2019年3月27日水曜日

静寂・デスブログ・水泳

 健康診断はつつがなく終了した。と言っても詳しい結果はもちろん後日なので、当日の時点でつつがなくなかったら問題である。唯一ちょっと懸念があるとすれば、聴力検査で、いちど目はぜんぜん音が聴こえなくて、係の人に「おや?」という感じをされてしまった。僕も聴力検査でそんな風になると思っていなかったので、「おやおや?」と思った。それでもやり直したらなんとか聴こえたので事なきを得た。最初はヘッドホンの着け方が悪かったのかもしれない。あるいは本当に耳が悪くなったという可能性ももちろんある。その原因について考えたところ、すぐに子どもたちの顔が思い浮かんだ。思えばこの健診の前は4日間、連休で子どもたちと過したのだ。さらにはカラオケにも行った。耳はちょうどずいぶんダメージを受けていたのではないか。
 そんな疑念を渦巻かせつつ、今の僕は静寂の中にいる。春休みに入った子どもとファルマンは、今日から島根に里帰りなのである。というわけでここから数日の独り暮し。寂しい男やもめ。帰宅すると、静かで、部屋がきれいで、寂しくって辛抱たまらん。

 健康診断を終えたあと、少しだけチューハイを飲んだが、ビールはまだ飲んでいない。やっぱり情熱がだいぶ下がった。飲まなくても大丈夫感がすごい。
 思い返せば僕は今年の1月に、「僕等は瞳を輝かせ、沢山の話をした」に、「ビールは友達」という文章を書いた。ビールは僕のことを労い、優しくしてくれる。だからビールは僕の友達だ、という内容だった。
 あんな文章を書いたからではないか、と思った。ビールを友達としてしまったから、僕とビールの間には距離が生まれる結果になったのではないか。僕という人間と、友達という存在は、どうしたって離別していく運命なのではないか。万有引力の逆バージョンのような、謎の力がここには存在するのではないか。
 第1弾がビールだった「〇〇は友達」シリーズは、これから「ブログ」とか「ちんこ」とかでも書こうと思っていた。でも上記のデスブログ的な恐怖から書くのをやめた。そのかわり、「人の悪意」や「人の哀しむ顔」を友達と言えば、僕の人生からそれらは遠のくのではないかと思う。でもそんな文章、書いたら頭おかしいと思う。

 プールは4月も月会員を継続することにした。労働帰りのエクササイズの充実感、いちど知ってしまったらそうそうやめられない。
 それに週に3回くらいせっせと泳いでいるだけあって、ひと月でかなり泳げるようになってきた。はじめは小刻みにプールから上がって、ベンチでしばらく休んだりしながら、騙し騙し300メートルから400メートルほどを泳いでいたものが、今ではぶっ通しでその倍くらいの距離を泳いでいる。そして息も全然あがらない。
 肺活量とかが鍛えられたのもあるだろうし、なによりこのところめっちゃ本を読んでいるのだ。クロールの泳法の本。もう10冊くらい読んだ。どうすれば楽に長い距離を泳げるのか、作者や出版年によって、書かれている内容はもちろん微妙に異なっていて、そのときどきで直前に読んだ本の泳法を試している。いろいろ意識しすぎて泳ぎ方がぎこちなくなっているきらいもあるけれど、採用できる部分は採用している。どの本を読んでいても共通しているのは、どれだけ水の抵抗を減らせるかが鍵だ、という点だ。水中の運動は、水の抵抗があるからこそ地上の運動よりも効果的だが、しかし大事なのはその抵抗をどれだけ受けずに運動できるかなのである。ここにスイミングの情趣がある。泳ぐ習慣のないあなた方にはまるで理解できない情趣でしょうけれども。

2019年3月13日水曜日

Vネック・ファスナー・ボトルカバー

 Vネックの意味が分からない。どうして世の中にVネックなんてものがあるのだろう。出す必要なんてないだろう、首の下のあの部分。ぜんぶ丸襟でいいだろう。
 百歩譲って、ワイシャツとかポロシャツを着た際の肌着としてのVネックは許す。それらの第1ボタンを開けたときのVのスペースに丸襟の肌着が覗けていたらちょっとダサい。それは解る。だからそのときだけVネックの肌着は有用だ。でもそのときだけだ。
 去年やおととしあたりから、VネックのTシャツというのがちょっと流行っている。あれが本当に嫌なのだ。着るのが嫌なのではない。それ以前の問題で、世の中にあんなものが生み出されるのが嫌だ。アパレル業界がVネックのTシャツに費やすエネルギーの分、丸襟のTシャツがこの世から減るのである。せっかくいいデザインだと思っても、Vネックだから買えないという悲劇は、もう金輪際この世で起らないでほしい。
 そもそもVネックに勝算なんてないだろうと思う。ただ丸襟にちょっと飽きて、それでなんとなく肌着のそれを外に持ってきただけだと思う。そんな志のなさを感じる。早く気付いてほしい。Vネックは肌着なんだってことに。

