2024年10月26日土曜日

図書館遍歴・母校・41の別れ

 先日島根県立図書館に行き、カードを作ろうとしたところ、あなた方夫婦は12年前に既にカードを作っているから家でそれを探せと言われてしまい、子どもらと違って、ラミネートされない仮のカードしか発行してもらえなかった。
 仕方なく帰宅後、カードの捜索をする。たぶんすぐに出てくるだろうという予感があった。不要になったカード類をまとめて入れておくボックスケースみたいのがあり、そこにはお店のスタンプカードや、病院の受診カード、交通系ICカードなど、人生のさまざまな場面で作り、そして暮しの変化によってもう要らなくなったカードが、塊となって詰め込まれているのだった。そこ以外に考えられない。
 ところがである。最初から最後まで、すべてのカードをチェックしたが、目的のものはとうとう出てこなかった。存在をすっかり忘れていたような施設のカードがある一方で、本当に必要とするものが見つからない。得てしてそういうものだと思う。
 なにが悔しいって、島根県立図書館以外の図書館カードの充実だ。なんと所沢市立図書館の貸出カードなんてものさえあった。大学生の頃に作ったやつだ。それから練馬区があって、倉敷市があって、岡山市があって、早島町があって、玉野市があって、岡山県があった。それなのに島根県立図書館のカードだけがない。時期としては、第一次島根移住のときだから、練馬区と倉敷市の間のはずである。でもそこだけがなぜか抜け落ちているのだった。
 それにしても多い。これ以外に、横浜市でも貸出カードは作っていたし、高校のあった世田谷区でも作った(この2枚はさすがになかった)。島根においても、こちらは現役で財布の中にあるが、今回の県立のほか、3つの市でカードを作っている。以上を合計すると、僕は13の自治体で貸出カードを作っていることとなる。これはたぶんだけど、だいぶ多いほうの部類の人間だろうと思う。

 高校のあった世田谷区、というのがちょうど関連してくる話題。
 先日プロ野球のドラフト会議があって、今回は夏の大社高校のことがあり、部員の誰かがプロ志望届を出したという話もあったので、結果はどうだったのか気になって、各球団の指名一覧を眺めたのである。ちなみにだが、大社高校からは誰も選ばれておらず、それもそのはず、きちんと検索したら、誰もプロ志望届なんか出していなかったらしい。なんだよ。
 しかし大社高校が気になって目にした育成枠のところに、想像もしていなかった学校名を見つける。日本学園高校である。なにを隠そう、母校だ。中学で勉強をまったくせず、地元の公立高校のどこにも行けなかった僕が、なぜか推薦で入れた私立の男子校。ホームルームで担任が、「登下校でタバコを吸うときは、持つ位置に気を付けろよ、手を垂らして持ってたら、それは幼児の目の高さだからな」と注意するような、いま思えばとんでもない学校だった。もちろんスポーツに秀でているということも決してなく、サッカー部はそれでもそこそこだったんじゃなかったかと思うが、野球部に関してはまったく印象がなかった。そんな母校から、育成枠とは言え、プロ野球選手である。しかもソフトバンクの、育成1位と来たもんだ。なんだそれ、と衝撃を受けた。
 衝撃を受けたが、驚きを語り合う当時の同級生なんかはひとりもいないので、ひとりで粛々と、指名された子のニュースなどを読んだ。読んだところ、日本学園高校は2026年から明治大学の付属校となり、明治大学付属世田谷高校に名前が変わるという情報が出てきたので、また驚いた。母校、そんなことになっていたのか。日本学園といいつつ日本大学とはなんの関係もなく、それでいて最寄り駅は明大前であったから、近場の明治大学とくっつくことにしたのだな。ふうん、としか言いようがない。
 ちなみに26年の新体制開始のタイミングで、共学化もするとのことである。そうか……。俺の母校は、共学の世田谷高校になるのか。なんだそれ。

 おろち湯ったり館へ行く。8月の、帰省から戻ってきた直後になぜか行って、キャッスルイン豊川に較べて見劣りするなあと感じて以来、2ヶ月ぶりの訪問である。あれは行ったタイミングがあまりにも悪かったが、そのときの思い出が薄れたいま、ふたたびおろち湯ったり館がしっかり愉しめるのではないかと期待して行った。
 しかし行く前から懸念があり、ふたつ前の記事で書いたように、なんか自分用のサウナマットを用意しなければならないシステムになったらしい。それが実際どのような感じなのかを探るという目的もあった。
 行ったのは金曜日の夜。土曜日に行こうかとも思っていたが、退勤が早く成ったので、いっそ今日のうちに済ませてしまおう、という感じで行った。サウナマットは持っていないので、受付で購入した。8つ折りの、発泡スチロールみたいなやつ。250円。タオルのように、おろち湯ったり館のロゴでも入っていたら、500円でも喜んで買うのだが、パック詰めされた無地の既製品である。色は赤と緑の2種。なんとなく赤を選んだ。
 サウナに入ると、なるほどこれまでのようなバスタオル的なマットがなくなり、各人が自分のマットの上に腰を下ろしている。寂しい、と思う。また、なんとなくこれまでよりもサウナ内の空気が乾いている感じがする。そんなことを言ったら、これまでのタオルマットが湛えていた水分はおっさんたちの出した汗だぞ、という話になってくるのだが、とにかくこれまでとは明らかにサウナの性質が変わった。さらには、使用後の座面を拭くための雑巾までが用意され、出るときはそれで座っていた部分を拭くというのがルールらしい。なんだよこれ、と思う。こんなしちめんどくさい、ちょっとなにかを疎かにしたらルール厳守勢からすかさず窘められるようなサウナ、嫌だよ。サウナっていうのは誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。そもそもサウナっていうのは汗をかく場所なんだから、その汗をそんなに汚らわしいものとして排除しようとするのは、どう考えても矛盾している。そんなこと言ったらプールだって、水泳という運動をしている人のかいた汗がたっぷり含まれている。さらに言えばサウナという密室に大勢で入っている時点で、互いの口腔や肺を出入りした空気を吸い合っているのではないか。そんなことを気にし出したら、生きていけないだろう。なんなんだ、この神経質な人に合わせた仕様は。なんだかすっかり嫌な気持ちになってしまい、サウナにはそれきり入らなかった。外気浴のために上がった2階は貸し切りで、それはよかったけれど、以前のような、たった1回のサウナですかさずととのうような満足感からはほど遠く、哀しかった。僕とおろち湯ったり館の蜜月は、終わってしまったのだと思った。
 ともに過した愉しかった日々を思い出しながら、暗い雲南の夜道を、車を走らせ帰った。窓に映る僕の横顔には、涙が浮かんでいたとかいないとか。