2019年2月28日木曜日

前夜・カレーハードル・新元号

 あまりブログを書かなかった2月が終わる。なぜ書かなかったか。特に理由はない。なんとか2ケタには乗ったのでまあよしとしよう。
 3月は休肝月にする、という宣言をした。とんでもない宣言をぶち上げたものだと思う。3月までまだあと数日ある、3月の俺と関係のない俺だから言えた。今の俺なら言えない。今日の俺は、明日から酒が飲めない俺なのだ。とんでもないことだ。さっき労働の帰りにスーパーに寄って、棚を見て回ったのだが、おいしそうだなと思うものがあっても、(ビールを飲まない俺がこんなものを食べていったいどうするんだ……)と手が伸びなかった。3月はずっとそんな風に、伏し目がちに生きていくんだと思う。ビールのない世界の果てをきっと僕は目にする。

 ファルマンのカレー好きが加速しているのだけど、その好きの加速というのが、カレー好きが高じてオリジナルの調合をしてこだわりのカレーを作るとかじゃなくて、そういう頂きを目指す方向でなく、カレーならばどんなカレーでもアリだ、という、裾野を広げるほうの加速なのだった。そっちか、と思う。例えばコーヒーがすごく好きな人というのは、缶コーヒーを受け入れない。嗜好というものは得てしてそのように尖鋭化してゆくものだと思っていた。そうじゃないパターンもあるということを伴侶のおかげで初めて知った。そして裾野が広がるほうに加速した結果、ファルマンはこの頃とても広い心でカレーを作るようになった。だって汁にカレールウが溶けていれば本人としてはもうオッケーなのだ。そのハードルの低さ。僕が(このカレーはちょっとどうなんだろう……)と思うカレーを、おいしいおいしいと食べる。「カレーにいいカレーも悪いカレーもない」のだと言う。この現象が、いいことなのか悪いことなのか、ずっと判断がつかないでいる。

 職場の女の子で、新元号が始まる5月1日に婚姻届を提出する予定だという子がいて、まあせっかく結婚するんならそういうエピソードが付加される日に出したほうがお得な気分だよね、と2008年8月8日に提出した身として感じ入る部分がある。ちなみに新元号は3、40年にいちどのペースで訪れるが、080808というゾロ目は100年にいちどしか訪れないので、レア度で言えば我々夫婦のほうが勝っている。だからこっちのほうが偉い。ひれ伏してほしい。
 それでいつもの新元号を当てていこう企画なのだけど、イニシャルKが来るんじゃないかという予感もあるので、いっそこういうのはどうかと思った。
 結婚。
 これなら職場の女の子がすごく便利だろうと思う。

2019年2月25日月曜日

ゾルフーザ・プロテイン・パーテーション

 ポルガがインフルエンザに罹る。春の到来を感じる今日この頃、今年は我が家はインフルエンザ禍を免れたなと安心していたら、しっかり2年連続で罹ったのだった。話を聞くと小学校の両隣の子がインフルエンザで学校を休んでいるという。両隣をインフルエンザで挟まれたなら、もはやオセロのルールに従うよりほかない。
 発症が土曜の深夜、日曜の明け方だったので、朝になって、市の持ち回りの休日診療をしている医院を調べ、連れてゆく。ちょうど割と家の近くの医院で助かった。タミフルでもリレンザでもなく、ゾルフーザというものを処方される。インフルエンザの特効薬って、家庭用ゲーム機くらいのペースで刷新されているような気がする。それにしてもゾルフーザってドラクエのラスボスっぽい。
 そしてさすがは新薬、1日経って、熱はすっかり下がり、元気になって逆に困っている。今のところ僕を含めて感染の兆候はない。このまま鎮火してほしい。