 洋式便座に向かって立ちションすると飛び散る、という話があるだろう。まあそれは事実なので、なるべく座って行なったほうがいいとされる。ファルマンにも言われる。家族で男は僕ひとりなので、我が家に立ちションの市民権は一切ない。
 それで意識を高くして、小便だけのときも必ず座って行なっているかと言われると、まあしたりしなかったりというのが正直なところである。夜、パジャマ姿ならば座ってするのもやぶさかではないが、日中は立って済ませてしまうことが多い。なぜか。ベルトを外すのが面倒くさいからだ。立ってする場合ファスナーを降ろしてちんこを取り出せば済むところを、座ってしようとすると、ベルトを外してちゃんとズボンを脱がなければならない(そして事後はもちろん再び穿いてベルトも締めなければならない)。パジャマのときと較べて、この労力の差が大きすぎるのだ。それでなかなか座りションが徹底できない。
 でもこの悩ましさにこそ、発明の種が隠されているのではないかと思う。とにかく面倒なのはベルトなのだ。パジャマならば座るのだから。だからベルトのズボンでも、ベルトを外さず、便座に座ってファスナーを開ければ、ちゃんと小便が便器に入っていくような、そんな仕組みがあればいいのだと思う。そんなデザインのズボンを考えればいい。
 それで少し考えて、ファスナーがちんこの前面だけじゃなく、その向こう側、蟻の門渡り、いわゆるプィーボコクスィヅィアスマッスルの部分まで延長してあれば、座ってそこを開けて(あるいは開けてから座って)、ちんこの先端が真下の便座の中にちゃんと向くように姿勢を調整すれば、ベルトを外すことなく座って排尿できるのではないかと思った。
 そして次の瞬間、これは乳児が着る、股ぐりがスナップボタンになっているサロペットだったり、あるいは中国の子どもが穿くという、尻周りが丸ごと開放されている穴あきパンツの発想だな、と思った。いや、そんなかわいいもんじゃない。面倒くさがりのおっさんが想起したのだ、だとすればこれは介護服の範疇に入れるべきかもしれない。
 観念して、面倒くさがらずベルトを外そうと思います。

 100均に最近、とてもシンプルなプラスチックのボトルが売られているだろう。本当に単なる筒で、筒の大きさのままの蓋がついていて、洗いやすいやつ。もちろん魔法瓶でもなんでもないのだが、日常でそこまでヒエヒエアツアツは求めないので、常温の麦茶を入れて仕事に持っていって、日がなチビチビ飲むという、あのボトルである。
 基本的に500ミリリットルなのだが、先日350ミリリットルの、太さはそのままで少し丈の短いものを目にし、こんなサイズのも持っとけば要所で便利なんじゃないか、と思って買った。併せて布製のカバーも買う。カバーは350ミリリットルのそれ専用のものではなく、それなりに伸縮性のある生地で作られていて、350のボトルにも500のボトルにもどっちにも対応する、というものだった。
 それで今日、350ミリリットルのそれを持って出たのだけど、カバーを被せてみたら、どっちにも対応と言いつつ、やっぱり丈の短い350ミリリットルボトルだと、生地が少し余り気味で、なんか筒の丈が短くてカバーがダブついているというその様に、男子として、やけに切ない気持ちにさせられたのだった。買い物に失敗した。俺は800ミリリットルくらいのボトルを買うべき男だのにね。

2019年3月7日木曜日

社交界・画像・特定外来生物

 新しくしたLINEアイコン(キュアミルキー)の評判がとても悪い。ファルマンが「気持ち悪い! 事案だよ!」などと喚くのは想像通りだったけど、滅多に連絡が来ない姉から、「そのアイコンはやめな」ととても冷徹に忠告されたのはダメージが大きかった。姉って「世間そのもの」みたいな人間なので、言うことに説得力があるのだ。その点ファルマンはほら、アレだから。ファルマンがなんか言っても、特殊な意見だなあくらいにしか思わなくて響かないのだけど、姉は何事に関しても世間から決して大きくズレない、羅針盤のような人間なので、姉に窘められるということは世間的に間違っていることを意味する。それでも別のことなら世間とのズレなんか気にしなかったりもするのだが、LINEというのはどこまでも世間のツールなので、その道の達人の意見は聞いておいたほうがいい。社交界には社交界のルールがあるのだ。おで、山から出てきたばっかで、里のことはよくわがんねっけど。というわけでキュアミルキーのアイコンは2日でやめることにした。すごく気に入っていたのに。あーあ、社交界は息が詰まるな!

