2022年6月14日火曜日

レベル・露出・あの野郎

 せっせとプールに通っている。週に2ないし3回くらい。1000メートルを目安に泳いでいる。1000メートル泳いできたよ、とファルマンに言うと、「すごい!」となるのだけど、1000メートルというのはスイマーにとっては鼻で笑う距離のようでもある。まったく泳がない人と、マジで泳ぐ人の乖離は広い。僕はその狭間にいる。まあまあうまいこと泳げているな、などと思っていたら、隣のレーンに、お前は脚にモーターが付いてるだろ、みたいな人が現れ、意気消沈したりする。泳ぐのが速い人の、あの意味が分からない推進力ってなんなんだろう。あれって体の使い方とかじゃなくて、前月に5万円以上買い物した人は翌月プラチナ会員としてポイント利率アップ、みたいな感じで、同じことをしていても、なんかその人だけ水に優遇されているように思える。まあたぶん、同じことをしているんじゃないんだろう。前回のプールで、いつものように泳ぎながら、ふと、ここで腕をこうなんじゃね? と閃き、実践したら、泳ぎが少しスムーズになったように感じられた。テレレレッテテッレー、と福音が聴こえたような気がした。たぶん、地道なこれの繰り返しなんだろうな。

 今年の夏は小学校でプールの授業があるらしい。てっきりないだろうと思っていたため、慌てて水着の準備をしたりした。最近のスクール水着(女子の)は、なんとなく見知ってはいたが、下はスパッツ、上はタンクトップ、それどころかTシャツのような袖付きの型の、セパレート(といってももちろん間が空いて素肌を晒すわけではない)タイプが主流で、へえ、と思う。ちなみに僕はスクール水着については一切のフェチがなく、競泳水着にもなく、これに関しては猛烈にビキニ一辺倒なので、このスク水の変遷にはなんの感慨もなかった。そんな、自分の時代に較べ生地多めの、娘のスクール水着を買いながら、ファルマンが、「ブルマと一緒で、昔のスクール水着を見て、昔は女子生徒にこんなものを着せていた、って驚かれるようになるんだろうね」としみじみと言っていた。それを聞いて思ったこととして、大正や昭和の、水着なり体育着なりは、まるで囚人服のような長袖長ズボンだった、という写真を見たことがあるが、そこからだんだん生地が削られ、削られ、行き着いた先がブルマやわれわれの時代のスクール水着で、そして今そこからまた生地が徐々に増えてきているということは、われわれの時代というのは、この100年くらいのそのジャンルの、露出度グラフでいうところの、山のてっぺんだったようだ。ピークの、いちばん過剰だった時代。そんなスリリングな時代に、青春時代を送ったのだ。そんな気がしてたぜ。

 コロナがいよいよ落ち着いた感があり、とてもめでたい。でも今回のコロナ禍に関し、このまま風化させるわけにはいかない事柄がひとつあるので、ここに記しておく。
 ファルマンの上の妹の夫(32歳)のワクチン接種のことである。
 こいつが、新型コロナワクチンを、なかなか打たなかった。
 ひと月半ほど前に第2子が生まれた義妹一家は、すなわちこの9ヶ月間ほど、妊婦と小学生が家にいるという状況だった。さらに言えば夫は、兵庫県の自宅から大阪の中心部に電車通勤する身なのであった。本来であれば、島根県で一切公共の乗り物に乗らない人々なんかよりも、一目散にワクチンを接種するべき立場だろう。
 しかしなかなか打たなかった。あまりに打たないので、職場の方針とか、実家の方針とか、なにか外部の干渉があってのものかと思った。しかし話によればそんなことは一切ないのだった。彼は本当に純粋に、「副反応が怖い」という理由で逃げ続けたのだった。しゃれにならないので当時は書かなかったが、今から半年前の年末年始の帰省の際も、まだ未接種だった。兵庫県から、大阪に通勤する、ワクチン未接種の奴がやってくるというのは、島根では本当に周囲に知られたら大変なことになる事案である。いい加減にしてくれよ、と思った。
 思う一方で、そんなことを思う自分がなんとなく嫌だと思った。国からの「ワクチンを接種しましょう」を無知蒙昧に受け入れ、それを拒む人間を批判する様は、大東亜戦争的な、われら一億ワクチン総火の玉みたいな、もしかしたら自分はそちら側の、出兵バンザイ側の人間になってしまっているのではないか、ということを思った。これは別に思わなくていいことだった。彼が打っていればそれでよかったのだ。そもそも彼はそんな問題提起や体制への抗議のために恭順しないのではなかった。副反応が嫌で打たなかったのだ。なんと迷惑なのか。さらに言えば、副反応に怯える彼は、基本的にとても健康な人間である。屈強な体をしていて、体調を崩した話は聞いたことがなく、虫歯も一本もないらしい。しかしきっと、そうして体を壊したことがないから、コロナに対して絶大な自信を持っていて、むしろワクチンの副反応を恐れたのだろうと思う。
 そんな彼も、2月だったか3月だったか、とうとう打った。あまりに遅い。世間では3回目の接種が始まろうとしていた。ちなみに副反応はまるで出なかったらしい。
 これだけでも十分にとさかに来るエピソードなのだが、いまこうしてコロナ禍がじんわり終息しようとしていて、そして察することとして、彼はまず間違いなく、3回目のワクチン接種を受けない。本人的にも極力受けたくないのに加え、世間がすっかりそれを許容する風潮になっている。断言していい。あいつは絶対に受けない。
 ずるい。あまりにずるくないか。僕だって1回目2回目の副反応なんてほとんどなかった。でも3回目はつらかった。それをあいつは受けない。受けないで許される。俺がつらい思いをしたんだからお前もしろよ、と言いたいわけではない。いや、言いたい。言わせてもらったっていいじゃないか。だって、お利口に、案内が来てすぐに接種した人間が、損をしているじゃないか。さんざん逃げて、年末年始に実家の面々に不必要な葛藤を抱かせた人間が、あのつらい3回目接種を免れる。世の中間違ってる。
 コロナ禍の日々が遠い昔になっても、このことだけは胸に深く刻んで、今後の親戚付き合いをしていこうと心に誓っている。