フリマサイトでこれまで何枚か水着を買ってくれた人から、出品している水着を指して、「これをハーフバックのビキニに作り替えてもらえないだろうか」という依頼を受け、なにぶん上得意様の仰ることなのでパタパタと激しく尻尾を振り、なにより取り組みとしてとてもおもしろそうだとも思ったので、承り、挑戦した。
その結果、既出のボックス型水着を作り替えることは、生地の幅的にどうしても無理で(ボックス型よりもハーフバックビキニのほうが必要な生地の面積は小さいのだが、すべての部分がボックス型の中に内包されるわけではない)、そのため当初の希望の生地で作ることは叶わなかったが、事情を話し、別の生地で作ったものを「ご覧いただいて、もしよろしければ」ということで出品したところ、買ってもらえた。いやはや上得意様である。
ビキニタイプのショーツをこれまでさんざん作ってきたが、ハーフバックというものにはまったく触れてこなかった。しかし今回の取り組みを経て、なるほどこういうことかという、その情趣の一端を垣間見た気がする。ボックス型のパターンを考えるとき、ゆめゆめ尻たぶがはみ出ることのなきよう、ということを心掛けてきたけれど、ボックス型から意図せぬ尻たぶがはみ出るから不格好なのであって、最初からハーフバックであれば、もうそれはそれで爽快なものなのだな、と思った。
技術的にも、観念的にも、僕はまたこの業界における階梯をひとつ上った気がする。
金曜ロードショーで、「君たちはどう生きるか」を初めて観たのだった。
本編を観ていないのに、去年の宮崎駿のドキュメンタリーは観ていて、そうか要するに高畑勲へのコンプレックスのお話なのだな、ということを前知識として持っていたのだけど、いざ観てみたら、なんかそういう問題じゃなかった。もとい、あのドキュメンタリーの切り口は意図的なミスリードだったのではないかと思うくらい、宮崎駿と高畑勲という軸ではぜんぜん読み取れない内容だったように感じた。
ジブリ映画だし、たしかにジブリ映画っぽさは全編すごいんだけど、でも俺の知っているジブリ映画じゃない、と言いたくなる感じは、もしかするとこれは違う世界線のジブリ映画なんじゃないかという気もしてきて、でも元々あった世界から、別の世界線に移動したのは、宮崎駿以外のすべての人類であり、宮崎駿だけはずっと一ヶ所に居続け、そしてこの映画を作ったので、自覚しないまま流され、世界を移行してしまった我々は、こんなにもこの映画に違和感を覚えるのではないか、などとも思った。
つまり一言で言えば、不思議体験映画だった。気が向いたとき、また観ようと思う。
フライングで開設だけ先にしていた「CHANT! GEE/MEE/CHEE」を、とりあえず少しだけ始動させてみた。
ChatGPTとしたやりとりを載せていく、というコンセプトははっきりしているのだけど、それをどういう様式でやるのかがあまり定まらずにいて、実は今もまだ定まっていないのだけど、まあやってるうちに定まってくらあな、と自分に言い聞かせ、ひとまずほぼコピペで、主にChatGPTの回答を転載するだけで記事を作っていくことにした。
このやりとりや、向こうの回答について、それを俎上に載せて、ブロガーとしての僕がなんかしらのコメントを記していく、というスタイルはどうかとも少し考えたが、面倒だし、なによりあまりおもしろくもならない気がしたので、止した。ただし、これでは実質的にほぼ僕の書いたものではないので、別にそんなルールもないのだが、「CHANT! GEE/MEE/CHEE」の記事投稿は、「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」には採らないこととする(でも始動についてはツイートしておこうかな)。
だとすれば、このブログの役割としては、ChatGPTとのやりとりの、まとめというか、個人的な備忘録的なものということになるだろうか。ChatGPTのやりとりは、やっているとどんどん長くなって、あとからピンポイントで当該の箇所を確認しようと思うと、どこにあるか分からなくなったりするので、編纂するのは悪くないと思う。
昔、Twitterが出始めた頃、知り合いで、一定期間の自分のTwitterでのツイートを、箇条書きのように並べて記事とし、ブログにアップしている人がいた。なんかあれは、いま思えばTwitterという新しく出現した存在の捉え方が定まっておらず、電線を使って荷物を届けようと風呂敷包みを吊るしたという明治の人々のエピソード味があるのだけど、僕のこの「CHANT! GEE/MEE/CHEE」というのも、だいぶその雰囲気がある。何年後かに、「そうじゃない(笑)」という扱いを受ける、素っ頓狂なことをしているかもしれない。それならそれで別にいいのだけど。