2023年1月24日火曜日

20年前・鈴カステラ・寒波

 2004年の日記を読んでいたら、17年ゼミの話を書いていて、その中に「今年羽化した17年ゼミは昭和生まれ」という記述があり、衝撃を受けた。2004年は平成16年だそうだ。こんな話ばかりで、無理やり自分が年を取ったことを言いたがっているかのようだが、でもやっぱり時の流れにクラクラせざるを得ない。当時はまだ、昭和がそんなに近かったのか。つまり当時の高校生は、昭和生まれだったということになる。昭和生まれの高校生ってなんだよ。表現矛盾じゃないのか。高校生って、いつの世も、令和の象徴みたいな感じじゃなかったのか。思えばファルマンと付き合いはじめたとき、平成元年生まれの下の妹は、中学生だった。それが今年、34歳になる。すごい。20年前の日記、すごい。やばい。

 鈴カステラが店にない。
 僕と鈴カステラの関係は、高校時代から続いていて、たぶん人生中の、鈴カステラがバッグの中にある時間と、ない時間を較べたら、ある時間のほうが多いだろうというくらい、長年愛好している。書店員時代、上司に「お前がいつも鈴カステラを食べているから、どんなにおいしいものかと買って食べてみたら、別にそんなにおいしいもんじゃねえな」と言われたことがある。それくらい僕はよく鈴カステラを食べる人間なのだ(デブキャラのようだ)。
 その鈴カステラが、店にない。あるところにはある。でも鈴カステラには3種類あって、しっとりタイプと、さっくりタイプと、あとそれ以外の、砂糖掛けであったりココア風味であったりの色物に分類できるが、僕が鈴カステラとして認めているのはしっとりタイプだけであり、それが店頭から消えている。
 兆候はあった。何ヶ月か前、ステルス値上げで、内容量が減った。鈴カステラの原料は、小麦粉、卵、砂糖、牛乳、蜂蜜あたりである。昨今の物価上昇を正面からまともに喰らっているようなラインナップであり、なかなか厳しいのだろうと察し、僕はそれを受け入れた。それがこのたび、とうとう姿を消してしまった。よほど製造コストが見合わなくなったのだろうか。鈴カステラは、基本的にスーパーの均一菓子コーナーにあるが、回転ずしなどと一緒で、値段が均一ということは、原価率が高い品と低い品があるはずで、鈴カステラというのは、もともとそれがだいぶ高いほうだったんじゃないかと思う。だってどう考えても、味も、栄養成分も、鈴カステラは飛び抜けて優れているもの。
 これまでずっと当たり前のように傍にいた鈴カステラがいなくなって、僕にとって鈴カステラは、赤ん坊のおしゃぶりや、喫煙者のたばこのような、精神安定の作用もあったのだと気づいた。鈴カステラのない世界は、寄る辺がない気分が少しする。早く戻ってきてほしい。

 強烈な寒波が来ている。参ったな、と思うと同時に、そう来なくっちゃな、という気持ちもある。1月はここまで、そこまで寒くなかった。寒いのは嫌いだけど、「寒さがそこまでじゃない1月」は、別に暑いわけでも暖かいわけでもないから、なにも嬉しくない。それよりも、年間でこなさなければならない「寒さノルマ」を、早い段階で済ませ、2月の半ばあたりからは春の陽気になればいいと思う。こういうことを言うと、すぐに「2月は1月よりももっと寒いものだ」と言ってくる輩がいて、なんとなーくそんな印象もあるのだけど、でも思い出そうとしても、2月の気候のことっておもしろいくらい思い出せない。なんでだろう。28日しかないからかな。気候の印象って、30日に満たないと認識されないという性質でもあるのかな。

2023年1月19日木曜日

健康診断・車・ゲーム

 年末に受診した健康診断の結果が来る。期待通りの結果。とても芳しいものだった。いつも懸念しているγ-GTPの値(70までが許容範囲)が、去年の63からさらに改善し、今年は49を叩き出した。素晴らしい。さすがは12月、ほとんど酒を飲まなかった果以があったというものだ。ちなみに2017年は150くらいあったようだ。不健康だなー。これにより、僕はこれからの11ヶ月間、酒を好きなように飲める免罪符を手に入れたこととなる。そしてまた12月に摂生すればよい。あと去年引っ掛かった総コレステロールの値も、238から218となり、無事にA判定をゲットした(ちなみに許容は219までなのでギリギリではある)。本当に素晴らしい。やはり日々の運動の賜物だろうか。あるいは、体に無理をさせると、ただ単に本当に生活するのがつらい年頃になったので、否が応でも体の調子を整える心掛けを持たざるを得なくなったからかもしれない。不調なく暮したい。なによりの願いである。

