲んだり、実にジタバタしたその夜は、「それはもう10年以上前の、練馬時代の、それもたったひと晩の出来事だよ」とファルマンに諭され、我ながら驚いた。前に寝つけずに困ったの、10年以上前のことなのか。つまり30代になってから、僕はいちども寝つきで困ったことがないのか。寝つきがいいのって、なんとなく阿呆な子のエピソードっぽさがあり、逆に寝つきが悪いのって、なんとなく知的なイメージがあり、納得がいかない。われわれ夫婦でいえば、それは真逆に顕れているから。

2021年11月9日火曜日

遠慮の塊・ユーキャン・アル中

 多人数で大皿料理を食べているとき、たとえばそれが唐揚げだとして、最後の1個が残って、みんな取りづらい、遠慮の塊などと称される、そういう場面があるだろう。ああいうときってどうすればいいのか、自分の中で結論が出たのでここに記録しておく。
 僕が考えた方法、それは、たとえばテーブルを囲んでいるメンバーが5人であるとしたら、唐揚げが残り5個になったときに、「唐揚げをいまからひとり1個ずつ取ろう」と提案する、というものである。こうすれば後腐れなく、遠慮することなく、きれいに皿を片付けられる。すばらしい手法だと我ながら思う。
 またこの手法を思いついたのが、実地による演習を重ねた結果ではなく、あくまで思考の結果だ、というのも尊いと思う。多人数で大皿料理なんて、コロナ前もコロナ後も、一向にする機会がないにも関わらず、その際に発生する問題とその解決策を考えるだなんて、もはや僕はファンタジー作家の域に入ったのかもしれない。

 今年あえなく開催を見送ったcozy ripple新語・流行語大賞を嘲笑うかのように、ユーキャンのほうの候補語30が発表される。これがまあ、毎年どうしたって敵陣営としてやいのやいの僕はいうわけだが、それにしたって今年は例年以上にひどくないか、おたくも今年は見送ったらよかったんじゃないか、といいたくなるラインナップで、度肝を抜かされた。
 毎年の、「それは流行語ではなく流行」部門には、「イカゲーム」「うっせぇわ」「ウマ娘」「マリトッツォ」などが並ぶ。
 4年にいちど(今回は5年だが)の、「どうしてもオリンピックから流行語を出したいんじゃ」部門には、「エペジーーン」「カエル愛」「ゴン攻め/ビッタビタ」「13歳、真夏の大冒険」「スギムライジング」「チキータ」「チャタンヤラクーサンクー」「ピクトグラム」「ぼったくり男爵」と、要するにオリンピック関連の流行語なんて存在しなかったのだな、と思わせる言葉ばかりが並ぶ。それなのに関連語が8個も挙がるのだから、全体のパワーの弱さが如実に表れている。特に「カエル愛」がひどい。入江選手に関しては、「サンキューベリーサンキュー」という、きちんと流行語めいたフレーズがあったのに、いったいなんなのだ。なんなのだ、「カエル愛」という言葉は。彼女がカエル好きというのは知っている。それで「カエル愛」か。そんなのありか。なんだその不思議なセンスは。
 あとこちらも毎年恒例の、「わしはどうしても野球に関する言葉を入れたいんじゃ」部門からは、「ショータイム」と「リアル二刀流」がノミネートされ、今年も無事、誰かは知らないが、この部門に並々ならぬ情熱を持つ御仁の満足がいったことだろうと思う。そして来年は、新庄剛志が日ハムの監督になったことで、この部門は安泰だろう。
 ちなみに新型コロナ関連語からは、「変異株」「自宅療養」「副反応」「人流」「黙食/マスク会食」が選出。「黙食」で白けるが、それ以外の言葉はたしかに時世の新語だな、と思う。特に「副反応」という言葉は新鮮だった。副作用と微妙な使い分けの副反応。まさかそんな部分の言葉の使い分けへの意識が高まる日が来るだなんて。
 まあだいたいそんな感じ。大賞が「ぼったくり男爵」になってバッハが登壇したらおもしろいな。

