2021年12月22日水曜日

マスク・ミシン・筋トレ

 通称アベノマスクの官製マスクが、なんか在庫が8000万枚くらいあって、維持費とかが大変(何億とか!)で、どうすんだどうすんだと野党にツッコまれた結果、「福祉施設とかにある程度配ったあと、残りは棄てる、年内に棄てる」という、年内に棄てるってもう年内は10日くらいしかないんだから、配るったってそんなの、本当におためごかしのわずかな数量のことであって、要するにほぼ棄てるんじゃん、という、このたびそういう結論に至ったという。
 新型コロナ騒動は、クルーズ船騒動、三密騒動、東京オリンピック騒動、ワクチン騒動などなど、いろいろな騒動に分けることができるけれど、マスク騒動もまた、新型コロナ騒動を形成する大きな一要素であったと思う。あのタイミングでの、政府による布マスク配布は、野党の人は「世紀の愚策」といっていたが、振り返ってみて、果してどうだったんだろうな、と思う。物理的なウイルス予防としては、そもそもあれを着けている人がほとんどいなかったし、効果は皆無だったに違いないけれど、しかしこんなことをいうとちょっとおかしな空気が漂う気もするが、気持ち的に、ほっこりできてよかったんじゃないかと僕は思う。まるでB-29に竹槍で立ち向かうみたいな、切なさというか、必死なんだけど間が抜けていて哀愁のある笑いというか、そういうものが、アベノマスクにはあった。つらいこと、哀しいことがあったとき、欧米の人々のように怒り、立ち向かうのではなく、逆に力なく笑ってしまう、そんな国民性の体現だったともいえる。だから、わが家に届いたそれは、一部で推奨されていたように、未開封のまま非常用バッグに突っ込んであるが(果たして非常時にさえ着けるのか?という気もする)、なんかまあ、半世紀後とかに、電線に伝わせて物を運ぼうとした明治時代の人々のように、朗らかに笑うために、各家庭で取っておけばいいんだと思う。

 先日子どもが裁縫をするというので世話をしたのだが、その際に往年の家庭用ミシンを出して、使わせようとしたのだが、これまでもその兆候はあったが、いよいよピーピー、スイッチを入れてもエラーを訴えるばかりで、どうにも動かなくなってしまった。たぶんもうこれを買ったのは15年近く前のことなので(池袋のさくらやで買った気がする。さくらや!)、コンピュータミシンとしてはかなり長く使ったものだと思う。もう引退しても仕方ない。
 それで、僕としては当然、工業用ミシンがあるものだから、これが使えなくなってしまってもそこまで困らない(ボタンホールも直線縫いで何重にも四角を縫えばいいや、と以前に発見した)のだが、子どもがせっかく裁縫に興味を持ちつつあるのにミシンがないというのはもったいない気がするのだった。子どもに1台与えて、自由に使わせ、いろいろ縫えるようになったらいいよなあ、などと夢想する。そう思ったようには運ばないけどな、子育てはどうせ。

 3ヶ月間での肉体改造を決意し、ビフォー写真を先日撮影したが、それで客観的に目にした自分の体型にショックを受け、それからどうなったか、なにくそと奮起したかと思いきや、ショックで、へこんで、しょげて、あれ以来すっかり筋トレから遠ざかっているのだった。バカ! パピロウのバカ! パピロウの根性なし! なんだと! だってしょうがないじゃないか! なんでしょうがないのよ! だって、だって寒いし! バカ! 本当にバカ! 本当に根性なし! うっせえ! わかったよ、やるよ! やってやんよ! 来年から! 来年になったら本気出すよ!

