仕事が納まり、年末年始の連休が始まる。すごく嬉しい。普段3連休で嬉ションしそうになっていることを思えば、年末年始の大型連休なんて、昇天してもおかしくないと思う。それなのにいま僕がこうして良い姿勢を保ったままキーボードを打てているのは、たぶんスケールが理解できていないということなのだと思う。ありがたさのスケールが把握できていないくせに、心の余裕だけは闇雲に確保してしまっていて、連休1日目の今日は、大したこともせずにのんべんだらりと過してしまった。連休って逆にこうなりがち。まあ今日に関しては、帰省前のエアポケットのような日だから仕方ない面はあるが、帰省から戻ったあとの日々でこんなことにならないよう、しっかりと自覚を持ち、計画を立て、堂々たる嬉ションを実行したいと思う。
来年は5月1日から元号が変わるわけだけど、今日の新聞に、その新元号の発表は、開始の1ヶ月前にすると決定した、と書いてあった。だとすれば、5月1日の1ヶ月前ということは、それは4月1日ということになるのだろうか。新元号の発表って、平成のときのことはリアルタイムでは覚えていないが、パロディではさんざん目にしてきて、そのためただでさえネタ的なイメージがあるのに、しかもその発表がエイプリルフールとなると、もうすっかり大喜利の様相を呈してくるのではないかと思う。一億総大喜利。欲しがります、笑うまでは。もしも本当に4月1日に発表ということになると、日本中の有象無象が放つネタ回答に紛れて、どれが本当なのか判らないという事態にまで陥りそうな予感がする。なので政府は4月1日発表と言いつつ、3月31日とかにフライング発表し、4月1日用にネタを用意していた国民(お調子者タイプの)を、悔しがらせればいいと思う。
昨日「仲間内10大ニュース2018」を投稿したことで、ブログの年間行事が無事にすべて終了した。めでたい。年越しを前に、やり切った清々しさがある。10大ニュースでは、去年の記事内の文章を引用したりして、長く続けてきたことの蓄積を、うまく活用することができた(内容も珠玉の出来だった)。ファルマンも言っていたが、とにかく続けることが大事なのだと、今年の年間行事をこなしていて、しみじみと感じた。「cozy ripple流行語大賞」は10周年で、「パピロウヌーボ」内で10年間の流行語を振り返ったし、「パピ労の日報告」では今年も朝青龍がコメントをくれた。そして「干支4コマ」では、最初の寅年からなんとなく入れていた右下の通しナンバーが、今年でとうとう100に到達したのだった。長年をかけて培ってきたものが、いよいよ円熟してきたのを感じる。なにしろログである。溜まってなんぼなのだ。じゃあ続けていれば、またこれからもっと愉しくなるということか。いいなあ。いついつまでも続けようと思う。
というわけで今年の投稿もこれでおしまい。ご愛読ありがとう。ご投稿ありがとう(俺)。
2018年12月29日土曜日
2018年12月15日土曜日
プリキュア・ヌーボ・はためき
ファルマンとピイガが幼稚園に登園する前、とても余裕のある朝の準備をしている時間帯に、地方局で過去のプリキュアの再放送というのを毎日しているのだそうで、それでにわかにわが家のプリキュア熱が高まっている。女の子を育て始めてそろそろ8年になるが、ようやくである(ひとり目はドラえもんからハリーポッターへ進んだ)。
とにかく平日に毎日やるので、進行が早い。観始めたときは「スマイルプリキュア」だったのが、先般終了し、翌日から「ドキドキプリキュア」になった。こういうアニメって、1年を通して観ることによって、子どもはその1年間、ずっとそのプリキュアとともに日々を暮し、そしてともに成長するみたいな、そういう感慨のあるものなのだと思うが、この視聴にはそういうのが一切ない。愉しんではいるが、心が寄り添う感じは一切ない。さらに言えば、本放送では物語中のプリキュアが用いるアイテムのおもちゃなどが流れていたに違いないCMの時間も、地方局なので本当になんのマーケティング的な思慮もない、鈑金工場とか、渋い銘菓とか、そんなものばかりが流れるのだった。