 今年もセンター試験の季節がやってきて、先週末に実施されていた。その直前には、試験日に電車に乗る受験生を狙う痴漢の対策について報道されていて、職場で弁当を食べながらそのニュースを眺めた。そしてそんな状況で眺めたからだろうが、たぶん田舎の人、すなわち一緒にテレビを眺めている僕以外のこの会社の誰もが、このニュースのイメージを本当には理解できていないんだろうな、ということを思った。都会は電車が混む、ということは分かるだろう。そこで体を触ったりする犯罪行為があるらしい、というのもなんとなく分かるだろう。でも、田舎の人はたぶんその次にこう考えるに違いない。「じゃあなんで試験日当日くらい、親が車で送ってやらないのか」。ここが田舎の人には絶対に理解できない。僕もだんだんイメージが覚束なくなってきている。都会の車という選択肢のなさ、その圧倒的な度合は、もうだんだんとおぼろげだ。

 子どもたちがお年玉を使って、マリオカートを買う。それに合わせ、こちらは我々が少し援助をして(高いのだ)、switchの追加のコントローラーも2個セットのものを購入した。というわけで先日から我が家では、マリオカートの4人プレイができるようになったのだった。普通に考えれば、とても幸福な家庭の風景だと思う。理想的と言ってもいい。でも実際やってみたら、switchのマリオカート、めっちゃ疲れる。目も手も頭も疲れる。ひとつのカップで4コースを走るのだが、もう2コース目の2周目から3周目に差し掛かるあたりで、心底お腹いっぱいになる。3コース目からはもう惰性でやっている。自分の知っているスーパーファミコンのそれに較べて、情報量が多すぎる。現代の子どもはこんな情報量を処理できるの、できてるの、いやそういうわけじゃないよな、ただひたすらAボタンを押し続けてるだけだよな、これってそういうゲームだよな、と思いつつ、でも現代のデジタルネイティブは生まれた頃から情報の波に晒されて、情報処理能力がムキムキなのかもしれない、とも思う。なんとか息も絶え絶えにひとつのカップを終えたあとは、ほうほうの体でリタイアし、そのあと子どもたちはふたりでプレイを続けるのだった。子どもってすごい。この子どもたちが大人になって、「最近のゲームは情報処理能力が追いつかない」と言う頃、ゲームは一体どうなっているのだろう。もう2世代上の我々には、大きすぎる音は逆に聞こえないのパターンで、なんの動きもない白い画面のように見えるのかもしれない。いやマジで。

2023年1月10日火曜日

男ども・繋がり・文明

 年末年始には兵庫に住む次女一家がやってきて、実家に集った。総数で11人となる。11人中、男は3人。年末あたり、ファルマンには友達の代わりとなる母がいて姉妹がいて娘がいる! という衝撃の事実にたどり着いたが、そのことが改めて痛感させられる場であった。まあ血がまっすぐ繋がっている女性陣に対し、男3人は言わば全員が他人なので、当然と言えば当然なのだけど、それにしたって我々の連帯は希薄だな、と思った。別にそれを嘆いているわけではない。義父は息子というものに夢を持っているので、わりとぐいぐい来る。たまに僕のことを「長男」、次女の夫のことを「次男」と呼んでみたりして、それはちょっと個人的な欲望を公共の場で包み隠さず露出させすぎではないかと感じたりする。でも実際、義父は、あわよくば義理の息子たちと、本当の父と息子のように接したいと思っているのだと思う。それは、なんだかんだで僕はもう15年以上そのビームを浴び続けているので、確信している。しかし長女の夫は、自身の出自もまた思いきり女系家族で、自分以外に女はいないという環境で育ち、父親という存在と接した経験がほとんどなかったため、父性というものとどう接していいのか分からず、それどころか中年男性全般に対して嫌悪感さえ抱いているような男(今は自分が中年男性になったこともあり、そこまでではない)だったため、義父の夢はかなわなかった。次にやってきた次女の夫は、こちらは長女のそれとは正反対で、男系家族の出身だった。弟とふたり兄弟の彼は、野球にサッカー、テニスなど、ひと通りの男性の嗜みを父から教えられているような男だ。だから義父は、彼がやってくるといそいそとボールとグローブを用意して、キャッチボールをするらしい。これもまた、義父のちょっと個人的な欲望を公共の場で包み隠さず露出させすぎ事案ではないかと思う。しかしながら、次女の夫によって夢がかなったと思われた義父だったが、次女の夫は自分の実家の男たちと仲が良すぎて、父と弟と3人で年明けにサウナに行ったりするので、そのあたりのことに対する義父の心の内など聞いたことはないが、僕だったら強い疎外感を抱くと思う。俺と表面的にはキャッチボールなどして付き合ってくれるが、結局あいつの安息の場所は実家であり、同族の男たちなんだよな……、と切なくなると思う。かくしてこの男3人の仲は、いつまでも深化しない。きっと、いついつまでもしないんだと思う。