 3月の終わりごろの健康診断が予告され、対策を練っている。そのときだけ節制して数字を良くしたって意味なんかないという理屈で、これまでは別になにもしてこなかったのだけど、今年からは違う。なんかそのときばかりの数字でも、なるべく良くしたい気になった。そこに35歳という年齢のリアルさがあるのだと思う。
 数字を良くするとはどういうことかと言えば、それはもちろんγ‐GTPのことである。体重なんかは大した問題ではないのだ。とにかく僕の健康診断は、いつもγ‐GTPばかりが足を引っ張るのだ。それを健常な数値にしたい。
 というわけで3月は禁酒したろうかな、などと思う。休肝日ならぬ休肝月じゃい、などと豪胆なことを思う。なぜそんなことを思えるかと言えば、今がまだ3月ではないからだ。酒を飲むことを許されている2月だからだ。3月の俺かわいそ(笑)。
 3月はプールの月間フリーパスを買う心積もりもあり、ちょっと3月の僕は人間が変わるかもしれない。ブログにも、プロテインの話しか書かなくなるかもしれない。その場合は許してプロテイン。3月はこんなプロテインジョークが次々繰り出される予定。

 夫婦の部屋の模様替えをした。
 前回の家全体の模様替えによって、僕とファルマンのパソコンデスクが初めて横並びになった、ということを書いたが、これがやってみたらあまりよくなかったのだった。した直後から僕は「パーテーションを立てたい」などと言っていて、実際にちょっとしたボードを立てたりしていたのだが、それでもやっぱりどうもダメだった。居心地がよくなかったの僕だけじゃなく、ファルマンもまた「なんか落ち着かない」と言っていた。あとファルマンの椅子というのが、大社長が座るような図体のでかい物であり、これまでの配置は、ドア、ファルマンのデスク、僕のデスクという並びだったので、僕が僕のデスクに行くにあたり、ファルマンのその椅子がいちいち邪魔なのだった。そんなわけで不満が募り、再調整と相成った。
 新しい配置では、互いのデスクの背面を突き合わせる形、つまりわざわざ回り込まなければ相手のディスプレイは見られない形になり、ふたりで「ああこれがいい」と安息した。僕はファルマンと違っていかがわしいサイトとかを見るわけではないのだけど、それでもやっぱり、お花畑とか小動物とかの画像って、ひとりの世界で眺めたいものであり、今回の模様替えによって、これで安心していつでも自由に勃起したりできるな、とほっとしている。

2019年2月21日木曜日

二の腕・猪・新元号

 プールは週に1回ないし2回行くくらいの感じで、今後も緩やかに続いていきそうな気配がしている。いい習慣だと思う。泳ぐ距離は、毎回ちょっとずつ増やすよう心掛けていて、前回は550メートル泳いだ。毎回50メートルずつ伸ばすとしたら、50回を経たとき、僕は3000メートルくらい泳いでいる計算になる。そう考えると気持ち悪い。スポーツはマゾヒズムだと言われるが、だんだん大きな刺激でないと満足できなくなってくる感じは、まさにその通りだと思う。ほどほどのところでストップしよう。
 初めてひとりで行って、ちゃんと泳いだ翌日は、さぞや筋肉痛になるかと思ったら、そうでもなかった。ただし二の腕に少し来た。泳法はクロールなのだが、負荷は二の腕に来るのか、とちょっと意外な気がした。しかし二の腕はなあ、できればなあ、あまり筋肉をつけたくないのだよな。ただでさえバトンで否が応でも鍛えられてしまうのに、さらに水泳でもとなると、そんなのもう、筋肉おばけじゃんかよ! 参っぜ!

 帰宅途中、猪を目撃した。
 去年の暮れあたりから微妙に猪の話題が多い気がする。嫌だな。アーバンなブログのはずなのだが、猪がやけに生活にまとわりついてくる。おかしいな。
 家に帰るべく車を走らせていたら、交差点の脇の茂みから猪の親子3頭が現れたのだった。そして僕の車の3台前を、交差点の横断歩道などもちろんまるで気にすることなく、左から右へ悠々と横切っていった。悠々と歩く猪に対して人間の運転する車ができることなどなにもなくて、交差点はしばし「猪ストップ」状態になった。猪が車道を渡り切ったところでストップは解除され、再び走り出した。道を渡った猪たちは、そのまま反対側の茂みの中に消えるのかと思いきや、普通に歩道を歩きはじめたのでびっくりした。それで車道を走る僕と、歩道を歩く猪親子は、反対車線を挟みながらも、15メートルほど並んで進む形となり、まあまあ近い距離から、まじまじとその姿を見つめることとなった。だって猪である。動物である。ペットじゃない野生動物だ。猪の体重はだいたい人間と同じくらいだという。その体躯を抱えながら、親子で、野生で生きているのだ。なんか感動する。子どもたちは、ウリ坊というほど小さくはなくて、人間で言ったら小学校高学年から中学生くらいだろうと思う。そろそろ親の手伝いもできる年頃だ。親子で仲良く、いつまでも達者で暮してほしい。歩道を普通に歩いている姿を見て、怒って突進とかしてこないのであれば動物ともぜんぜん共存できそうだな、などと思った。錯覚だけど。

