2025年1月18日土曜日

チョコパイ・鍵・よくなさ

 いま我が家にはチョコパイのパーティーパック(9個入りのやつ)が5つある。どうしてだと思いますか。正解は、僕がクレーンゲームで取ったからだ。
 成人の日に、子どもにせがまれてゲームセンターに行き、なんの気なしにクレーンゲームをやったら、まず「きのこの山」がふたつ連なったものが取れ、気を良くし、次にチョコパイが5パック積み重なったものが、2本の棒で橋渡しのように載せられている台に移動し、4回ほどの挑戦で、見事にすべてを落としたのだった。なんかこの日は、お店の設定が甘かったのか、僕がやけについていたのか、大収穫であった。
 ちなみに話を分かりやすくするためにチョコパイ5つと言ったが、詳しく言うと、いわゆるチョコパイはひとつで、3つは「おもてなしチョコパイ あまおう苺」、最後のひとつはカスタードケーキである。この帰りに立ち寄ったスーパーで、わざわざ値段を確認したら、ひとつが400円もしていた。昔は198円とかだったのに! と嘆く気持ちもありつつ、しかしこの場合は、売価が高ければ高いほど喜びが増すのだった。
 味が落ちただの小さくなっただのと言われ、チョコパイを取り巻く昨今の状況は厳しいが、それでもやはり幼少期からの刷り込みもあって、チョコパイには他のお菓子にはない、テンションを上げる力があると思う。それが5パック、合計45個あるのだ。テンションぶち上げと言ってもいい。
 それとこれを機にチョコパイについて検索をしたのだが、パッケージに「since 1983」とあったので、もしやと思って探ったところ、なにぶんお菓子のことなので、何月何日全国一斉販売、というものではないことは初めから分かっていたけれど、忍耐強く追い求めた結果、「販売開始は9月である」という記述を見つけ、心の中で派手めのガッツポーズをした。9月に販売開始ということは、それよりも前にチョコパイは工場で生産が始まっていたということになる。つまり僕が生まれたとき、チョコパイは既にこの世にあったのだ。でもファルマンが生まれたとき(4月3日)には、まだなかった。まだ試作段階とかだったろう。ともすればネーミングも定まっていなかったかもしれない。ファルマンが生まれたとき、この世にはまだ、チョコパイも、東京ディズニーランドも、ファミコンもなかったのだ。もしかすると電気もなかったかもしれない。暮しの想像がつかない。でもそういう文明のなかった古来の人々の、知恵と工夫の積み重ねで現代の暮しがあるのだな、と感謝の気持ちが湧く。チョコパイのひとつやふたつ、くれてやってもいいと思った。
 
 実は去年、自宅の玄関の鍵を失くしていた。失くしたあたりの時期にそのことを書いていたろうかと探したのだが、どうもまったく触れていないようだった。2月のことであった。日記に書いていないのになぜ覚えているかと言えば、財布にずっと、交番に遺失物届を申請したときの控えを入れていたからだ。久しぶりに取り出してみ見てみたら、2月だった。
 それで、なぜ久しぶりにそれを取り出したかと言えば、交番から連絡が来たからではない。来るわけがない。来るわけがなかったのだ。
 だって鞄から出てきたんだもの。
 通勤時、いつものように鈴カステラをつまんでいて、その日は新しい袋を開けたところだったので、満足する量を食べたところで袋の口を閉じようと、鞄のどこかに輪ゴムはないものかと、片手で探っていた。そのときである。指先になにか硬質のものが触れ、なんだこれと思って取り出してみたら、ずっと行方不明だった自宅の鍵だったという次第である。ものすごくびっくりした。
 これまで、鍵を探す目的以外でも、定期的に鞄の整理はしていた。ポケットがわりとたくさんある鞄で、あまり配置を定めずその場の流れでいろいろ入れるので、すぐにぐちゃぐちゃになるのだ。定期的にやっていたのに、これまでずっと見落とし続けていたのだ。ポケットが多少立体的な作りになっているので、マチになっている部分とかに入り込んでしまっていたのかな、と推理している。それにしたって狐につままれたような気分だ。1年越しにずっと探し続けていた鍵が出てくるのなら、もはや何が出てきてもおかしくない。「あの日言えなかったありがとう」とかも、そのうち出てきそうだと思う。
 ともかくよかった。これがないと、退去時、余計にお金を払うことになるだろうから。一円も儲かってないけど、なんか儲かったような気持ちだ。

 僕とファルマンの大学の卒業式のときの写真という、なんともおそろしいものが出てきて、それを見たポルガが、
「陰キャピースじゃん(笑)」
 と両親を指さして笑ったので、陰キャピースという言葉はその時点でよく分かっていなかったが、もちろん馬鹿にされたことははっきりと解ったので、てめえコノヤロー、となった。
 このあときちんと検索をして、意味を知る。だいたい想像通り、言葉通りの意味で、陰キャがするような力のない、自信なさげなピースのことを指すらしい。そしてインスタとかをやるZ世代の若者が、あえて「陰キャピース(笑)」として意図的にやるのがキマッてるのだそうだ。そうなんだ。Z世代は多様性に理解があり、全般的に優しいのかと思っていたけど、実はぜんぜんそんなことないんじゃんね。めっちゃ揶揄するんじゃん。
 こちとら、インスタでもなければ、あえてでもない。完全なる天然ものである。添加物一切なしの、ナチュラル陰キャピースだ。張りぼてのお前らとは格が違うのだ。ひれ伏してほしい。
 それにしても、幼少期のフィルムカメラでもない、最近のスマホの高性能カメラでもない、ちょうどわれわれが若者(18歳からのざっと10年間くらいと考えて)であった時代の写真の、「よくなさ」って、ちょっとすごくないか。これはもうこの時代のひとつの文化と定義してもいいくらいの「よくなさ」。
 久しぶりの当時の写真を目にしてしまい、だいぶやられた。