2024年10月9日水曜日

検索・サンマ・巡る

 前回、ファルマンが「BUNS SEIN!」Tシャツを着ていた、という話を書いた。ファルマンはもちろん家でしか着ないのだが、僕は気が向いたときは外出時にも普通に着るわけで、この人間の脳とスマホが直結した世界で、もしも文面を検索されたらよろしくないよな、とは前々から思っていた。思っていたが、実際に検索を実践したことはこれまでなかったので、今回のことをきっかけに初めてやってみた。Googleで、「BUNS SEIN!」と。そうしたら、まったく僕に関連するページが出てこなかったので、拍子抜けしたし、戸惑いもした。「Bun Sein」という人のSNSは出てきて、どうもSeinというのはミャンマーにある名字らしいのだが、「BUNS SEIN!」で検索しているのだから、ブログ「BUNS SEIN!」が表示されて然るべきではないかと思った。
 それで、にわかに気になりはじめたので、次に「おこめとおふろ」で検索をしてみた。すると、香川県にあるという、60代夫婦が営む農家民宿が出てきた。「おこめとおふろ 稲木家」という屋号らしい。うそーん、と衝撃を受けた。
 最後に、さすがにこれならばと、「パピロウせっ記」で検索をしたところ、ようやく検索結果に出てきたのでホッとした。Blogger、あまりの商売っ気のなさに、Googleはいったいどういう意図でこのサービスを継続しているのだろうと疑問に思うことがあるが、Googleで検索してもこんなに表示されないだなんて、本当になんなのだろう。なるべく人に読ませたくないと思っているのだろうか。隠れ家ブログ。取材は一切お断り。1日1組限定。ここを知ってるなんて、おたく、通だね。いつか行こうかな、稲木家。

 ここ2年くらい不漁だったサンマが、今年はわりといい感じだというニュースがあり、ほうそうかと思っていたら、後日スーパーで、なるほどまあまあ安い値段で売られていたので、これならよかろうと思い、4尾買って夕飯にした。この2年間、まるで食べなかったわけではないのだけど、あまり印象に残っていない。特に去年なんかは、1尾が300円くらいしたため、4尾で1200円と考えるとバカらしくなり、ろくに食べなかった気がする。
 それで久しぶりにきちんと食べたサンマはどうだったかと言えば、それはまあ、もちろん美味しかったのだけど、しかし食べながら、秋口の初サンマって、もっと気持ちが盛り上がるものではなかったろうか、ということを思った。このたび僕は、終始わりと淡々とした気持ちで、サンマと接したように思う。
 これはなぜかと考えて、それはやっぱりこの2年間の無沙汰のせいだろうと思った。定番の関係性が崩れ、距離ができ、よそよそしさが生れてしまった。
 そのことに気付いた次の瞬間、松本人志のことを思った。松本人志が活動休止をした直後から、僕は「数ヶ月間テレビに出ていなかった松本人志を見るのが怖い」ということを思い続けている。いつ復帰するのか判らないが、復帰直後は、たぶんどうしたって、テレビタレントっぽさが削げていることだろう。松本人志のその感じが、僕はすごく怖い。だからなるべくならトカゲのおっさんの姿とかで出てきてほしい。

 ファルマンの母方のおじいさんが亡くなった。
 通夜が火曜で葬式が水曜という、あまりに平日の日程だった上、ポルガの中間試験が間近ということもあり、僕と子どもたちは参列せず、ファルマンだけが岡山に行ってきた。三女の車に同乗させてもらい、葬式だけの日帰りである。
 おばあさんが亡くなったのがいつのことだったかと自分の日記で確認したところ、2019年の1月のことだった。当時は岡山在住であり、祖父母の居住エリアまで車で30分程度だったので、行きやすかった。子どもも8歳と5歳だったわけで、一家全員での行動が当たり前だった。それから5年9ヶ月後の今回、ファルマンが早朝に家を出て、僕もいつも通り、子どもたちがまだ寝ぼけ眼みたいな状態のタイミングで出勤をしたので、朝ごはんこそ用意したものの、それ以降の登校に関することは本人たちにやらせ、玄関の戸締まりも、ピイガのあとに出発するポルガに任せた。家庭によっては中学生でそんなのは当たり前だったりもするのだろうが、ファルマンが常日頃とにかく家にいるわが家の場合は今回が初めてであり、もうそういうことができるようになったんだなー、という感慨があった。
 時代は巡る。子どもは大きくなり、そしてわれわれの代の祖父母というものはいなくなりつつある(横浜に元気なのが残っている)。