 新元号を当てにいこう企画。2回目。
 回輪。
 かいりん。イニシャルのKが来るのではないかという読みがあり、それでカ行の漢字を多く見ているのだが、その中で「回」っていいなあと思った。平易だし、意味も深いし。たぶん実際には選ばれないのだけど。輪のほうには特に意味はない。だから本当は「回回」(かいかい)でもいいと思う。あるいは深い「回」の概念の教えという意味で、「回教」(かいきょう)もありだ。ありだけどそれはイスラム教という意味だ。

2019年2月7日木曜日

プール・指示・新元号

 労働後プール2回目。前回350メートルだったので、それを超えようと、400メートル泳ぐ。最後は息も絶え絶えだった。その400メートルも、もちろんぶっ通しで泳いでいるわけではなく、休み休みやっているのだが、こじ開けるかのように僕がなんとか400メートルに達するまでの間、ずっと一定のペースで泳ぎ続けているおっさんというのがいて、すごいもんだと思った。でも続けていればきっと僕もあの境地に至れるに違いない。飽きずに精進しようと思う。
 脱衣所では、教室を終えた小学生らとタイミングが一緒になり、小学生男子はやっぱりちんこの話をしていた。教室で毎週おんなじメンツで水着の脱ぎ着ををしているだろうに、それでもやっぱりちんこの話をするのだな。それはそうだな、と思った。僕もできることなら一晩中ちんこの話ばかりをしたい。仲間に入れてもらおうかな。

 去年大騒ぎした、日大アメフト部の悪質なタックルの件、警察が捜査をした結果、監督とコーチの指示は立証できず、刑事責任は問われないこととなった。そうなんだ、と思った。あんな、ほとんど自白みたいな音声データがあっても、指示は立証できないということになるのか、と驚いた。じゃあもういったいどれほどのあからさまさがあれば刑事責任に問われるのだろうと思う。痴漢とか、被害者女性が訴えたらほぼ100%有罪にされる、という話がある(という話が世間で盛んに取り沙汰された結果、痴漢を訴える女性はヒステリックで自意識過剰な狂言だ、という風潮が逆に蔓延してきた感もあるが)。その逮捕のガバガバさと、今回のアメフト部の捜査の厳密さの違いは、なんだか腑に落ちないものがある。部を支配していた監督およびコーチが、学生に悪質なタックルを強要する空気を作り出していたことは、これはもう確実で、集団を支配する人間が作り出す空気というものは、戦争を例に持ち出すまでもなく、だいぶ絶対的な拘束力を持つ。具体的な指示がなかったとしても、その空気を作り出すことが、もう犯罪に片足を突っ込んでいると言えるんじゃないかと思う。というより、思いたい。空気的な強要は指示ではないので刑事責任はない、ということになると、忸怩たる思いを抱えながらも逃げられない人間(今回のタックルをした学生のような)が、救われなくなる。いや、でも集団の構成員が勝手に暴走するパターンもやっぱりあるので、その線引きが難しいのか。しかしなあ、今回の件はなあ、絶対に指示してるからなあ。ねえ。

 エイプリルフールに発表されるという新元号を、これからどんどん予想していこうと思う。平易な二文字の漢字、というルールがあるので、数を撃てば案外的中するのではないかと思う。パピトラダムスとしての能力も高まっていることだし。
 というわけで今日の予想。
 永広。
 えいこう。なんかそれっぽい。このくらいのテンションで挙げていこうと思う。

