2022年6月29日水曜日

常夜灯・髪色思い・梅雨明け

 10日ほど前に、僕とファルマンの部屋の常夜灯が切れて、ふだん寝る際は常夜灯だけの状態にしていたのだが、仕方がないので完全に暗くして寝た。その結果、目覚めがそれはもうパッチリで、いつもなら睡眠が7時間を大幅に下回ると日中がつらかったのが、その日はぜんぜん平気で、「常夜灯、あれ?」となった。常夜灯、睡眠を浅くしていた疑惑。その疑惑が作用して、新しい電球を買う意欲がなかなか湧かず、1週間くらいが経過してようやく交換した。しかし点灯するようになっても、常夜灯を点けずに寝ている。睡眠時間に対しての次の日の寝不足感が、常夜灯ありとなしでは、やはりだいぶ違う気がする。実際のところどうなのかとネットで検索したら、やっぱりそんなことを講ずるページが見つかったのだけど、しかしそれは「常夜灯 睡眠」で検索したから、当然と言えば当然だろうと思う。この場合の検索って自分の知りたい答えを探す手段でしかないので、もはや占いの類だと思う。
 今回の常夜灯のことで思い出したのだけど、僕は高校生の頃、高等なことを考えるには、頭をきちんと休ませてはいけないという考えの下、眠るときは照明を常夜灯どころか全開にして煌々と点けて寝ていたし、さらに言えば長い時間寝るのもよくないと考え、9時から12時、3時から6時というような感じで、分割睡眠を行なっていた。いま考えると、気持ち悪いし、そもそもよく体が持ったことだと思う。若さのなせる業か。男子校に通う男子高校生が、そんな思想で頭を爛々とさせて街を闊歩していたと思うと、危険だと思う。
 それから倍以上の年月が経ち、今はすっかり解脱し、とにかくたっぷり濃厚に、頭を休ませたいということばかりを考えている。

 髪染めを決行した。金髪は、なんとなく「夏に向けて!」みたいな意味合いもあったように思うが(なぜ夏に金髪なのか、と問われたら返事に窮するくらいなんとなくだが)、プリンの進行が夏本番の到来に先んじてしまい、すっかりタイミングが外れた。これは来年以降の教訓としようと思う。あくまで「以降」。きっと来年はブリーチしない。来年ではまだブリーチ賢者タイムは継続していると思う。4、5年経つとウズウズし出す。その頃に今回のことを覚えていたらいい。たぶん忘れている。
 ヘアカラーは予告した通り、ほんのりとしたブラウン系を選んだ。説明書に、明るい髪に使用すると紫がかった色味が出る場合がございます的なことが書かれていて、ふうんと思ったが、直後はまさにそれが出た。金と紺と黒と銀色が混ざったような、宇宙創成のような、一朝一夕では出せない色合いだった。こんな髪色の人は他にいないからいいなあと感動していたら、日々のシャンプーで色味はどんどん変化した。青系の要素はわりとすぐに薄れ、4日ほど経った現在、金髪とシルバーアッシュのあいのこのような感じになっている。悪くないが、金髪の時ほどではないにせよ、これでは根元から黒髪が生えてきたらやはりツートンになってしまいそうだな、と思う。まあそのときはそのときか。

 もう梅雨が明けてしまった。本当か。梅雨終盤、7月上旬にめっちゃ雨降る的なことが、今年はないのか。ないパターンってあるのか。大丈夫なのか。電力不足に水不足まで乗っかったら、もういよいよ末世の感がある。嫌だなあ。
 6月でありながらの容赦ない暑さに参りつつも、山陰だし、労働中はエアコンの効いた屋内なので、実は声高に窮状を訴えるほどは、参る境遇ではないのだろうと思う。やはり太平洋側、あるいは山間部だろう。群馬や山梨の気温を聞くと、かの地の人々はいったいどうやって暮しているのか、と思う。
 これが今から、2ヶ月以上続く。夏は、そうは言っても冬よりは、土地による差が大きくないと思う。よほどの避暑地などでない限り、日本全国、夏は猛暑日ばかりである。我々は、これからそれぞれ各人が、猛暑と闘いを繰り広げる。離れていてもこころはひとつ。猛暑に打ち克ち、元気な姿で秋の再会を迎えよう。健闘を祈る。

