2019年7月14日日曜日

アズカバンの発育・一緒にお風呂・令和初

 映画版ハリーポッター、アズカバンの囚人を観る。読むほうは、かつてここまではたしかに読んでいた(でも内容はほぼ忘れていた)が、映画に関してはそれよりももっと早い段階で脱落したため、初めてだと思う。それで映画をこれまで2作目までしか観ていなかったので、僕の中のハリーポッター像は、主に1作目、それと2作目を少しだけ、くらいのイメージで完成していた。その感じで頭に思い浮かべ、読んでいた。だから映画3作目のラドクリフたちがもうけっこうゴツくなっているのに驚き、体のラインが出るパーカーを着たエマワトソンに乳房のふくらみがあるのに驚いた。そうだったのか……。映画の感想としては、原作を読んだ人特有の、ああ原作のあの部分はしょっちゃいます?的な、俺は読んでるから話の流れが理解できるけど駆け足過ぎて未読の人はつらいんじゃない?的な、いやらしいことばかりを感じた。結局そういう人は映画を観たりしなければいいんだと思う。そうする。そして僕のハリーは最終巻まで少年でい続け、ハーマイオニーの乳房はほんの少ししか膨らまないんだ……。

 娘たちと一緒にお風呂に入るのをやめた。
 向うから「もうよす」と言われたわけでは決してなく、特にポルガなんか、こちらから言わなければいつまでも気にせず入りそうな恐ろしさがあるが、僕のほうでなんかもう居心地が悪くなり、よすことにしたのだった。本人たちに向かって宣言したわけではないが、もうこの1ヶ月くらいは既に一緒に入っていない。僕がプールやジムのあと、シャワーやら浴場やらで風呂を済ませて帰るようになったというのもきっかけになった。
 異性の親と子どもがお風呂に一緒に入らなくなるのって、子どもが多感な時期に入っていろいろなことを意識するようになって拒む、というのが一般的なパターンで、普通の大人はその部分への意識が一切ないから、いきなり子どもから拒絶を伝えられてショックを受けたりするのだと思うが、その論でいくと、僕はやっぱりだいぶ意識をしているということになるのだと思う。僕は女の子の女の子らしい発育のことを神聖化しているところがあるので、自分の娘にそれが顕れ、目の当りにしてしまうのが、嫌なんだと思う。その点に関しては、一生ベールに包んだまま、幻想を抱いていたいのだ。自分以外女の家で育ち、自分以外女の家庭を持って、なおも。

 令和になって以来、妻・母・姉を除く誰からも1通もLINEのメッセージが届かない、ということを何十日か前に書いたが、それから今日時点で、いまだにその状態は継続している。ちなみに妻・母・姉と並べると、まるで後半のふたりとも頻繁に連絡を取り合っているかのようだが、もちろんそんなことはなく、両者ともGWの帰省の際に事務的な連絡をしただけのことで、だから実質的には妻としかしていない。妻としかしないなんて、なんと貞節な夫だろうか。結果論的に極度の愛妻家みたいなことになっている。
 令和になって75日ほどが既に経過している。「令和初メッセージ」への思いは、この期間が長くなればなるほど、いやが上にも高まっていく。いつか届いた暁には、「あなたのそれが、令和になって僕に初めて届いたメッセージだったんだよ!」と相手に伝えてやりたい。即座にブロックされることだろうと思う。