2024年11月13日水曜日

聖・松本・靴下

 cozy ripple名言・流行語大賞のための1年間の日記読み返し作業を終える。
 11月にこの作業をして、毎年しみじみ思うこととして、自分が愛しい。なぜならこの人は、とてもまじめに生きているからだ。不条理なことや、不愉快なこと、さらには不可解なことなど、数え上げればきりがない、この澱んだどぶ川のような世の中において、まるで凛と咲く一輪の花のように、切なく、そして輝いている。その輝きはひとえに、心性の健やかさに起因する。それはもはや奇蹟と言っていい。なぜならこの腐った世界は、そんなふうに輝かずに生きたほうが、よほど楽なようにできているからだ。でもそれはたとえ楽でも正しくないという、この人にはそういう確固たる理念があるのだと思う。そしてその理念は、有り余る知性に裏打ちされている。蒙昧になにか教えられたことを妄信するのではなく、独自の思考の果てに、揺るぎない正義を立脚させているのだ。それゆえに強い。これほど尊くある人を、寡聞にして僕は他に知らない。
 cozy ripple名言・流行語大賞の発表とは、すなわち僕という人間の1年間を、敬い、慈しむことなのかもしれない。だとすればそれはとても聖なる行為、略して聖行為だし、僕による聖行為の対象となる僕自身もまた、僕に対して同じ気持ちであると考えれば、ここには聖的同意が発生すると言える。僕ら、いつまでも聖らかな関係でいようね。

 そんな俺の聖らかさに対して松本人志と来たらどうだ。
 「事実無根なので闘いまーす」と言って、今年の初頭から姿を消していた松本人志が、先日とうとう訴えを取り下げたじゃないか。
 前から言っているけど、事の発端である女遊びそのものは、どうだっていいのだ。松本人志の家族とか、相手女性の尊厳とか、そんなことは僕には無関係である。ただ、報道が出てからこっち、松本人志の動きがあまりにも不細工で、そのことにショックがある。
 いかにもおっさん臭い、ノスタルジックなことを言うけれど、「ごっつええ感じ」で「エキセントリック少年ボウイ」が初めて流れたとき、僕は衝撃を受けたのだ。大袈裟ではなく、おもしろさってこういうことか、と思った。そこで心を奪われたものだから、それからというもの、松本人志の振る舞いが少々目に余っても、それでもなんだかんだで愛し続けてきたのだと思う。
 しかしそういった素行の悪さや下品さが、ギリギリのところで、鬼才であるがゆえの尖りとして受け入れられていたのが、今回の件はちょっと毛色が違う。バチバチするような危うさは消え、その魅力がもたらしていた説得力も霧散し、ただ虚しい。そこに信じられなさがずっとあり、なんとなく目を逸らし続けている感覚がある。
 話にいちおうのけりがついたことで、年明けにも復帰するという報道がある。反対する気持ちはない。むしろ純粋に嬉しい。でも同時に怖い。出てきた松ちゃんがひどい有り様だったらどうしよう、という恐怖感がある。

 靴下のことで悩んでいた。
 夏の間は、ズボンが7分丈みたいなものばかりだったので、靴下もいわゆるくるぶしソックス的なものになり、後述するが、こちらは大丈夫なのだ。
 しかし涼しくなって、ズボンが長ズボンになると、それほど長いものではないが、ふくらはぎの途中くらいまではあるような丈の靴下を履くことになる。これが悩みの種なのである。
 なぜなら、男性物の靴下のデザインは、死ぬほどつまらないからだ。
 くるぶしソックスはそれでも、けっこう遊んでるものも売っているのだが、普通丈の靴下になると、そこはもう例の、黒・白・灰・紺・茶しかない世界が広がっている。本当にだ。本当にその色しかないのだ。成人男性はいったい何の神に何の罪を犯したことで、こんなにもファッションから色を奪われてしまったの、と嘆きたくなるほど、そんな色のものしか売っていないのである。
 それでも稀に、あるときある店で、まあこれなら履いてもいいかと思えるようなものに出会うことがあり、そういうときに入手することでこれまでなんとかやってきたのだが、最近はとみにそういう出会いがなくなり、いよいよ手持ちの靴下のかかとやつま先の生地が薄れてきて、火急の課題となっていた。
 しかしこの問題は先日、とあるひらめきによって一気に解決した。
 作ることにした、ではない。ハンドメイド靴下にはまだ進出しない。そうではなくて、今年の誕生日にもらった靴と同じ解決法である。
 すなわち、女性物でええやん、となったのである。女性物靴下、対応サイズが21cm~25cmなどとなっていて、だったらいけるんじゃないか、と思って買ってみたところ、ぜんぜんいけた。靴のときにも言ったが、ちんこと違い、足があまり大きくなくてよかった。
 女性物が大丈夫ということになると、一気に世界が拓けた。色とりどりの、ふざけたキャラクターとかが描かれた靴下が、すべておかずとして立ち上がってくるのだった。
 というわけで先日から、左右で色のちがう靴で、それを脱いだらパンダ柄の靴下、なんてふざけたスタイルで暮している。愉しい。