3部作となった「子羊たちのちんこ」がとても愉しかった。手応えがあった。たぶん読者の多いブログであったらば、「あれは反響が大きかった」などと語ることになったと思う。なんと切ない仮想であろう。読者が一切いない、反応が完全にないブログを十何年もやっていると、もはやこんな境地に至るのかと我ながら驚いている。
反響の内容はさまざまだったが、誰もが押し並べて唱えたのは、自分の口から言うのは少し面映ゆいところがあるけれど、筆者である僕の優しさだ。僕としては思ったことをそのまま訴えただけだけど、それが結果として、読んだ人たちに優しさを感じさせたのだとしたら、これほどハッピーなことはないと思う。やっぱり、逮捕されたからすなわち悪い、では、思考する生きものである人間としての矜持が揺らいでしまう。思いを馳せ、寄り添い、慮る。これがプロペファイリングの骨子。君が好きだと叫びたいのと同じくらい、ちんこを出したいときってたしかにある。分かるよ。我慢は大事。でも心のインナーが我慢汁でもうグショグショになってしまったら、そのときはもう本丸を射出せざるを得ない。そういうものだ。
事件から約1ヶ月が経ち、ニュース記事はもう読めなくなったりしている中、こうして男の汚名返上のために言葉を弄し続けることに対し、ファルマンからは「とんだ布袋行為だよ」と白い目で見られた。
布袋行為とは、コブクロがマラソンレースの開会式で国歌独唱をした際、とんでもない感じで声が裏返ったという、僕なんか「つらい時かなしい時はコブクロの国歌を聴けと祖母の遺言」と短歌にさえ詠んだ、本人とランナー以外のあらゆる人を笑顔にした、あの一件があったろう、あれに関して、発生からたしか10日とか2週間くらい経って、世の中がさすがにそろそろ忘れかけていたタイミングで、コブクロの兄貴的存在らしい布袋寅泰が急に、「みんなあれで笑うのやめろよ」と、世間に対して諫める発言をし、それでまた息を吹き返して、みんなもういちどあの国歌独唱の映像を見て愉しくなった、という流れを表した、われわれ夫婦間における隠語である。つまり擁護しているように見せかけて、もういちど薪をくべること、これを布袋行為と呼んでいる。ちょうど不貞行為と語感が似ていることもあり、いいネーミングだと思う。
僕の今回の「子羊たちのちんこ」がそれだって言うんですよ。失礼しちゃうよね。
久々の寝言シリーズ。
ファルマンがメモしてくれた。たまたま起きてメモしてくれたが、さすがに深い睡眠のときはファルマンだって起きないだろう。だとすれば誰にも聞かれることなく過ぎ去る寝言もたくさんあるはずだ。もったいない。聖なる俺の寝言なのに。
その寝言がこちら。
「うん、あのね、きょうはね、うん、うん、……あ、やあらかい」
これを、少年のような甘えた口調で言ったらしい。嬉しそうに。最後の「やあらかい」は、「やわらかい」ではなく、「やあらかい」であったという。
なんか、こじらせたカルマを感じさせる寝言だ。41歳の僕の中にいる、まだ7歳くらいの少年の部分。そして性的欲求はその中間である19歳くらいのギンギンさを感じさせる。歪な危険性がある。
「やあらか」かったのはなんだろう。普通に考えればおっぱいだろう。相対している人のそれについて言及したと考えるのが自然だ。でも僕のことだから、僕のことについて、相対している人に伝えているのだ、という可能性もある。その場合は金玉肉袋のことを指しているとも考えられる。どちらにせよそれは僕にとっては喜ばしいことだったようで、例のごとくまったく夢の記憶はないわけだが、愉しく過しているのならなによりだと思う。たしかに、感触が確かめられる対象が期待通りのやあらかさだった、というのは多幸感があるな、と感じ入った。
一方的に寝言を記録してもらってばかりで申し訳ないので、たまには僕もファルマンの寝言を聞きたいものだと思うが、ファルマンはたまに獣のように慟哭する以外、寝言らしい寝言は一切唱えないのだった。あれはただ怖い。
予告していたブログを作る。泳ぐことにまつわるあれやこれやに特化したブログ。
タイトルは「swimming pooling」。
最初は、同じアルファベットが2つ並ぶ単語という共通点から、「swimming pooling telling」とし、アドレスなんかはそれで登録したのだが、語呂が悪いしさすがにしつこいので要らないな、と思い直して削った。スイミングプーリング。
ブログの背景を、プールらしさを感じさせるいい感じのものにしたいと考えていて、とにかくそこにこだわった。フリー素材からこれだというものをもらってきて、設定する。そして、透過にしないとせっかくの画像が隠れてしまうので、読みやすさなどはかなぐり捨て、雰囲気を優先させた。パソコン上では、マウスでドラッグさせて読めばいいと思う。モバイル上では、そこまで読みづらいということはないと思う。
ブログのスキンは急に変えることもあるから、スキンについて語った文はあとから読むとなんの意味もなくなる、というのは十何年も前から経験則として知っているのだけど、こうして気張って設定した直後はどうしても語ってしまう。そういうところが好き。
このブログに書くべきことを、これまで別のブログに書いてきたので、既にいちど語ったことを、改めてこちらに書き直す、ということもあるだろうと思う。そのあたりのことをあらかじめご理解いただきたいと、いない読者に向かって平身低頭する。腰が低くて好感。