ところでどうして僕が流れるCMまで知っているかと言えば、にわかなプリキュア熱の高まりは、ファルマンとピイガだけにとどまらず、ポルガや僕にまで派生しているため、録画したものを夜に観たりしているからだ。
観てみたら、まあなかなかおもしろい。娘とともに観るので、なんとなく感じ入る部分もあるのだと思う。たまにちょっと涙が出そうになり、驚くときがある。
グータンヌーボが復活するというニュースに驚いた。
さすがに江角マキコが司会ではないのだけど、タイトルをそのまま用いる、正式な系譜に連なる番組になるようで、ちょっと驚くと同時に感動する部分があった。だって「キャサリン三世」がそうであったように、おんなじような内容の番組を、別のタイトルでやったってよかったのだ。でもやっぱり「グータンヌーボ」が、ネームバリューもあり、人々の心に訴求するものがあると判断されて、そういう結果になったわけである。
そこに、パピロウヌーボを続けてきた身として、誇らしい思いがある。僕はこの数年間、グータンヌーボの灯が絶えることのないよう、薪をくべ続けてきたのだと、言えないこともないと思う。
それがようやく大きな燭台に移され、僕は役割を終える……、ということはもちろんない。番組はたぶん2年弱で終わるから、そのあともやっぱり僕は、正式な系譜に連ならない、あの活動を続けていくのだと思う。
異世界ブームってなんなの、と思う。ラノベで流行るのはいくらでも勝手にやればいいけど、ラノベの流行りは、そのまま美少女文庫や二次元ドリーム文庫へも降りかかってくるので、それで迷惑を被っている。
異世界とか本当に興味がない。姫とか、半裸のアーマーの女戦士とか、魔王とか、そんなものを性欲の対象にするには、想像の羽で飛び越えなければいけないハードルがあまりにも多くて、億劫だ。そこまではためかせられない。はためかせたくない。
途轍もなく極端なことを言ってしまうけど、エロ小説の舞台って、永遠に高校だけでいい。高校から出ようとするから、はためく必要が出てくる。もう翼なんて退化してしまっていい。それで校舎を囲む高い塀を飛び越えることができず、一生そこに閉じ込められるんでいい。本当にそう思う。
とにかく平日に毎日やるので、進行が早い。観始めたときは「スマイルプリキュア」だったのが、先般終了し、翌日から「ドキドキプリキュア」になった。こういうアニメって、1年を通して観ることによって、子どもはその1年間、ずっとそのプリキュアとともに日々を暮し、そしてともに成長するみたいな、そういう感慨のあるものなのだと思うが、この視聴にはそういうのが一切ない。愉しんではいるが、心が寄り添う感じは一切ない。さらに言えば、本放送では物語中のプリキュアが用いるアイテムのおもちゃなどが流れていたに違いないCMの時間も、地方局なので本当になんのマーケティング的な思慮もない、鈑金工場とか、渋い銘菓とか、そんなものばかりが流れるのだった。
ところでどうして僕が流れるCMまで知っているかと言えば、にわかなプリキュア熱の高まりは、ファルマンとピイガだけにとどまらず、ポルガや僕にまで派生しているため、録画したものを夜に観たりしているからだ。
観てみたら、まあなかなかおもしろい。娘とともに観るので、なんとなく感じ入る部分もあるのだと思う。たまにちょっと涙が出そうになり、驚くときがある。
グータンヌーボが復活するというニュースに驚いた。
さすがに江角マキコが司会ではないのだけど、タイトルをそのまま用いる、正式な系譜に連なる番組になるようで、ちょっと驚くと同時に感動する部分があった。だって「キャサリン三世」がそうであったように、おんなじような内容の番組を、別のタイトルでやったってよかったのだ。でもやっぱり「グータンヌーボ」が、ネームバリューもあり、人々の心に訴求するものがあると判断されて、そういう結果になったわけである。
