2020年4月28日火曜日

移住・モワーッ・THIS IS US

 別にいま住んでいる土地に不満は持っていないつもりなのだが、とても魅力的な島を見つけたので移住したくて仕方なくなる、という夢を見た。
 その島は瀬戸内海にあり、広島県に所属する。それに関し、広島県かー、岡山県ならよかったのになー、と夢の中で思ったのを覚えている。しかし具体的にどう魅力的だったのかという、肝心な部分をあまり覚えていない。なんかの用事で僕は実際にその島に上陸し、そこである一家と知己を得た。その一家の感じがとにかくよかった。そしてその家の主人は、島ではそれなりに顔の利く人物であるらしかったので、移住するにあたってそのことはとても頼りになるだろう、ということを夢の中で算段した。夢らしく、変なところが曖昧で、変なところがやけに細かい。
 しかし移住となると自分ひとりの問題ではない。僕は普段、夢の中では家族を持たなかったり、それどころか自分が自分でさえなかったりもするのだけど、今回の夢はその点がとてもリアルで、島への移住の欲求にひとり焦がれつつ、しかしファルマンは絶対に嫌がるだろう、それをどう説得しようか、ということを必死に考えていた。夢の中なのだからもっと自由に振る舞えばいいのに、妻の反応を気にするだなんて不憫なことだ。もう尻に敷かれている状態で人格が形成されてしまっているのかもしれない。ファルマンが懸案するだろうポイントは聞かずとも分かっていた。利便性(商業施設や医療機関など)と子どもの教育環境だ。でもなにぶん夢の中の理想の島なので、調べてみたらその点も問題なかった。島は最初に思っていたよりもだいぶ栄えているようで、人口も多く、島内で完結するレベルのしっかりした社会基盤があり、ショッピングセンターなんかもあるようだった。これならファルマンも受け入れてくれるかもしれない、と僕は安心した。
 そのあたりで目が覚めた。目覚まし時計が鳴る30分前だった。起きたのだから、今まで見ていた情景は夢だったわけだが、起き抜けの頭に、理想の島に出会った興奮も重なり、じゃあこの30分であの島についてインターネットでもっと情報を集めよう! などと思った。しかしその溌溂さも一瞬のことで、すぐに、あれ? いまの夢だったんじゃね? という疑念が生まれてしまい、それにネットで調べようにも、僕は移住しようとしていたその島の名前さえ知らず、そのことに気付いた瞬間、感動したはずの島の風景もサラサラと幻の向こうへ消えていった。なんだ、夢だったのか……、と切なくなった。
 あとからウェブで検索した結果、広島県に所属する瀬戸内海の島でまあまあの規模となると、因島、倉橋島、江田島あたりが該当するようだ。いつか行ってみたい。GWは行けない。

 政府広報による「密を避けよう」のコマーシャルで、人の口から発せられるウイルス的なものが、小林製薬のブレスケアみたいに、なんかモワーッとした煙のようなもので表現され、他人と集うということはそれだけ互いの身体から出たものを吸い合うことなんだよ、だから新型コロナウイルスが流行っている今は密を避けようね、ということを伝える、というものがあるのだが、あれってもう「流行っている今は密を避けよう」どころの話じゃなくて、そこを気にしだすと日常生活に支障を来すからこれまで目を逸らしてきたけれど、他人と狭い空間に一緒にいるのってめちゃくちゃ気持ち悪いじゃん! 他人の口から出た、餃子を食べたあとの口臭みたいなモワーッとしたやつを体の中に入れるってことなんじゃん! と、もう一生だれとも近い距離で接したくなくなった。タバコの煙っていうのは、もちろんにおいとか有害物質とかもあるけれど、あのようなCGを使わずともモワーッとしたのが可視化されているから、人の吐いたものを吸うことの気持ち悪さを嫌でも痛感させられ、だから忌み嫌われてどんどん排斥されたんだと思う。それが今後は、ただの呼吸でももうだめだ。タバコを吸っていなくても、誰の口からも、モワーッとしたやつが出るのが見えるようになってしまった。なんて生きづらいんだ。もう友達とカラオケに行くのも控えようかな……。

 「THIS IS US」のシーズン1を観終える。18話。観始めたのは何ヶ月か前で、途中で停滞していた期間があったのだが、最近になってprimeにシーズン2も追加されたので、そう意識していたわけではなかったのだが、どうやら僕はそれで安心して、シーズン1を観終えることにしたようで、それからこの10日間くらいで後半をわりとハイペースで観た。とてもおもしろかった。
 途中でも書いたが、36歳という年齢のこともあり、主人公たちに感情移入しやすく、そうしてアメリカ人に感情移入ができる、ということに驚いた。主人公のひとりが、婚約者のことを人に話すとき、「フィアンセ」という言葉を使ったあと、「フィアンセだなんてフランス人みたいで照れる」という場面があって、そうなのかー、と思った。フィアンセという言葉はアメリカ人にとってもそうだったのか。そんなふうに、わりとおんなじなんだな、と思うこともある一方、きゃつらは街中はもちろん親の前でも恋人と口でチュッチュチュッチュしたりするので、そこはやっぱり大いに違う、などとも思った。
 とてもおもしろく観終え(ラストはびっくりするくらいシーズン2に続くだけの終わり方でしかなくて驚嘆したけれど)、そのあと最終話のあとの特典映像、客を入れたホールでの最終話試写会のあとの舞台挨拶みたいなのも見た。そこに現れた出演者たちは、なにぶん18話を愉しく観賞した愛着があるので愛しかったが、しかし大成功したこのドラマがどれほど素晴らしかったか、どうしてこんなに素晴らしいものになったかを、互いにどんどん褒め合うので、さすがにだんだん鼻についた。僕の「自分が所属している集団に誇りを持っているタイプの人間が嫌い」センサーから出たビームが、18話分のキャラクターへの愛情というフィルターを突き抜けたのを感じた。
 でもシーズン2も愉しみ。愉しみというかもう観始めてる。