2019年11月29日金曜日

歌集・どうということもない・愛

 Twitterの影響で短歌熱が高まっていて、図書館で短歌関連の本を借りて読んだりしている。短歌関連の本というのは、著者の短歌についての語りの中で、前後1行空きで短歌が次々に引用される、そういうよくあるタイプの本のことだ。その中の歌で、なるほどこれはいいな、と感じるものがあり、作者の名前で検索したら図書館にその人の歌集があったので、それも借りて読んだ。読んだらほとんどおもしろくなかった。あの本で紹介されていた歌しかよくなかった。それ以外は本当にどうでもいい歌ばかりだった。ファルマンに訊ねたら、歌集なんて得てしてそういうものらしい。たぶんひとりの作者による、本当の意味での名歌って、何十年もかけても、10首くらいに収まるんだと思う。でもそれだとあまりにも創作活動として成立しないから、作者も、編集者も、評論家も、読者も、全員が「しょうがない。そういうもんだ」と受け入れ、全体の95%はどうでもいい歌で埋まった歌集を作るしかないのだと思う。ということを、ほぼ初めてくらいに読んだ歌集で感じた。

 先月の何日だったかに、ファルマンの下の妹が誕生日を迎え、30歳になった。それ自体は別にどうということもない話なのだが、と言うか、いまから言おうとしている話も実にどうということもない話ではあるのだけど、この西暦の下一桁が9の年の、10月某日から、西暦の下一桁が0の年の、1月9日までの、この3ヶ月弱というのは、僕と姉の姉弟、ファルマン家の3姉妹が、みな同じ年代(今回で言うなら30代)に入っている、稀有な期間なのである。姉が1980年代のほぼ幕開け、80年の1月9日に生まれ、三女が80年代のほぼ終幕、89年の10月に生まれているので、こういう現象が起る。だからいまは10年単位で考えたとき、ちょっと特別な3ヶ月の中に我々はいる。ほら、どうということもない話だったろう。それにしても姉は近々40歳なのか。いい歳だな

 「G線上のあなたと私」で、波瑠と中川大志はやっぱり両想いになりつつあるのだが、これまで中川大志が一方的に好意を寄せていたバイオリンの先生が、くじけそうになっているという知らせを受けて、波瑠は中川大志に、「行って慰めてやれ」ということを言う。「そんなことしたら、ふたりがせっかく両想いになりつつあるのに、中川大志と先生の間に男女の感情が芽生えてしまうではないか」と松下由樹は止めるのだが、それに対して波瑠はこう言う。「これは人間愛だから」。それを観ていて、ああそうだな、と思った。このドラマを観ていて、僕にも20歳前後の女の子の友達ができるかもしれないと思ったし、その子たちと僕は愉しく4Pとかするだろうとも思った。今年のco大(cozy ripple名言・流行語大賞)のノミネート語にもなった、『フレンドシップイズカインドオブリビドー』を生んだこの考えは、そうだ、要するに人間愛とも言い換えられる。友情も、性欲も、俺自身も、すべては愛なのだ。愛が、万物の最小の単位で、その量によって友情という姿になったり、性欲という姿になったりするのだ。じゃあ僕は愛の錬金術師になりたい。愛を司りたい。求めるすべての者の心の焚火に愛をくべてやりたい。

2019年11月24日日曜日

今年も感謝・サンタ・チントレ

 かくして今年もcozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボが終わる。この本番までの準備、そしてやり終えたあとの虚脱感は、そのまま祭りのそれだな、と思う。地元の祭りとかに参加しない男として生きて死んでいくらしい今生だけど、僕にとってはこれが1年にいちどの収穫祭、豊年祭なんだろう。そういった祭りの本分というのは、恵みを下さった神様への御礼では実はなくて、地域の人々の結束の強化であるはずで、だとすれば僕のこの祭りはその要件を満たしていないような気がするが、僕の個人的な部分内での結束が、年を重ねるごとに強化されているのは間違いないので、これはこれでありだということにしたい。ちなみに個人的な部分内での結束は、強化されれば強化されるほど、他者である地域の人々との結束の強化を阻害することは、言うまでもない。
 個々の内容について言及すると、大賞のほうは記事のデザインがいい感じにできた。1年間の、普段の記事の中でさらっと出てきた言葉が、このセレモニーの日だけはタキシードやドレスで登場、という感じがわりと出せたんじゃないかと思う。あとプレゼンターが宮迫というのもよかった。ユーキャンの流行語大賞の候補語に、何年ぶりかに芸人のギャグがエントリーされなかったという今年、プレゼンターを誰にすればいいのかずいぶん悩み、一時期はイチローにしようと考え、しかしイチローって別にこれという決め台詞があるわけではないので、どうにもおもしろく書けなくて、困った末にファルマンに相談したら、「宮迫にすれば」と即答され、おかげで救われた。
 パピロウヌーボのほうは、ゲストを誰にするか、去年は難産だったのだけど、今年はもう2ヶ月前くらいからMAXで確定していて、スケジュールもしっかり押さえていたわけだが、いざ蓋を開けてみたら、MAXでどう盛り上げたらいいのかさっぱりイメージが浮かばず、だいぶ困った。まあある意味それこそMAXのMAXらしい部分だとも言えるが、MAXって、なんかすごく「ない」のだ。MAXに本当に魅力がないのか、こちらがMAXへの興味がないのか、それは判断がつかないが、なんかMAXは胃下垂の人がろくに栄養を吸収せずに排泄まで行ってしまうがごとく、こちらに引っ掛かりをもたらさない。そのためぜんぜん会話も弾まず、往生した。そんな今回のピンチを救ったのは、ひとえに優香の妊娠だ。プロ角による優香の旦那のちりとてちんイジリは前々からやっていたので、その朝ドラのタイトルと、今年の大賞語である「わからんちんぽこどもとっちめちんぽこ」が交わったのは、本当に奇蹟的な僥倖だった。長年やっていると、こういう「期せずして伏線になってた」的なことが起ったりして愉しい。ちなみに最後に「第一部・完」とあるが、これはもちろんノミネート語にそれがあったために使用しただけで、来年からパピロウヌーボが、パピロウヌーボ2になったり、キャサリン三世になったり、ということはないので安心してほしい。
 やあとにかく終わった。すっきりした。次は1週間後のパピ労感謝の日だな。

