2018年6月13日水曜日

戦後・首脳・監督

 近所を歩いていたら、公共の施設の壁に、昔の街の写真が展示されていて、なにしろ5年ほど前に移り住んだペーペーなので、「懐かしー」みたいのはなかったのだけど、それなりに興味深く眺めた。しかし現在から半世紀前くらいまでの写真が並んでいたのだが、そうして見たとき、その中にあった1985年の写真というのが、もう明らかに戦後、とは言わないまでも、高度経済成長とかのほうの括りに入っていて、なんだか衝撃的だった。1983年に生まれて、戦後の面影も高度経済成長も、まるで無縁の、現代そのものを生きてきた気がしていたけれど、気が付けば若者からはそっちのグループに括られかねない年代になってしまっていたのか。戦後と言えば、僕はたしか小学生くらいのときに、母に向かって、「ママの子どものときは戦後だったんでしょ?」と無邪気に訊ね、「失礼な!」と憤慨されたことがある。1945年は昭和20年。母が生まれたのは29年。母が10歳の頃には、もう戦後20年くらいだったわけで、実際に戦後の雰囲気はもうなかったのかもしれないが、30年あとの世代から見れば、「いや、それ戦後でしょ(笑)」みたいな感覚がある。しかしその(笑)は天に向かって唾を吐く行為に他ならず、それとまったく同じ現象が、いま自分にも起ろうとしている。展示されていた1985年の写真は、色褪せ、ぼやけ、そしてこの街がかつて特にそうだったんだろうが、背景に高い建物がひとつもなかった。焼け野原か、と思った。

 米朝首脳会談がなされる。すごいことだと思う。ちょっと興奮している。具体的な数字がないとか、そういうことを言う人々がいる。よく言うな、と思う。批判するのは簡単、という言葉をこんなにしみじみと噛み締めたことはない。米朝の首脳が初めて対面したのだ。もうそれだけでいいじゃないか。会ったことが大成果だろう。初めて会った席で「いついつまでにこれやれよな」などと言うほうがおかしい。「会えてよかった。これからよろしくやっていこうぜ」という感じの共同声明は、だからとてもよかったと思う。もしかすると世界はこのまま平和になるんじゃないかという希望さえ抱いた。それを浅はかだと批判するのはやっぱり簡単なのだけど、これまで対面することなんて考えられなかった両国の首脳が握手するのを見て、人類がいい方向に進んでいることを信じたとして、なぜ批判される筋合いがあるのかと思う。
 なんかトランプいいわー。パワフルさがいい。活気があるじゃないか。ああいう人は貴重だ。なるほどアメリカ大統領あたり、なっとけばいい。波及効果でいろんな所が盛り上がる。
 大統領令も発動しまくりで、政治的にそれがどうなのか、ということはもちろん知らない。けれどひとつだけ思うこととして、今回の共同声明の調印でもそうだったが、トランプのサインかっこいい。なんかすごくギザギザしている。すっかり気に入ったので、昨晩は会談のニュースを眺めながら、繰り返しトランプのサインの練習をしていた。その結果、なかなか上手になった。よく見ればただの筆記体表記ではあるのだけど、Dで始まり、pで終わる氏名を、本当に尖がらせてギザギザに書く。その感じがかっこいい。あともう少し練習を積めば、代筆を務めることも可能だと思う。今後アメリカ大統領の調印が必要な場面があれば、気さくに声を掛けてもらいたい。

 日大の話題が本当に過去の物になった。こうして世間は出来事を忘れ去り、内田という人もしれっと日大の中で生き残り続けるのだろうと思う。それは別にいい。悔しいのは、悪質なタックルコントをやり逃したことである。あの週、あの瞬間にそれができていれば、絶対にウケたに違いないのだ。ピンクのネクタイまで準備して、頭の中で何度もシミュレーションしては、自分で笑いそうになったほどの傑作コントだったのだ。それが日の目を見ることなく終わった。哀しい。そして申し訳ない。ちゃんとこの世に生み出してやることができなかった。これは僕の責任だ。僕の人間関係の乏しさがすべて悪い。反省したい。その反省の会見をこそピンクのネクタイで臨みたい。無理か。これは無理か。さすがに笑いに繋がらないか。もう内田監督と関係ないしな。ああ、悔しい。僕のイメージだと、年末の東急ハンズには、ピンクのネクタイと白髪のカツラの、内田監督なりきりセットが並ぶ予定だったのに。僕がそこまで育てるつもりだったのに。