2021年12月7日火曜日

父親妻・拡張・ウエンツ瑛士

 週末は餃子を作った。とてもおいしかった。
 白菜が安く、半玉の買い置きをしていたら、ファルマンの実家から丸ごと1玉がやってきて、餃子を作るよりほかない状況になったのだった。ほかない、というのは言いすぎたかもしれない。白菜といえば普通、まず鍋だ。要するに僕が餃子を作って食べたかったのだ。それでも白菜の消費という大義名分があったので、白菜に合わせてニラも挽き肉も増やし、大量の餡を作った。そして皮もたくさん買ったつもりだったのだが、それでも足りなかった。
 日曜日の夜のことだったので、皮が足りなくなった分は餡のまま冷蔵庫に入れ、次の日の晩ごはんも餃子ということになった。しかし僕が仕事帰りにスーパーで皮を買って帰ったのでは、包む工程のことを思えばあまりに遅くなってしまうということで、ファルマンに日中に買いにいってもらうことにした。日本酒と卵しか買わないことで有名な女が、近所のスーパーで初めて餃子の皮を買うことになったのだった。
 そしてそれをお願いしたときの、ファルマンの受け答えに衝撃を受けた。
「餃子の皮ってスーパーのどこに売ってるの?」
 お前は父親か、と思った。前時代の父親。スーパーで買い物なんて、普段ほんとうにしないから、ものがどこにあるのかぜんぜん分からないのだ。すごいな、と思った。「挽き肉コーナーの上の段だよ」と素直に教えてしまったが、「小麦粉売り場に決まってんだろ」くらいの意地悪をいえばよかったとあとで悔やんだ。

 10インチ超えのタブレットと過す日々である。
 前にもいったが、あまりにも大きすぎる。近ごろはポイントカードがアプリのお店も増えてきて、そういうときは画面に表示したバーコードを読み取ってもらうのだが、あれって当然だがスマホを基準とした仕様になっているため、タブレット、それも10インチ超のものだと、普通のバーコードリーダーでは読み取れず、わざわざ用意されている「それ用」なのかなんなのか、特殊なものを使って読み取ってもらっている。迷惑な。もとより、そういうポイントカードアプリのある店の場合は仕方なく持っていくが、そうじゃない店の場合、タブレットは邪魔なので車に置きっ放しにしたりする。大きさと重さの弊害である。
 そのため、心の奥の奥のほうで、(なる早で壊れねえかな……)と思う気持ちが、ないといったら噓になる。しかしその一方で、このタブレットがダメになって、今度こそはと7や8インチの、適度な大きさのタブレットに乗り換えたら、僕はもう物足りなさを感じる体になってしまっているのではないか、という気もする。これはまんま、巨根の彼氏と付き合った女の感情で、まんまといったが、巨根の彼氏と付き合った女の感情なんて実物を知らないので本当はよく知らないのだけど、たぶんこんな感じだろうと思う。もうすっかり穴が拡張してしまった。このアイノカタチはもうあなたじゃなきゃ隙間を作ってしまう。

 ウエンツ瑛士か、というツッコミの文句を考える。
 これはタカトシの「欧米か」みたいに使うものだが、ボケるほうは別にウエンツ瑛士そのもののエピソードにこだわる必要は一切なく、日常で起った出来事、人間関係、感じたこと、ありとあらゆることを漫然と述べればいい。それに対し、「ウエンツ瑛士か」とひたすらツッコむのだ。
「日が短くなってきて、日が短くなるとやけに寂しい気持ちになりますよね」
「ウエンツ瑛士か」
「久しぶりにおばあちゃんの家に行ったら、電子レンジが新しくなってたんですよ」
「ウエンツ瑛士か」
「硬水ってやっぱりちょっと苦い感じがしますよね。気のせいかもしれないですけど」
「ウエンツ瑛士か」
 唐突にイギリスに留学したあと、しれっと芸能界に戻ってきて、しれっと前までと同じポジションにいる、そしてこのままヒロミとか坂上忍とかの、ザ・芸能界的な芸能人として、いつまでもテレビに出続けるんだろう、でも俺たちはいったいウエンツ瑛士になにを求め、ウエンツ瑛士になにをもたらされるのか、さっぱり判らない、想像もつかない、もしかしたらなにも「ない」のかもしれない、WaTなんて本当はなかったように、ウエンツ瑛士もまたないのかもしれない、なのに我々はウエンツ瑛士を観続ける、果してウエンツ瑛士とはなんなのか、無であり、同時に遍くものなのかもしれない、などと考えると、この世の事象はすべて「ウエンツ瑛士か」といっていれば、聞いたほうも、「ああそうかもしれないなあ」と、それぞれのウエンツ瑛士の解釈をして、納得するのではないかと思った次第だ。