2022年6月21日火曜日

髪色・呼吸・女体化

 短髪の金髪にして1ヶ月が経ち、根元からは黒いのが伸びてきて、なにぶん茶髪とかじゃなくちゃんと金色なので、かなり目立つのだった。そろそろ限界かな、と思う。そうなんだよな、脱色の流れっていつもこうして、最後はド金髪にして、そうなると生えてくる髪とのギャップでおかしくなって、挙句の果てに「もうええわ!」となるんだった。また懲りずにそれを繰り返した。まあ別に懲りることでもない。脱色したかったし、ド金髪にしたかったからしたまでだ。そしてぼちぼち気が済んだ。とは言え黒髪戻しをするつもりはなく、いま僕の頭で支配権争いを繰り広げる金髪と黒髪の仲を取り持つ融和策のような、落ち着いたブラウンというかベージュというか、そういう色にしようと思う。それならば下から黒髪が生えてきてもそこまで違和感がないし、それにプールに頻繁に通っているので、塩素の効果によって、うまくいけば髪の色はずっとそんな色合いがまろやかに続けられるのではないかと目論んでいる。

 水泳のレベルをアップさせるため、あれこれ本を読むのだが、水泳時の呼吸法について書かれた本を読んで以来、どうも呼吸が乱れがちで、悩んでいる。水泳時に限らず、呼吸法って意識すればするほど、ゼロの状態よりも駄目になりがちだと思う。やれ腹式呼吸だの、吸うよりも吐くほうを長くするだの、考えてやろうとすると、途端に息苦しくなる。そしてそれまで自分がやっていた加減まで忘れてしまう。無意識にやっている状態が、結局いちばんいいんだろうと思う。思うのだが、無意識に常にやっているこの呼吸というものが、質の高いものになったらば、人生全体がバージョンアップするような薔薇色の未来が待っている気がしてしまい、つい手を出してしまう。そして苦しくなる。阿呆だと思う。

 生まれ変わっても男として生まれたい、なぜなら男にはちんこがあるからだ、という考えで生きているが、先日ファルマンに、「もしもあなたが女として生まれたらどんな子だったろうね」と、割とよくある類のもしも話を振られ、少しだけ夢想した。どうせ女の子になるのなら、やっぱり美少女になりたい。ポニーテールを揺らす活発な美少女。異性のことが気にならないわけじゃないけど、男の子の粗野なところが苦手。女子ってことでバカにするような態度を取る男子には、こう言ってやる。「金玉蹴っ飛ばしてやる!」。思わずそう叫んだら、それが夜22時半くらいの、隣の部屋で子どもがうとうとし始めているような時間だったので、「急におっきい声でなに言ってんの!」と怒られシュンとした。

2022年6月14日火曜日

レベル・露出・あの野郎

 せっせとプールに通っている。週に2ないし3回くらい。1000メートルを目安に泳いでいる。1000メートル泳いできたよ、とファルマンに言うと、「すごい!」となるのだけど、1000メートルというのはスイマーにとっては鼻で笑う距離のようでもある。まったく泳がない人と、マジで泳ぐ人の乖離は広い。僕はその狭間にいる。まあまあうまいこと泳げているな、などと思っていたら、隣のレーンに、お前は脚にモーターが付いてるだろ、みたいな人が現れ、意気消沈したりする。泳ぐのが速い人の、あの意味が分からない推進力ってなんなんだろう。あれって体の使い方とかじゃなくて、前月に5万円以上買い物した人は翌月プラチナ会員としてポイント利率アップ、みたいな感じで、同じことをしていても、なんかその人だけ水に優遇されているように思える。まあたぶん、同じことをしているんじゃないんだろう。前回のプールで、いつものように泳ぎながら、ふと、ここで腕をこうなんじゃね? と閃き、実践したら、泳ぎが少しスムーズになったように感じられた。テレレレッテテッレー、と福音が聴こえたような気がした。たぶん、地道なこれの繰り返しなんだろうな。