 クリスマスまであと1ヶ月ということで、子どもたちにプレゼントの探りを入れている。ピイガはまだ素直に欲しいものを言ってくれるのだが、ポルガはいよいよサンタの存在を疑いはじめたようで、サンタが本当にいるのなら欲しいものを口に出さなくても勝手に分かって、それをくれるはずだ、などと言って口を割らなくなってしまった。なんて面倒臭いんだ。疑いはじめたきっかけは、どうせ小学校のクラスメイトがそういうことを言ってたんだろう、あの授業参観で見た阿呆な男子とかが、と思ったら、なんと読んでいた『ドラえもん』に、「お前まだサンタ信じてんのかよ」みたいな場面があったのだという。なんてこったよ。なにやってんだよ、F。それはやったらダメだろ。『サザエさん』もそれですごく怒られたじゃんかよ。「クリスマスの夜はビデオをセットしとく」などとも言っていて、あまりにも面倒臭いので、もう親が親としてプレゼントを渡すことにしたい、と思う。そしてそれはサンタが本当はいなかったということじゃない。サンタの存在を信じなくなったお前が、サンタを殺したんだよ。

 特に深い意味はないのだが、たまにアマゾンでペニストレーニングの器具なんかを眺めていると、ペニストレーニング器具というのは大抵が、陰茎を挟んだりくぐらせたりして使うもので、特に深い意味はないのだが、その使用感についてレビュー欄を確認してみると、そこには絶対に、世の中に絶対と言えることなんてそうそうないけど、これは絶対のこととして、「小さすぎる!」と文句を言っている人がいる。「こんな輪っかに通せる成人男性はいない」とまで彼らは言う。買って、使って、痛くて、「俺には小さすぎる」と文句を書き込む、これはそこまでがワンセットの、そういう体験を売る商品なのかもしれない。だから往々にしてそれらは小さく作られているのかもしれない。もしもそうでないのだとしたら、じゃあ彼らにペニストレーニングは必要ない。よかったじゃん。

2019年11月15日金曜日

流行語・田舎サウナ・外面

 cozy rippleじゃないほう、でおなじみの、ユーキャンの主催する流行語大賞の候補語が発表された。毎年のことだが、選考時期が被っている。ここ数日の満月を眺めながら、あいつも今頃がんばってんのかな、なんて思いを馳せつつ、僕も目下ピックアップ作業に励んでいる。
 というわけで30語である。
 今年はラグビー関連語が多くなっていて、たぶん大賞も「ONE TEAM」だし、授賞式にはリーチマイケルをはじめとして、何人か代表選手が登場するんだと思う。まあ、よろしいんじゃないでしょうか。しかしこうなってくると去年の「そだねー」でカーリングチームを呼んだのが、今年とのバランス(「2年連続でスポーツチームかよ」という印象)を考えると失敗だったな、と思えてくる。言ってもしょうがないけど。
 「後悔などあろうはずがありません」は、イチローという偉大な選手の引退ということで、どうしてもなんかひとつ入れたかったんだな、と捉えるのは、下級流行語大賞民の浅はかさで、僕のような上級流行語大賞民となると、これはイチロー関連語を入れたかったんじゃない、流行語大賞には必ずひとつ野球関連語を入れなければならないというルールがあるのでそれに従ったまでだ、ということがすぐに分かる。
 あとコメントすべきはなんだろう。「令和」は、そりゃあ人の口に上ったという意味では絶対的だけど、これを流行語とするなら、毎年の西暦だって流行語じゃないか、という気もする。あとは、「タピる」は大賞の同時受賞があり得る気がする。その場合はぜひ木下優樹菜に登壇してほしい。今年のタピオカの顔だから。

