2019年3月13日水曜日

Vネック・ファスナー・ボトルカバー

 Vネックの意味が分からない。どうして世の中にVネックなんてものがあるのだろう。出す必要なんてないだろう、首の下のあの部分。ぜんぶ丸襟でいいだろう。
 百歩譲って、ワイシャツとかポロシャツを着た際の肌着としてのVネックは許す。それらの第1ボタンを開けたときのVのスペースに丸襟の肌着が覗けていたらちょっとダサい。それは解る。だからそのときだけVネックの肌着は有用だ。でもそのときだけだ。
 去年やおととしあたりから、VネックのTシャツというのがちょっと流行っている。あれが本当に嫌なのだ。着るのが嫌なのではない。それ以前の問題で、世の中にあんなものが生み出されるのが嫌だ。アパレル業界がVネックのTシャツに費やすエネルギーの分、丸襟のTシャツがこの世から減るのである。せっかくいいデザインだと思っても、Vネックだから買えないという悲劇は、もう金輪際この世で起らないでほしい。
 そもそもVネックに勝算なんてないだろうと思う。ただ丸襟にちょっと飽きて、それでなんとなく肌着のそれを外に持ってきただけだと思う。そんな志のなさを感じる。早く気付いてほしい。Vネックは肌着なんだってことに。

 洋式便座に向かって立ちションすると飛び散る、という話があるだろう。まあそれは事実なので、なるべく座って行なったほうがいいとされる。ファルマンにも言われる。家族で男は僕ひとりなので、我が家に立ちションの市民権は一切ない。
 それで意識を高くして、小便だけのときも必ず座って行なっているかと言われると、まあしたりしなかったりというのが正直なところである。夜、パジャマ姿ならば座ってするのもやぶさかではないが、日中は立って済ませてしまうことが多い。なぜか。ベルトを外すのが面倒くさいからだ。立ってする場合ファスナーを降ろしてちんこを取り出せば済むところを、座ってしようとすると、ベルトを外してちゃんとズボンを脱がなければならない(そして事後はもちろん再び穿いてベルトも締めなければならない)。パジャマのときと較べて、この労力の差が大きすぎるのだ。それでなかなか座りションが徹底できない。
 でもこの悩ましさにこそ、発明の種が隠されているのではないかと思う。とにかく面倒なのはベルトなのだ。パジャマならば座るのだから。だからベルトのズボンでも、ベルトを外さず、便座に座ってファスナーを開ければ、ちゃんと小便が便器に入っていくような、そんな仕組みがあればいいのだと思う。そんなデザインのズボンを考えればいい。
 それで少し考えて、ファスナーがちんこの前面だけじゃなく、その向こう側、蟻の門渡り、いわゆるプィーボコクスィヅィアスマッスルの部分まで延長してあれば、座ってそこを開けて(あるいは開けてから座って)、ちんこの先端が真下の便座の中にちゃんと向くように姿勢を調整すれば、ベルトを外すことなく座って排尿できるのではないかと思った。
 そして次の瞬間、これは乳児が着る、股ぐりがスナップボタンになっているサロペットだったり、あるいは中国の子どもが穿くという、尻周りが丸ごと開放されている穴あきパンツの発想だな、と思った。いや、そんなかわいいもんじゃない。面倒くさがりのおっさんが想起したのだ、だとすればこれは介護服の範疇に入れるべきかもしれない。
 観念して、面倒くさがらずベルトを外そうと思います。

 100均に最近、とてもシンプルなプラスチックのボトルが売られているだろう。本当に単なる筒で、筒の大きさのままの蓋がついていて、洗いやすいやつ。もちろん魔法瓶でもなんでもないのだが、日常でそこまでヒエヒエアツアツは求めないので、常温の麦茶を入れて仕事に持っていって、日がなチビチビ飲むという、あのボトルである。
 基本的に500ミリリットルなのだが、先日350ミリリットルの、太さはそのままで少し丈の短いものを目にし、こんなサイズのも持っとけば要所で便利なんじゃないか、と思って買った。併せて布製のカバーも買う。カバーは350ミリリットルのそれ専用のものではなく、それなりに伸縮性のある生地で作られていて、350のボトルにも500のボトルにもどっちにも対応する、というものだった。
 それで今日、350ミリリットルのそれを持って出たのだけど、カバーを被せてみたら、どっちにも対応と言いつつ、やっぱり丈の短い350ミリリットルボトルだと、生地が少し余り気味で、なんか筒の丈が短くてカバーがダブついているというその様に、男子として、やけに切ない気持ちにさせられたのだった。買い物に失敗した。俺は800ミリリットルくらいのボトルを買うべき男だのにね。