2021年12月18日土曜日

ビフォー・難読・帰省

 これからの3ヶ月あまりは、プールには行かず、家に籠り、新たに導入したトレーニングベンチを使って、ストイックに筋トレに励むこととしたため、せっかくならば現在の初冬の僕と、励んだ暁の初春の僕の、ビフォーアフター画像を撮ることにした。というわけで年末で相変わらず仕事が忙しいファルマンに頼んで、パンツ一丁になったところを、死んだ目で撮影してもらった。人の目ってこんなに死ぬことあるんだな、というくらいに死んでいた。
 それで保存されたビフォー画像を見たところ、「ひっ!」となるくらい痩せていて、衝撃を受けた。ビフォー画像なのだからそれでいいのだともいえるが、それにしたって、そもそもビフォービフォーとはいうものの、完全なビフォーではなく、これまでもそれなりに腕立て伏せとかはしていて、プロテインも日常的に飲み、主に大胸筋を狙って筋トレはしていたのだ。それだのに、横から撮った画像では、大胸筋よりもあばら骨のほうが前に突き出ている。なんやそれ。欠食児童か。これまでも鏡で自分の体を目にした際、わきの下のあたりに3本くらいの筋が浮き出ているのが見えて、肋骨だろうかという思いが頭によぎりつつも、いや筋トレしてプロテインを飲んでいる俺に限ってそんなはずはない、これは腹斜筋、あのセクシーなやつだよ、と自分に言い聞かせていたが、死んだ目カメラマンによる、被写体を良く撮ろうという意思が皆無の写真によって、いよいよ弁明ができなくなった。60巻で「俺は! 弱い!」と気づき叫んだルフィのように、僕も認める。「俺は! 痩せてる!」。
 画像にショックを受けていると、死んだ目キャメラマンが、「だってあなた成人男性にしてはぜんぜん食べないもん」と冷たく言い放つ。そうなのだ、ちまちまとお茶菓子とかおつまみとかは食べるけど、ガツンと量のあるものは食べられないのだ。牛丼チェーン店でも、並盛でお腹いっぱいになる。筋トレよりも、まずはそこかもしれない。あと家族とは別でひとり、わざわざ低脂肪乳や無脂肪乳を買って飲んでいたが、これももうよそうと思った。脂肪分、俺は取るべきだった。俺は! 痩せてる! から!
 まあでも本当にね、プラス思考でいえばね、いいビフォー写真だったと思いますよ。見とけ、と思いますよ。同じ構図、同じ立ち位置で撮影したら、フレームに収まらないと思いますよ、3ヶ月後の僕は。

 職場にナカダさんという人がいて、ぜんぜん珍しい名前ではないような気がするのだけど、どうもスムーズに呼べない。なぜだろうと考えて、僕の人生、実生活はもちろんのこと、メディアや創作も含めて、これまでナカダさんなんて存在しなかったんじゃないかと思った。名前を呼ぼうとすると、どうしてもナカタか、あるいは(漢字が違うが)ナガタになりそうになり、いつも言いよどむ。意外な難易度だと思う。僕だけだろうか。

 年末年始、実家に帰省するつもりだったが、取り止めた。
 前にもいったように、車で行くつもりだったのだけど、年末年始の高速道路って、それだいぶ危険が伴うやつじゃん! ということを、冬の気配が色濃くなってきたところでようやく思い至り、立ち往生であるとか、スリップ事故であるとか、嫌な想像ばかりが膨らんで、そこまでのリスクを負ってまで正月に帰ることはあるまいと、普通にやめた。代替として、夏だとちょっと先過ぎるので、春とか、GWとか、そこらへんで考えている。
 素直に公共交通機関を使えばいいじゃないかという意見もあるだろうが、なにぶん田舎暮しが長くなり、公共交通機関というものからすっかり疎遠になってしまっていて、そのため警戒心が強まってしまっている。新型コロナは、もちろん理由として全国的にまだ通用するだろうが、それに加えて、これはもう我ながら田舎者の感覚だなと思うのだが、小田急だの京王だのの事件を見るにつけ、都会の鉄道おぜえ(おそろしい)、という思いが募り、あとよく考えたら地下鉄ってチョーおぜえじゃん、と横浜出身島根県民としてそんな感情を抱く。我ながら信じられない。あの田園都市線に毎日乗り、渋谷で井の頭線に乗り換えていた、この僕が。「満員電車がつらい」といっている人の話を聞いて、(こいつはなにをいっているんだ、満員電車は自立しなくていいからむしろ楽だろ)と思っていた、この僕が。すっかり人格が変わってしまった。
 鉄道以外にも、飛行機という手もあり、鉄道では特急やくもと新幹線というふたつに乗って7時間弱かかることを思えば、1時間半で着く飛行機一択という考え方もあるが、飛行機は、まあ、うん、本当に火急の場面でしか、絶対に乗りたくないので、そこは勘弁してほしい。