 今年の夏は小学校でプールの授業があるらしい。てっきりないだろうと思っていたため、慌てて水着の準備をしたりした。最近のスクール水着(女子の)は、なんとなく見知ってはいたが、下はスパッツ、上はタンクトップ、それどころかTシャツのような袖付きの型の、セパレート(といってももちろん間が空いて素肌を晒すわけではない)タイプが主流で、へえ、と思う。ちなみに僕はスクール水着については一切のフェチがなく、競泳水着にもなく、これに関しては猛烈にビキニ一辺倒なので、このスク水の変遷にはなんの感慨もなかった。そんな、自分の時代に較べ生地多めの、娘のスクール水着を買いながら、ファルマンが、「ブルマと一緒で、昔のスクール水着を見て、昔は女子生徒にこんなものを着せていた、って驚かれるようになるんだろうね」としみじみと言っていた。それを聞いて思ったこととして、大正や昭和の、水着なり体育着なりは、まるで囚人服のような長袖長ズボンだった、という写真を見たことがあるが、そこからだんだん生地が削られ、削られ、行き着いた先がブルマやわれわれの時代のスクール水着で、そして今そこからまた生地が徐々に増えてきているということは、われわれの時代というのは、この100年くらいのそのジャンルの、露出度グラフでいうところの、山のてっぺんだったようだ。ピークの、いちばん過剰だった時代。そんなスリリングな時代に、青春時代を送ったのだ。そんな気がしてたぜ。

 コロナがいよいよ落ち着いた感があり、とてもめでたい。でも今回のコロナ禍に関し、このまま風化させるわけにはいかない事柄がひとつあるので、ここに記しておく。
 ファルマンの上の妹の夫(32歳)のワクチン接種のことである。
 こいつが、新型コロナワクチンを、なかなか打たなかった。
 ひと月半ほど前に第2子が生まれた義妹一家は、すなわちこの9ヶ月間ほど、妊婦と小学生が家にいるという状況だった。さらに言えば夫は、兵庫県の自宅から大阪の中心部に電車通勤する身なのであった。本来であれば、島根県で一切公共の乗り物に乗らない人々なんかよりも、一目散にワクチンを接種するべき立場だろう。
 しかしなかなか打たなかった。あまりに打たないので、職場の方針とか、実家の方針とか、なにか外部の干渉があってのものかと思った。しかし話によればそんなことは一切ないのだった。彼は本当に純粋に、「副反応が怖い」という理由で逃げ続けたのだった。しゃれにならないので当時は書かなかったが、今から半年前の年末年始の帰省の際も、まだ未接種だった。兵庫県から、大阪に通勤する、ワクチン未接種の奴がやってくるというのは、島根では本当に周囲に知られたら大変なことになる事案である。いい加減にしてくれよ、と思った。
 思う一方で、そんなことを思う自分がなんとなく嫌だと思った。国からの「ワクチンを接種しましょう」を無知蒙昧に受け入れ、それを拒む人間を批判する様は、大東亜戦争的な、われら一億ワクチン総火の玉みたいな、もしかしたら自分はそちら側の、出兵バンザイ側の人間になってしまっているのではないか、ということを思った。これは別に思わなくていいことだった。彼が打っていればそれでよかったのだ。そもそも彼はそんな問題提起や体制への抗議のために恭順しないのではなかった。副反応が嫌で打たなかったのだ。なんと迷惑なのか。さらに言えば、副反応に怯える彼は、基本的にとても健康な人間である。屈強な体をしていて、体調を崩した話は聞いたことがなく、虫歯も一本もないらしい。しかしきっと、そうして体を壊したことがないから、コロナに対して絶大な自信を持っていて、むしろワクチンの副反応を恐れたのだろうと思う。
 そんな彼も、2月だったか3月だったか、とうとう打った。あまりに遅い。世間では3回目の接種が始まろうとしていた。ちなみに副反応はまるで出なかったらしい。
 これだけでも十分にとさかに来るエピソードなのだが、いまこうしてコロナ禍がじんわり終息しようとしていて、そして察することとして、彼はまず間違いなく、3回目のワクチン接種を受けない。本人的にも極力受けたくないのに加え、世間がすっかりそれを許容する風潮になっている。断言していい。あいつは絶対に受けない。
 ずるい。あまりにずるくないか。僕だって1回目2回目の副反応なんてほとんどなかった。でも3回目はつらかった。それをあいつは受けない。受けないで許される。俺がつらい思いをしたんだからお前もしろよ、と言いたいわけではない。いや、言いたい。言わせてもらったっていいじゃないか。だって、お利口に、案内が来てすぐに接種した人間が、損をしているじゃないか。さんざん逃げて、年末年始に実家の面々に不必要な葛藤を抱かせた人間が、あのつらい3回目接種を免れる。世の中間違ってる。
 コロナ禍の日々が遠い昔になっても、このことだけは胸に深く刻んで、今後の親戚付き合いをしていこうと心に誓っている。