2021年11月4日木曜日

知恵・あなず・沼

 季節が移ろい、空気の乾燥を感じはじめている。指にささくれができたり、洗顔後になにかを塗るのをサボると顔がかゆくなったりする。なにより喉が渇く。それも特に寝ているときだ。明け方に目が覚めると、口の中がカラカラになっている。しかし実はそれは、口の中がカラカラになったから目が覚めているわけではない。尿意で目が覚めているのだ。ここに不条理を感じる。下では水分を排出したいのに、上では水分を求めている。Aさんは渇き、Bさんは湿っている、というのなら分かるが、ひとりの体の中の話である。なんとなく釈然としない思いがする。そうだ、と左手の手のひらに、拳にした右手を振り下ろし、小便を飲めばいいんだ! とひらめく。人類のさまざまな知恵や知識が記録されているインターネット空間に、またひとつ新しい情報が加わった。このページにたどり着いた人は、ぜひ実践してほしい。

 職場のおばさんが、「あながち」のことを「あなずと」という。
 もしかして島根の方言かもしれないと思い検索したが、やはりそんなことはなく、どうしたって、「あながち」と「おのずと」が混ざっているのだと考えざるをえない。たまたまそのときいい間違えただけかと思ったが、もう3回くらいそういっているのを聞いているので、いい間違えではなく、インプット間違えだ。
 指摘するべきか、とも一瞬思ったが、指摘されたら恥ずいだろうな、と思うとできない。こういうとき、誰かが指摘しないとずっと恥ずかしいままなんだから、と断行する人間もいるだろうが、そういう人間がこの世からもれなく駆逐されて、僕みたいに、指摘されたら恥ずいだろうと周りが配慮し、死ぬまで指摘されずに済んだら、最期まで恥ずかしい思いをしないのだから、それでいいのだと思う。そんなやさしい世界がいい。

 おばあさんの住んでいる家などによくある、個包装の、保存料たっぷりで長く持つ、ひと口サイズの和菓子のアソートみたいのがあるじゃないか。最中とか、栗饅頭とか、大福とか、そういうものがいろいろ入っているやつ。
 あれにいまハマっている。
 もともとの性分としてそういう傾向はあったのだが、筋トレ的な意味でも、なるべく間を空けずにちょびちょび糖質とかを取ったほうがいい、ということを知って以来、これまで鈴カステラやチョコレート、飴など、いろいろ試してきたが、最近になってようやくこのジャンルの存在を発見し、これこそ僕の求めていたものだ、と感動したのだった。
 いちど発見してみると、わりとどこのスーパー、ドラッグストアにも、この種の商品は置いてあった。世界って、自分の意識しているもの以外は、視界に入っていても見ていないんだな、ということを再認識した。
 また店によって置いてある商品はそれぞれ異なり、そして大袋の中に小袋が何種類もたくさん入っているタイプの商品なので、ふたつもみっつも大袋を買うと、20も30も異なるお菓子が手に入ることとなり、なんだかとても愉しいのだった。ジャンルにハマることを「沼」と表現するのが、ここ数年ですっかり定着し、しかしこれまで僕はこの表現を使う機会がなかったのだが、ここに来てにわかに出現した。僕は、おばあさんの住んでいる家などによくある、個包装の、保存料たっぷりで長く持つ、ひと口サイズの和菓子のアソート沼にハマっている。