2021年12月15日水曜日

漢字・プールなど・ファルマンブログ

 この言葉はなるべく使いたくないけれど、新語・流行語大賞ってオワコンだよね、ということを数日前に書いたが、これに関してはもはやなんの逡巡もなく言える。
 今年の漢字、オワコン。
 オワコンだよね、と話題にするだけでもありがたいと思ってほしい。本当に終わっている。数年前まではそれでもニュース番組で、「明日はいよいよ今年の漢字の発表です」「皆さんはどう予想しますか?」なんて語らいがあったものだが、今年はそんな光景も一切なかった。誰も注目せず、誰も待たず、誰も期待せず、そして誰も知らずに、終わった。相も変わらず、わざわざ清水寺の住職みたいな人に、うまいんだか下手なんだか、そもそも誰やねん、漢字界、書道界においてお前はどういう地位の誰やねん、みたいな文字を書かせて。あの進歩のなさ、工夫のなさは一体なんなのだろう。どういう神経なのだろう。もはや憤りを感じるレベルだ。
 そして純粋に一般からの投票数で決まる第一位、すなわち今年の漢字は、「金」だそうだ。今年の漢字が「金」になるのは5年ぶりだそうで、それはもちろん、いちいち言うのも馬鹿らしいが、オリンピックイヤーということであり、2012年もやっぱり「金」なのである。じゃあもう夏季オリンピックの年はわざわざ募集も発表もする必要ないじゃん、と思う。ちなみに2008年はというと、これは「変」であったり、また2004年は「災」であったり、かつてはオリンピックの年でもオートメーションで「金」などではなかったのだ。つまりここにも、新語・流行語大賞の授賞式にかつてはイチローが出席していた!というのと一緒で、企画に権威があったり、あるいはこちらの企画は一般投票なのだから、一般人に知性があった。今はもうだめだ。みんなSNSでおんなじことをおんなじように見て感じるようになったから、オリンピックの年には「金」しか思い浮かばなくなってしまったのだ。そもそも1年を1文字で、という企画に無理があるのだし、とっとと終わればいいと思う。

 プールの月間会員の期限が切れて、大いに悩んだ結果、冬の間は更新をしないことにした。まあなんだかんだで寒いし、トレーニングベンチも来たし、この間はコツコツお金を貯めて、春になったら月間会員よりもさらにお得な半年会員になろうかな、などと目論んでいる。
 本格的なプールに行かない代わりに、プールもあるサウナ温泉、みんな大好きおろち湯ったり館に行きたいなあと思うのだが、いかんせん微妙に遠く、なかなか足が向かない。なにかついでがあればいいのだが、雲南市についでの用事などあるはずがない。
 サウナといえば、島根県が誇る新時代サウナ、四季荘について、前に行った際に、利用料が安くなるからということでLINEで友達になったのだが、そこでたびたび送られてくるメッセージを見ると、熱波師とか、大食いとか、なんかいろいろ企画をして盛り上げようとしているようで、そういうのを見るにつけ、サウナの効果とは裏腹に、どんどん心が冷めてきて、たぶん常連客同士でグループを組んでたりするんだろうなあなどと思うと、みるみるうちに行きたい気持ちが萎んでゆくのだった。なぜ人は、いや人の一部は、同じ空間にいる人、同じものを愛好する人と、積極的に繋がりたがるのだろう。人となにかを共有したら、自分の取り分は半減するに決まっているのに。謎だ。

 ファルマンがブログを再開した。といってもまだ軌道に乗るか不明で、大々的に「こちら!」と紹介するような段階ではない。そもそもブログって、みなさん読みますか? 読みませんよね。この文章を読んでいる人は、ブログを読んでいる人ですけど、果してそんな人はいるのかって話だし、何度もいうように、ブログって書くために書くものなので、人に読まれてどうこうなるもんじゃない。だからファルマンの新しいブログも、本人の手で、本人のために、本人のやりたいようにやればいいと思う。日常って、気づけば茫洋と過ぎていくが、ブログには、つまり日記には、それを少しだけ堰き止める力があると思う。本当に少しだけなのだけど、その少しが、あるとないのとではぜんぜん違う。完全に堰き止めることはできないし、できたとしたら、それは時空がゆがんでいることを意味しているため、その「少しだけ」というのがいいのだ、と思う。だからファルマンがブログを再開したことは、とても嬉しい。ちょっと前からその素振りはあって、ブログタイトルで悩んでいて、あるとき「「せんてんす」というのを考えた」といっていたので、妻のセンスは崩壊したのかと危ぶんだが、実際に出来上がったブログタイトルはぜんぜん違うものだったので安心した。

