2018年12月15日土曜日

プリキュア・ヌーボ・はためき

 ファルマンとピイガが幼稚園に登園する前、とても余裕のある朝の準備をしている時間帯に、地方局で過去のプリキュアの再放送というのを毎日しているのだそうで、それでにわかにわが家のプリキュア熱が高まっている。女の子を育て始めてそろそろ8年になるが、ようやくである(ひとり目はドラえもんからハリーポッターへ進んだ)。
 とにかく平日に毎日やるので、進行が早い。観始めたときは「スマイルプリキュア」だったのが、先般終了し、翌日から「ドキドキプリキュア」になった。こういうアニメって、1年を通して観ることによって、子どもはその1年間、ずっとそのプリキュアとともに日々を暮し、そしてともに成長するみたいな、そういう感慨のあるものなのだと思うが、この視聴にはそういうのが一切ない。愉しんではいるが、心が寄り添う感じは一切ない。さらに言えば、本放送では物語中のプリキュアが用いるアイテムのおもちゃなどが流れていたに違いないCMの時間も、地方局なので本当になんのマーケティング的な思慮もない、鈑金工場とか、渋い銘菓とか、そんなものばかりが流れるのだった。
 ところでどうして僕が流れるCMまで知っているかと言えば、にわかなプリキュア熱の高まりは、ファルマンとピイガだけにとどまらず、ポルガや僕にまで派生しているため、録画したものを夜に観たりしているからだ。
 観てみたら、まあなかなかおもしろい。娘とともに観るので、なんとなく感じ入る部分もあるのだと思う。たまにちょっと涙が出そうになり、驚くときがある。

 グータンヌーボが復活するというニュースに驚いた。
 さすがに江角マキコが司会ではないのだけど、タイトルをそのまま用いる、正式な系譜に連なる番組になるようで、ちょっと驚くと同時に感動する部分があった。だって「キャサリン三世」がそうであったように、おんなじような内容の番組を、別のタイトルでやったってよかったのだ。でもやっぱり「グータンヌーボ」が、ネームバリューもあり、人々の心に訴求するものがあると判断されて、そういう結果になったわけである。
 そこに、パピロウヌーボを続けてきた身として、誇らしい思いがある。僕はこの数年間、グータンヌーボの灯が絶えることのないよう、薪をくべ続けてきたのだと、言えないこともないと思う。
 それがようやく大きな燭台に移され、僕は役割を終える……、ということはもちろんない。番組はたぶん2年弱で終わるから、そのあともやっぱり僕は、正式な系譜に連ならない、あの活動を続けていくのだと思う。

 異世界ブームってなんなの、と思う。ラノベで流行るのはいくらでも勝手にやればいいけど、ラノベの流行りは、そのまま美少女文庫や二次元ドリーム文庫へも降りかかってくるので、それで迷惑を被っている。
 異世界とか本当に興味がない。姫とか、半裸のアーマーの女戦士とか、魔王とか、そんなものを性欲の対象にするには、想像の羽で飛び越えなければいけないハードルがあまりにも多くて、億劫だ。そこまではためかせられない。はためかせたくない。
 途轍もなく極端なことを言ってしまうけど、エロ小説の舞台って、永遠に高校だけでいい。高校から出ようとするから、はためく必要が出てくる。もう翼なんて退化してしまっていい。それで校舎を囲む高い塀を飛び越えることができず、一生そこに閉じ込められるんでいい。本当にそう思う。