 毎年、年末にいちどだけLINEのやりとりをする関係の人がいた。毎年と言ったが、この2年ほどのことである。岡山の縫製工場時代の、2つくらい年上の女性で、2020年の6月で工場が閉鎖になり、その年末に、「いまどういう状況?」みたいな感じで向こうから連絡が来た。「いろいろあって、島根に再び帰ります」と伝えたら、驚いていた。驚いていたが、あちらも、いちど就職したがしっくり来なくて今は無職だ、みたいなことを言っていたから、やっぱりみんなしばらくゴタゴタしていたのだと思う。次に連絡が来たのはその1年後、2021年の年末で、お互いにそれなりに落ち着いた近況報告を交わした。そのため2022年の末にもメッセージが来るかと思い、少し愉しみにしていたのだが、残念ながら来なかった。この人と切れてしまうと、岡山の縫製工場時代の繋がりがほぼ途切れてしまうので、年賀状にも似たこの年中行事は、長く続けていきたいと思っていた。だったら今年は自分からメッセージを送ればいいではないか、という話なのだが、去年おととしと、年末というタイミングを守って恒例のように寄越してきた連絡をしてこなかったということは、つまりそういう意思があってのことだろう、ということを思うと、その勇気は湧かないのだった。こうして、人の住まない家が朽ちるように、僕の人間関係はさびれてゆく。やるせない。

 もしも我々がいま10代であったならば、果たしてブログをやっていたかね、という話をファルマンとする。たぶんやっていなかったんじゃないかね、とふたりとも言った。ふたりともそう言ったが、じゃあZ世代として生誕した世界線の我々は、TikTokとかをしていたというのか。そんなことあるだろうか。Z世代のあまりにもブログをやらなそうさ、ブログというもののあまりにも現代的じゃなさに、大した思慮もなく否定してしまったけれど、文章以外の表現をしている自分たちの姿もまた、あまりにも思い浮かばないのだった。結局のところ、Z世代として生誕した世界線の我々など、存在し得ないのだと思った。なぜならそれは我々ではないからだ。人格は時代によって作られる。
 インスタグラムを、思い出したように投稿しているのだけど、やればやるほど、インスタグラムに文章を書くことの無意味さを強く感じる。パソコン画面ならばまだしも、スマホで投稿を見ようとすると、文章は「続きを読む」をクリックしないと読めない。でもいったい、誰がインスタグラムで文章など読むというのか。インスタグラムを漂う人々は、別に文盲というわけではないけれど、一時的にそれに近い状態になっている。それはしょうがない。インスタグラムは文章を読むツールじゃないからだ。でも僕はどうしても、アップした画像について、言葉で説明をしないわけにはいかないのだった。この感覚は、いわゆる「古い」だと思う。時代は、ダンスとか、超絶技巧とか、言葉なしで世界中の人々に伝わる、プリミティブなものになっている。プリミティブが、最新なのだ。じゃあもしかすると、我々の世代というのは、人類の中でいちばん、ゴテゴテした文明の時代を生きたのかもしれない。僕の好きなMAXは、その象徴だとも思う。