2018年6月22日金曜日

さみしさ・心地よさ・哀しさ

 夏至が来てしまった。日の長さのことをとても愛している僕にとって、夏至は1年で最もテンションの上がる日、かと思いきやそんなことはなくて、基本的にプラス思考の僕なのだけど、この件に関してだけは強烈なマイナス思考で、夏至のひと月くらい前からもう、夏至が来てしまう哀しみに浸っている。だからもう夏至当日なんかは、逆に哀しみのピークみたいなところがある。今日を限りに、これからどれほど陽射しが強かろうと、それはもう褪せた陽射しであり、ぼろぼろと崩れていく廃王宮のようなさみしさがある。
 さみしさと言えば、キャンプソングのCDに「山賊の歌」が入っていて聴いていたら、その1番の歌詞で、「雨が降れば 小川ができ 風が吹けば 山ができる ヤッホ ヤホホホ」のあと、「さみしい ところ」と続き、これでも十分に寂寥感があるのだが、僕はそれを「さみしい心」だと聴き間違えたので、本当に悲壮かつ寂寞とした山賊の心象風景の歌なのかと思った。たしかに山賊に身を窶すまでには、幼少期から起因するような、それはそれはつらい来歴があったに違いない。勇猛さや乱暴さは山賊の虚勢であり、その内側にはぽっかりと大きな穴が開いている。それを埋めるために略奪や襲撃を繰り返すけれど、彼の心の間隙を塞いでくれるのは金銭や財宝ではないのだ。深い。しかしなぜそんな重いテーマの歌をキャンプで唄わなければいけないのか。盛り上がるのか。
 話が逸れた。夏至の話だ。夏至は日の長さのピークであり、そして哀しみのピークだと言った。しかしピークを過ぎた日の長さは切ないが、哀しみもまたピークを超えたならば、これから徐々に日が短くなるにつれて、僕の哀しみは軽減されていくことになる。そう考えたら、僕は逆に日の短いのが好きなんじゃないだろうか。そんなはずないのだが、理屈的にはそういうことになる。不思議だ。化かされていたのは俺たちだったんじゃないか。

 父の日のプレゼントという名目で、マウスをもらう。タブレット用である。尖端がボールペン並みに細いタッチペンとマウスとで悩んだのだが、いろいろ考えてマウスにした。と言うか、タブレットってマウス使えるんだ、ということを最近知ったのだった。先日ふと目にしたムックで、タブレットにキーボードとマウスを接続して使っている写真を目にして、「えっ」となり、試しにパソコンで使っているマウスを挿してみたら、タブレットの画面にあの矢印のカーソルが出現したのでとても驚いた。お前の中にカーソルという制度と言うか概念があったのか、とタブレットの意外な一面を見た気がした。それで、マウスが使えるのならば、やっぱり指よりも断然マウスがいいのである。スマホよりも画面が大きいタブレットではあるが、それでもうまく目当てのポイントが押せない。どうしたって僕が2メートル30センチある大男で、指が太いという原因もあるのだが、なかなかにストレスが溜まっていた。あと文字をコピーしたいときのドラッグとかそういうのを長押しでするのも趣味じゃなかった。それがマウスならば、クリックして引っ張るだけである。ああ慣れてる。ああ心地よい。さすがに右クリックはできないのだけど(できりゃいいのに!)、それでも指でやるよりははるかに快適に操作ができる。というわけでマウスを手に入れることにした。マイクロUSBのポートはもうキーボード用で塞がっているので、マウスはブルートゥースというタイプのやつにした。届いたものを接続してみて、その快適さにうっとりした。マウスとキーボードという合わせ技によって、僕はもうほとんどタブレットの画面を触らなくて済むようになる。当たり前だ。パソコンのディスプレイなんか触るもんじゃない。阿呆か。これでやっとゴリラ類から卒業することができた。ただひとつ問題として、マウスの接続は頭になかったため、タブレットバッグにマウスが入らないというのがあるが、これもミニポーチの中にマウスを入れてそれをタブに引っ掛けることで解決した。ミニポーチはパンダの顔になってるやつで、中身はマウス! そんでもってこれは手作りのタブレットバッグ! この大きいのはキーボード! 折りたたみとかじゃない、打つとちゃんとカタカタ音がするマジのキーボード! こっち? こっちは手作りのバトン入れ! 中身はトワリングバトン!

 ドナルド・トランプのサインはだんだん上手くなってきているのだが、僕のトランプのサインの腕前が上達するのに反比例して、米朝首脳会談のときの世間の盛り上がりが鎮まってきている。サッカーのワールドカップが始まったこともあり、国際情勢のニュースはさっぱり鳴りを潜めている。あの日、共同声明に両者のサインが記されたとき、たしかに世間は湧き上がり、僕も興奮のあまりトランプのサインの練習を始めたわけだが、今はもうトランプのサインの筆致なんて誰も覚えていない気がする。哀しい。日大のピンクのネクタイも、トランプのサインも、出番が来ないまま萎れるばかりだ。なぜこうも出番が来ないのか。なぜこうも、「ネタ」を披露する相手が僕にはいないのか。哀しい。哀しくてやりきれない。