2021年12月7日火曜日

父親妻・拡張・ウエンツ瑛士

 週末は餃子を作った。とてもおいしかった。
 白菜が安く、半玉の買い置きをしていたら、ファルマンの実家から丸ごと1玉がやってきて、餃子を作るよりほかない状況になったのだった。ほかない、というのは言いすぎたかもしれない。白菜といえば普通、まず鍋だ。要するに僕が餃子を作って食べたかったのだ。それでも白菜の消費という大義名分があったので、白菜に合わせてニラも挽き肉も増やし、大量の餡を作った。そして皮もたくさん買ったつもりだったのだが、それでも足りなかった。
 日曜日の夜のことだったので、皮が足りなくなった分は餡のまま冷蔵庫に入れ、次の日の晩ごはんも餃子ということになった。しかし僕が仕事帰りにスーパーで皮を買って帰ったのでは、包む工程のことを思えばあまりに遅くなってしまうということで、ファルマンに日中に買いにいってもらうことにした。日本酒と卵しか買わないことで有名な女が、近所のスーパーで初めて餃子の皮を買うことになったのだった。
 そしてそれをお願いしたときの、ファルマンの受け答えに衝撃を受けた。
「餃子の皮ってスーパーのどこに売ってるの?」
 お前は父親か、と思った。前時代の父親。スーパーで買い物なんて、普段ほんとうにしないから、ものがどこにあるのかぜんぜん分からないのだ。すごいな、と思った。「挽き肉コーナーの上の段だよ」と素直に教えてしまったが、「小麦粉売り場に決まってんだろ」くらいの意地悪をいえばよかったとあとで悔やんだ。

 10インチ超えのタブレットと過す日々である。
 前にもいったが、あまりにも大きすぎる。近ごろはポイントカードがアプリのお店も増えてきて、そういうときは画面に表示したバーコードを読み取ってもらうのだが、あれって当然だがスマホを基準とした仕様になっているため、タブレット、それも10インチ超のものだと、普通のバーコードリーダーでは読み取れず、わざわざ用意されている「それ用」なのかなんなのか、特殊なものを使って読み取ってもらっている。迷惑な。もとより、そういうポイントカードアプリのある店の場合は仕方なく持っていくが、そうじゃない店の場合、タブレットは邪魔なので車に置きっ放しにしたりする。大きさと重さの弊害である。
 そのため、心の奥の奥のほうで、(なる早で壊れねえかな……)と思う気持ちが、ないといったら噓になる。しかしその一方で、このタブレットがダメになって、今度こそはと7や8インチの、適度な大きさのタブレットに乗り換えたら、僕はもう物足りなさを感じる体になってしまっているのではないか、という気もする。これはまんま、巨根の彼氏と付き合った女の感情で、まんまといったが、巨根の彼氏と付き合った女の感情なんて実物を知らないので本当はよく知らないのだけど、たぶんこんな感じだろうと思う。もうすっかり穴が拡張してしまった。このアイノカタチはもうあなたじゃなきゃ隙間を作ってしまう。

 ウエンツ瑛士か、というツッコミの文句を考える。
 これはタカトシの「欧米か」みたいに使うものだが、ボケるほうは別にウエンツ瑛士そのもののエピソードにこだわる必要は一切なく、日常で起った出来事、人間関係、感じたこと、ありとあらゆることを漫然と述べればいい。それに対し、「ウエンツ瑛士か」とひたすらツッコむのだ。
「日が短くなってきて、日が短くなるとやけに寂しい気持ちになりますよね」
「ウエンツ瑛士か」
「久しぶりにおばあちゃんの家に行ったら、電子レンジが新しくなってたんですよ」
「ウエンツ瑛士か」
「硬水ってやっぱりちょっと苦い感じがしますよね。気のせいかもしれないですけど」
「ウエンツ瑛士か」
 唐突にイギリスに留学したあと、しれっと芸能界に戻ってきて、しれっと前までと同じポジションにいる、そしてこのままヒロミとか坂上忍とかの、ザ・芸能界的な芸能人として、いつまでもテレビに出続けるんだろう、でも俺たちはいったいウエンツ瑛士になにを求め、ウエンツ瑛士になにをもたらされるのか、さっぱり判らない、想像もつかない、もしかしたらなにも「ない」のかもしれない、WaTなんて本当はなかったように、ウエンツ瑛士もまたないのかもしれない、なのに我々はウエンツ瑛士を観続ける、果してウエンツ瑛士とはなんなのか、無であり、同時に遍くものなのかもしれない、などと考えると、この世の事象はすべて「ウエンツ瑛士か」といっていれば、聞いたほうも、「ああそうかもしれないなあ」と、それぞれのウエンツ瑛士の解釈をして、納得するのではないかと思った次第だ。