2019年2月5日火曜日

こころ・プール・ブログ

 「心」という字は心臓の象形だとされるけれど、その篆文字を見るとあまりにもちんこっぽくてどうも怪しい、ということを以前に書いた。いつ書いたかと確認したら、2014年6月のことだった。それから心はちんこから来ているというパピ川静学説に則り、心を用いた漢字でエロいものランキングを開催するに至ったのだが、そのときに見逃していた大物を、このたび漢検準1級の勉強中に発見した。当時にこの漢字の存在にたどりついていれば、いろいろ話は早かったことだろうに、と忸怩たる思いを抱いた。
 それは「蕊」である。雌蕊、雄蕊の「しべ」。
 草冠の部に分類されているため、当時は気付けなかった。気付いていれば、「心」が心臓なんかじゃないことはその瞬間にスパーンと結論が出ていた。だっておしべとめしべに心臓は関係ない。それはどこまでも性器のことだろう。感情のない、心臓のない、植物の、剥き出しの性器を示す言葉の漢字に「心」×3。じゃあもう絶対じゃん。絶対に「心」はちんこじゃん。1ちんこじゃ足りなくて、3つ重ねるほどのちんこじゃん。本当にいったい誰なんだよ、「心」が心臓だって言った奴は。逆にそいつの唱える根拠を聞きたい。

 労働後の水泳を本当に実行した。労働後に施設に行ってエクササイズを行なうなんて、まるで意識が高い人のようだと思う。そうです。わたすが意識高い人です。
 プールでは、なにしろひとりなので、泳ぐ以外にすることがない。ひとりカラオケはひたすら自分が唄っていなければならないというのと同じで、ストイックに泳ぎ続けなければならないのだった。ファルマンに、「晩ごはんの時間までには帰ってこい」と言われていて、そんなのぜんぜん時間がないじゃないかよ! と泳ぐ前には思ったのだけど、25メートルプールをひとしきり泳いで、息がゼエゼエになって、時間を見たら入館して15分くらいしか経っていなかった。まだ晩ごはんは下拵えの時間だった。でもプールはスイーツの食べ放題みたいに、1分いくらとかのシステムではなく、15分でも2時間でも同じ料金なので、さすがに悔しくてもう少し粘った。ベンチでの休憩を挟みつつ、悲鳴をあげる体に鞭打って、そのあとも何度か泳いだ。結果として、合計350メートルほど泳ぐ。ファルマンに伝えたら「すごい」と言われたが、たぶん世間的にはそれほどすごくない。でも初回だ。ここから僕はどんどんたくさん泳げるようになっていくのだと思う。
 そんなわけでなかなかよい労働後スイミングだった。習慣にしようと思う。それにしても通勤途中にあるこの施設、あまりにも気づくのが遅かった。これまでの5年間で既にこの習慣ができていれば、たぶんその世界の僕は今こうして悠長にブログなんて書いてないと思う。屈強になりすぎていて、キーボードなんて打てないと思う。逆に言えば、このブログも長くてあと5年の命だ。そのうち屈強になりすぎて、指がキーボードのサイズを超えると思う。そのくらい屈強になることを見越している。

 おもしろいブログが読みたい。せっかくタブレットを持って、合間時間でインターネットができるようになったのに、見るものがなんにもない。本当になんにもない。ラインのやりとりがないのは言うまでもないし、近ごろタブレットでしていることと言えば、ヤフーのトップページで気になった記事を読むことと、「USP」を読むことくらいだ。そうなのだ。読むものがなさすぎて、おもしろいブログとして、僕は「USP」を読んで暮しているのだ。「USP」はおもしろい。すばらしいブログだ。しかし残念なことに、「USP」は過去のブログである。やっぱり人の日記を盗み見するのなら、リアルタイムの、同じ日々を生きる人のものがいい。それでここ数日、おもしろいブログを求めてウェブ上をさまよったりしたのだけど、これがぜんぜん見つからない。これまでそういうことをまるでしてこなかったため、たぶん探す能力がめっぽう低いということもあり、本当に見つからない。ゲームとか、株式とか、スピリチュアルとか、そういうんじゃなくて、読み物として普通におもしろい、日記のようなブログがいい。しかもそれが1個あればいいんじゃなくて、自分もできていないので毎日更新しろとは言わないが、それでも定期的に更新があるとして、だとしてもどうしたって読むペースと書くペースでは差があるので、そういう心地よく読めるブログが、20個は欲しい。1個も見つからないのに、20個も欲しいのだ。でもこれは案外すんなり叶う気もする。ひとついいブログが見つかれば、そのブロガーがお気に入りのブログを20個リンクしている可能性があるからだ。そんなことを期待している。でも探すのが本当に下手。探されるのも下手。こうしてブログは広がってゆかない。