そこに、パピロウヌーボを続けてきた身として、誇らしい思いがある。僕はこの数年間、グータンヌーボの灯が絶えることのないよう、薪をくべ続けてきたのだと、言えないこともないと思う。
それがようやく大きな燭台に移され、僕は役割を終える……、ということはもちろんない。番組はたぶん2年弱で終わるから、そのあともやっぱり僕は、正式な系譜に連ならない、あの活動を続けていくのだと思う。
異世界ブームってなんなの、と思う。ラノベで流行るのはいくらでも勝手にやればいいけど、ラノベの流行りは、そのまま美少女文庫や二次元ドリーム文庫へも降りかかってくるので、それで迷惑を被っている。
異世界とか本当に興味がない。姫とか、半裸のアーマーの女戦士とか、魔王とか、そんなものを性欲の対象にするには、想像の羽で飛び越えなければいけないハードルがあまりにも多くて、億劫だ。そこまではためかせられない。はためかせたくない。
途轍もなく極端なことを言ってしまうけど、エロ小説の舞台って、永遠に高校だけでいい。高校から出ようとするから、はためく必要が出てくる。もう翼なんて退化してしまっていい。それで校舎を囲む高い塀を飛び越えることができず、一生そこに閉じ込められるんでいい。本当にそう思う。
2018年12月3日月曜日
うさんくさい・きもい・おじんくさい
cozy rippleじゃないほう、でおなじみの流行語大賞が発表される。
年間大賞は「そだねー」だそう。なんとも忌々しいことだ。
他になかったのかよ、と思ってトップテンを見てみると、「(大迫)半端ないって」なんかは大迫選手も中西氏も登壇できないので、そこが都合悪かったのかな、と思ったり、まさか大賞でもないだろうが「スーパーボランティア」も尾畠さんが受賞を辞退したというし(この人は普通に立派な人だと思う)、結局のところ代表者がほいほい出てくれるこれにあげるしかなかったのかな、と思う。
あとトップテンに「奈良判定」が入って「悪質タックル」が入っていないのはどう考えてもおかしい。「奈良判定」というフレーズもよかったが、どちらが広く長く世間を騒がせたかと言えば、確実に「悪質タックル」だろう。まあこれはおかしいと言うか、僕が思っている以上に、日大というのは力を持っているということだろう。うさんくさ。
11月は、ファルマンと、母と、姉と、義妹としか、LINEのやりとりをしなかった。
こんなはずじゃなかった。LINEを始めたらこんなことにはならないはずだった。
母とは年末年始の帰省についてのやりとりだったし、義妹とは月頭に義妹がこちらに来たときの送迎のやりとりだったので、これらは言わば事務的な交信である。たとえ僕がLINEをやっていなくても、電話で同じ内容のやりとりが繰り広げられただろう。それに対して姉は、姉の息子の通う幼稚園で劇をやるにあたり、衣装の作製を課せられたので、それについての相談をしてきたのだった。これはたぶん僕がLINEを始めていなければ、わざわざ訊ねてこなかっただろうと思う。つまり、姉くらいなのだ。少し長めの棒を振り回して届くようになる距離関係にいたのは、姉だけだったのだ。じゃあなんだ、僕がLINEを始めた意味は、姉弟間のコミュニケーションのためか。きもいわ。
さんまの季節がそろそろ終わる。今年は豊漁だったこともあり、わりと堪能した。生さんまの塩焼きは、やっぱりしみじみとおいしかった。しかもそこへ新米なのだから、秋という季節はほとほとありがたいものだと、おじんくさいことを思った。
さんまが終わるのは哀しいが、そのぽっかり空いた心の隙間を、ぼちぼち回転ずしに現れ始めたあん肝軍艦が救ってくれるのだ。ああ、魚のはらわたが好き。大好き。
年間大賞は「そだねー」だそう。なんとも忌々しいことだ。
他になかったのかよ、と思ってトップテンを見てみると、「(大迫)半端ないって」なんかは大迫選手も中西氏も登壇できないので、そこが都合悪かったのかな、と思ったり、まさか大賞でもないだろうが「スーパーボランティア」も尾畠さんが受賞を辞退したというし(この人は普通に立派な人だと思う)、結局のところ代表者がほいほい出てくれるこれにあげるしかなかったのかな、と思う。