 というわけで新しいアイコンはなににしようかと考えている。あんまりコロコロ変えたくないので、もう失敗したくない。しかしなににすればいいのかさっぱりわからない。ちんことキュアミルキー、どっちもダメなんだとしたら(ちんこに関しては自力でダメなことに気づけた)、いったいなにをアイコンにしたらいいのか。
 まず思い浮かんだのはポチャッコである。サンリオの犬のキャラクター。別にぜんぜん好きじゃないのだけど、マイメロやキキララのように狙い過ぎてなく、また逆にけろけろけろっぴとかハンギョドンのように外し過ぎてもない、ポチャッコというのが絶妙なのではないか、これが世間でいちばん受け入れられる度合なのではないかと思った。
 次に、もういっそペリーヌの画像にしてはどうかと考えた。プリキュアをやめてペリーヌの流れ、ファルマンにしかウケないのだけど、ファルマンにウケたらそれでいいや、という気もする。それから世界名作劇場の流れで、マルコとかネロとかロミオとか、いろいろ画像を見たが、どれもいまいちしっくり来ない。
 それから、アイコンにちんこはダメだけど、ちんこに特徴のあるサルならどうだろうと発想し、ボノボやカニクイザルの画像を検索する。しかしサルの顔写真って、なんかやっぱり嫌だな、友達のアイコンがサルだったらやだな、と思ってやめた。
 ああ悩ましい。こんなことなら朝青龍から変えなければよかった。

 それからも悩み続け、でもこんなことにそう時間を割いてもいられないので、もうこれでいいやと決定した。それで結局なんの画像にしたか。
 群生するオオキンケイギクの写真である。
 花て。

2019年3月5日火曜日

プリキュア・ペリーヌ・プリキュア

 地方局による毎朝の放送により、ピイガが去年の暮れからプリキュアに嵌まり、しかしそんなタイミングでの覚醒だったので、もう話の終盤だった本放送中の最新作「HUGっと! プリキュア」には途中参加できず、先月より始まった「スター☆トゥインクルプリキュア」から、ピイガ(わが家の)のきちんとリアルタイムで観るプリキュアの歴史が始まった。
 そしてリアルタイムで観てみたら、プリキュアって本当にすごい。なにがすごいって、マーケティングがすごい。ものすごい商売の仕組みが出来上がっている。お店に行けばもう「スター☆トゥインクルプリキュア」のものだらけ。それを見るたびに「ほしい!」と言うピイガ。まずい。我々は「キラやば」な世界に突入してしまったらしい。スーパーに行くたびにいろいろ見つけ、とても面倒臭い。極めつけはなんてったっておもちゃだ。プリキュアに変身するためのおもちゃ。スターカラーペンダントですって。5000円とかですって。もちろん「ほしい!」。これまでほぼ無菌状態で、オセアニアの有袋類のごとくのどかに生きてきたので、それらが海の向こうからやってきた伝染病や犬によってあっという間に絶滅の危機に瀕したように、うちの娘はコマーシャルへの耐性が途轍もなく低いのだった。非常にまずい。キラやばだ。

 毎日1話放送で、CMはプリキュアとは一切関係ない、旅館とか銘菓とかのものが流れていた、地方局の例の放送は、観はじめた「スマイルプリキュア!」から「ドキドキ!プリキュア」へと進み、それが先々週くらいに終わったあと、次は「ハピネスチャージプリキュア!」かと一家で愉しみにしていたら、たぶん最近のほうの作品になるにしたがって放映権料が高いとか、そんなような事情に違いないが、ここでいちどプリキュアの流れがぶった切られて、それで翌日からなにが始まったかと言えば、「ペリーヌ物語」なのだった。
 「ペリーヌ物語」は1978年に放送された、世界名作劇場の流れの作品で、エクトール・アンリ・マロの「家なき娘」を原作とした、とても味わい深く、とても地味で、とても貧乏臭い話である。もちろん魔法少女に変身なんてしない。父親が死んで、母親と懸命に生きようとするが母親も死んで、孤児になったペリーヌも栄養失調で死にかけたりするらしい。つ、つらい……。
 なにより、これまでのプリキュアからの落差である。なんだか地方局の編成担当者の強烈なメッセージを感じる。ペリーヌはパンがなくて死にそうなのに、スターカラーペンダント(プラスチック製、約5000円)を欲しがるなんて現代の子はおかしくないだろうか。担当者はそういうことを言いたいのかもしれない。僕もまったくもって同感だ。
 毎朝その時間にテレビを観るのが慣習になっていたため、ファルマンとピイガは「ペリーヌ物語」を観ているらしい。当然ピイガは白けた反応のようだが、ファルマンはやけに嵌まっていて、ペリーヌ母娘のモノマネをすごいしてくる。俺の妻、1978年放送の「ペリーヌ物語」のモノマネを、なんかすごいしてくる。どうしてしまったんだ。

 それはそれとして「スター☆トゥインクルプリキュア」の話に戻るのだが、これに出てくるキュアミルキーが非常にかわいい。2話の変身シーンを観た瞬間から、心を奪われた。なんか「スター☆トゥインクルプリキュア」は、昨今のラノベ発信とかの得体の知れないアニメについていけず、すっかりアニメ離れした僕のような親世代にも、すごく訴求する要素が詰め込まれていて、とてもいいのだった。ずいぶん久しぶりにアニメのキャラクターを純粋にかわいいと思った。天にあまねくミルキーウェイ! キュアミルキーですよ。今年のプリキュアは変身の際、歌を唄うのが斬新でいい。
 思わずLINEのプロフィール画像を、朝青龍からキュアミルキーに替えてしまった。母親とか、職場の人とかもいるのに、やってしまった。でもこんなとき娘がいるといい。ほら、娘がさ、プリキュア好きだから。まあピイガが好きなのはキュアセレーネなんだけども。