 近所のスーパーでは、1000円以上買うと卵が安くなったり景品がもらえたりという企画がたびたび行なわれるため、わりと重用している。自分で行けないときはファルマンに頼むのだけど、重い腰を上げて行ってもらうだけでひと苦労なので、そのうえ1000円あまりの賢い買い物を頼むなんてことは不可能で、それにそのスーパーは、安いものはそれなりに安いが、そこまで値下げしてないものも結構ある感じのお店で、物の底値を知らないファルマンに選ばせるのはなかなかリスキーで、さらには以前「1000円ちょっとになるよう買い物したのに、レジを通したら2000円超えてた」なんてこともあったので、こちらとしてもすっかり信用をなくし、頼む際はもう、ひたすら1000円ちょいのパック酒を買ってもらうことにしている。その一択なら失敗しようがないし、腐らないので、確実に消費するものだから買い置きがあっても支障がない。じつにいい作戦である。
 しかしこの結果、この店においてファルマンは、たまに来店してはひたすらパック酒だけを買って帰る女(しかもたまに子連れ)となっていて、なかなかのキャラクターだな、と思う。見た目もなんとなく、さもありなん、という感じがあるし。

2021年11月4日木曜日

知恵・あなず・沼

 季節が移ろい、空気の乾燥を感じはじめている。指にささくれができたり、洗顔後になにかを塗るのをサボると顔がかゆくなったりする。なにより喉が渇く。それも特に寝ているときだ。明け方に目が覚めると、口の中がカラカラになっている。しかし実はそれは、口の中がカラカラになったから目が覚めているわけではない。尿意で目が覚めているのだ。ここに不条理を感じる。下では水分を排出したいのに、上では水分を求めている。Aさんは渇き、Bさんは湿っている、というのなら分かるが、ひとりの体の中の話である。なんとなく釈然としない思いがする。そうだ、と左手の手のひらに、拳にした右手を振り下ろし、小便を飲めばいいんだ! とひらめく。人類のさまざまな知恵や知識が記録されているインターネット空間に、またひとつ新しい情報が加わった。このページにたどり着いた人は、ぜひ実践してほしい。

 職場のおばさんが、「あながち」のことを「あなずと」という。
 もしかして島根の方言かもしれないと思い検索したが、やはりそんなことはなく、どうしたって、「あながち」と「おのずと」が混ざっているのだと考えざるをえない。たまたまそのときいい間違えただけかと思ったが、もう3回くらいそういっているのを聞いているので、いい間違えではなく、インプット間違えだ。
 指摘するべきか、とも一瞬思ったが、指摘されたら恥ずいだろうな、と思うとできない。こういうとき、誰かが指摘しないとずっと恥ずかしいままなんだから、と断行する人間もいるだろうが、そういう人間がこの世からもれなく駆逐されて、僕みたいに、指摘されたら恥ずいだろうと周りが配慮し、死ぬまで指摘されずに済んだら、最期まで恥ずかしい思いをしないのだから、それでいいのだと思う。そんなやさしい世界がいい。

 おばあさんの住んでいる家などによくある、個包装の、保存料たっぷりで長く持つ、ひと口サイズの和菓子のアソートみたいのがあるじゃないか。最中とか、栗饅頭とか、大福とか、そういうものがいろいろ入っているやつ。
 あれにいまハマっている。
 もともとの性分としてそういう傾向はあったのだが、筋トレ的な意味でも、なるべく間を空けずにちょびちょび糖質とかを取ったほうがいい、ということを知って以来、これまで鈴カステラやチョコレート、飴など、いろいろ試してきたが、最近になってようやくこのジャンルの存在を発見し、これこそ僕の求めていたものだ、と感動したのだった。
 いちど発見してみると、わりとどこのスーパー、ドラッグストアにも、この種の商品は置いてあった。世界って、自分の意識しているもの以外は、視界に入っていても見ていないんだな、ということを再認識した。
 また店によって置いてある商品はそれぞれ異なり、そして大袋の中に小袋が何種類もたくさん入っているタイプの商品なので、ふたつもみっつも大袋を買うと、20も30も異なるお菓子が手に入ることとなり、なんだかとても愉しいのだった。ジャンルにハマることを「沼」と表現するのが、ここ数年ですっかり定着し、しかしこれまで僕はこの表現を使う機会がなかったのだが、ここに来てにわかに出現した。僕は、おばあさんの住んでいる家などによくある、個包装の、保存料たっぷりで長く持つ、ひと口サイズの和菓子のアソート沼にハマっている。