 労働終わりに温浴施設に寄り、サウナに入る。サウナって、「サウナづく」とけっこう心が奪われて、サウナ衝動がしばらく高まってしまう。
 今回立ち寄った施設は、とても地域密着の所で、僕はもちろん言うまでもなく部外者なのだが、僕以外の、風呂場からサウナ室に入ってくる人はみんな、中にいる人と「よう」「こんばんは」などと挨拶をしていた。い、田舎くさい……。そしてテレビがない所だったので、おっさんたちはおしゃべりに花を咲かせていた。話の内容は、イノシシが畑を荒らして困る、というもので、しかしもうすぐ猟の解禁日なので、そうなったら罠にかけて仕留めて、肉は食えるし、尻尾を持っていけば害獣駆除の賞金がもらえる、などと語らっていた。田舎くさいと言うか、もう田舎そのものだ。俺はすごい所に住んでいる……、と改めて思った。

 東京オリンピックのマラソンと競歩が、札幌で行なわれることになった。ちょっと前から言っているが、僕はもう東京オリンピックの話題には飽き飽きしていて、ただでさえ「くっだらねえ」「どうでもいい」と思っているところへ、さらにそんな話が出てきたので、いよいよ呆れ果てた。家にお客さんが来るときや、会社に偉い人が来るときなど、普段だらしない日常を一緒に過している家族や社員が、にわかに掃除をしたり態度を改めたりしてその場をやり過そうとすることってあるだろう。あれはあれで、共同体の意識が高まって、そう悪くないものだけど、なんだかオリンピックって、国単位でそういうことをするってことなんだな、と思いはじめた。それが世界の人々なんだかIOCの役員なんだか知らないが、やってくるそれのために、我々は普段だらしなく過しているくせに、そんなことありませんよ、立派にやってますよ、という張りぼての取り繕いをしている。国みたいなスケールでもそれをするんだな、国っていうのも案外せせこましいものなんだな、と今回のオリンピック狂騒を目の当たりにして知った。

2019年11月6日水曜日

松下由樹・中川大志・波瑠

 今期のドラマは、「G線上のあなたと私」を観ている。原作があることを知らなかったので、メインキャストのひとりに松下由樹を起用している点に、なんだか制作陣の気概のようなものを感じ、観てみようと思ったのだった。そうしたらちゃんとおもしろい当たりのドラマだったので、ファルマンと毎週愉しく観ている。話は、19歳の中川大志と、27歳の波瑠と、46歳の松下由樹が、バイオリン教室で一緒の授業を受けることになり、そこから友情が生まれ、それぞれの抱える問題や悩みを経て……、というもの(まだ5話なので経ている最中だ)。
 斯様にメイン3人のふり幅が大きいので、その分だけ多くの世代に訴求する要素があるだろうと思う。とは言え36歳男性の僕は微妙に半端で、この3人の誰に感情移入すればいいのか、という疑問はある。ちなみに大学生の中川大志と無職の波瑠はもちろん独身で、くっつきそうな気配がある。松下由樹は既婚で小学生の娘がいて、姑の介護問題を抱えている。その人間模様を冷静に眺めて、そして、えっ!? となる。えっ、俺、もしかして松下由樹? 松下由樹側の人間? ちょ待てよ!

 大学生の中川大志。同性ということもあり、なんならそこの気持ちに俺はなれるよ、と前週までは思って観ていたのだけど、こないだの土曜日、岡山大学の学園祭に行ったろう。そこでリアルの大学生を目の当たりにしたことによって、ああ、俺はやっぱり理人(中川大志の役名)じゃないんだ、ビジュアル的には中川大志に引けを取らないが、どうしたって大学生とはかけ離れた存在だ、ということを痛感してしまった。
 当日にファルマンとも話していたが、今から7年前、練馬から島根に移住する前の思い出巡りで、日芸の所沢校舎に行った際には、ここまでの隔絶は感じなかった。思えば当時まだポルガは赤ちゃんで、29歳と30歳の我々は、大学生に毛の生えたようなものだった。それが7年ぶりに大学生と向き合ってみたら、印象がまるで変ってしまった。大学生が変ったのではない(ファッションはだいぶ変った感じがあるが)。我々が変ったのだ。どうやら子どもが小学生に上がるあたりに、親にとって大きな通過点があるようだ。通過点というか、強制的なセーブポイントのような、そこを通ったら何かが世間的に認められる代わりに、もうその前の世界には戻れないよ、という、そういうものが。

 流行語大賞のための読み返しをしていたら、このブログの5月の記事に、「10年くらい前に高校生や大学生だった世代は実はそんなに驚異のデジタルネイティブ世代ではない」「さらにその下、いま20歳前後の世代、あいつらは本物」という内容があって、それをきっかけに上のふたつも含めて今回の記事を作成した次第である。だいたい8個下(波瑠)と、そのさらに8個下(中川大志)くらいの世代について、35歳の男が言っているわけで、だいぶ主観が入っているが、今回の学園祭でのリアル大学生目の当たりを経て、たしかになあと改めて思った。つまり世代というものは、15年くらいですっかり別物になるのかもしれない。じゃあ僕はなんとか波瑠の目線であのドラマを観てみようではないかと思う。来週は婚活パーティーでえなりかずきと出逢うようだが。