2021年12月2日木曜日

権威・朝ドラ・意欲

 ユーキャンのほうの新語流行語大賞の、結果が出る。大賞は「リアル二刀流/ショータイム
」だそうで、まあ何が来たって「それってどうなのか」となるに決まっているので、内心「それってどうなのか」という思いは煮えたぎるのだけど、別にいい。看過する。ところでテレビのニュースで紹介されていたので印象に残ったのだが、1994年の大賞は「イチロー(効果)」で(他に「同情するなカネをくれ」も)、メジャーリーグでMVPを獲ったふたりがこちらでも同じ栄冠に輝いた、みたいなことをいっていて、栄冠に輝くというよりも、ベストジーニストとかと一緒で、賞のほうが人気者にあやかってるだけではないか、という気も大いにするのだが、しかしそこで94年の授賞式の様子が映し出され、それを見ると、なんと若かりし日のダボっとしたスーツのイチローが登壇していたので、とても驚いた。あの国民栄誉賞を断った(大谷翔平も同じくだが)イチローが、流行語大賞の授賞式には出席していたのだ。その頃はイチローもまだそこまで我を張ってなかったというのもあるだろうが、それと同時に、この賞はかつてきちんと権威があったのだとも思った。そうだった。かつてはあったのだ。そしてこれは、すなわちメディアの権威、活字の権威だと思った。いまはもうそれは完膚なきまでに壊滅しているため、もちろん大谷翔平はこんな式には出席しない。今年の登壇した面々の地味さはどうだ。あまりに身も蓋もなく、無慈悲な言葉なので、なるべくなら使わずに生きていくべき言葉だと思っているが、しかしユーキャンの新語流行語大賞って、やっぱりあまりにも、オワコンだと思う。

 11月から始まった連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」がおもしろい。朝ドラの真髄を見ている気がする。ひとつ前の「おかえりモネ」の時期、僕はまあまあ朝ドラを観ることのできる生活リズムで暮していたのだが、ファルマンが観ているのをたまに横で眺めるくらいで、ぜんぜん魅かれなかったのが、今はわざわざ録画して観ている。それくらいちゃんとおもしろい。ヒロイン3人による3世代の物語ということで、別にひとり2ヶ月と決まっているわけでもないだろうが、どうしたって話の展開は早くなり、テンポがよくていい。あとやっぱり世代もの、大河ものって、第1部に出ていたあの子どもが第3部で謎の老人として再登場、みたいな、胸熱な展開が望めるので、そういう意味でもこれからどんどんおもしろさを増していく期待が持てる。朝ドラがおもしろいと暮しが愉しくなっていい。

 鳥取旅行のあと体調を崩したこともあり、プールに行っていない。月間会員なので、なるべく行かないと損なのだが、あまり気が進まないときに無理して行っても余計に損というか、行こうかなあどうしようかなあ、行くの億劫だなあ、行かないことにしたら楽だなあ、得だなあ、などと思考したりするのだから、もはや丸儲けならぬ丸損である。具合もよくなってきて、行きたい気持ちも徐々に湧きつつあるが、それでも億劫さが頭をもたげるのは、ひとえに鳥取旅行のあとに襲来した山陰の冬の気候が原因だろうと思う。生活リズムそのものは変わっていないので、前はあれほどあったプールへの情熱を変化させる要素といえば、それしかない。山陰の冬の気候は、ありとあらゆる意欲を、減退させる力を持っている。抗わなければならない。必死に抗わなければ、終わる。人が終わる。プール行こ。