あとトップテンに「奈良判定」が入って「悪質タックル」が入っていないのはどう考えてもおかしい。「奈良判定」というフレーズもよかったが、どちらが広く長く世間を騒がせたかと言えば、確実に「悪質タックル」だろう。まあこれはおかしいと言うか、僕が思っている以上に、日大というのは力を持っているということだろう。うさんくさ。
11月は、ファルマンと、母と、姉と、義妹としか、LINEのやりとりをしなかった。
こんなはずじゃなかった。LINEを始めたらこんなことにはならないはずだった。
母とは年末年始の帰省についてのやりとりだったし、義妹とは月頭に義妹がこちらに来たときの送迎のやりとりだったので、これらは言わば事務的な交信である。たとえ僕がLINEをやっていなくても、電話で同じ内容のやりとりが繰り広げられただろう。それに対して姉は、姉の息子の通う幼稚園で劇をやるにあたり、衣装の作製を課せられたので、それについての相談をしてきたのだった。これはたぶん僕がLINEを始めていなければ、わざわざ訊ねてこなかっただろうと思う。つまり、姉くらいなのだ。少し長めの棒を振り回して届くようになる距離関係にいたのは、姉だけだったのだ。じゃあなんだ、僕がLINEを始めた意味は、姉弟間のコミュニケーションのためか。きもいわ。
さんまの季節がそろそろ終わる。今年は豊漁だったこともあり、わりと堪能した。生さんまの塩焼きは、やっぱりしみじみとおいしかった。しかもそこへ新米なのだから、秋という季節はほとほとありがたいものだと、おじんくさいことを思った。
さんまが終わるのは哀しいが、そのぽっかり空いた心の隙間を、ぼちぼち回転ずしに現れ始めたあん肝軍艦が救ってくれるのだ。ああ、魚のはらわたが好き。大好き。
2018年11月24日土曜日
余韻・欲しいもの・下着
今年も無事に、cozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボを書くことができた。このふたつは、1年ブログを書いてきての、義務でもあり、ご褒美でもあり、労力も達成感も大きい。だから今、とても充実した気持ちになっている。
大賞のほうは今年で10周年ということで、去年なんの構想もないままに、「来年は10周年ということで特別企画を用意してるよ!」と無意味にぶち上げていて、馬鹿野郎と思った。それで結局、特別企画というほどのことではないが、パピロウヌーボの中に、今年のそれだけではなく、歴代のノミネート語を紛れさせる、ということをやってみた。ひとつひとつにリンクも貼ったので、過去の大賞記事を読み返してみるのも一興だと思う。
なにしろ10周年。ノミネート語は毎年10~15あるので、100語を軽く超えているのである。puropediaで見返してみたら、懐かしいもの、気恥ずかしいもの、まったく思い出せないものなど、さまざまなフレーズがあって、ちょっとこみ上げてくるものがあった。
ファルマンはずっと短歌を詠んでいて、1500首を超える歌を読み返すと、恋愛、仕事、結婚、妊娠、出産、子育てなど、ファルマンの人生の場面場面が思い出されるわけだけど、僕にとってはこの「言い回し」としか言いようのないフレーズ群が、それなのかもしれないと思う。
新しいパソコンと、それなりに関係がこなれてきた。
物理的に、パソコン台として引き出しケースを買って高さがよくなったというのもあるし、中身的に、お絵描きソフトやプリンター接続の設定などが整ったというのもある。とにかくほとんど不自由なく使えるようになってきた。よかった。
ところでインターネットのブラウザに関して、ひとつ不思議なことがあって、前のパソコンのそれの、「欲しいもの」フォルダーには、カーソルを合わせれば画面の端から端まで連なるほどに、欲しいもののページが登録されていたのだけど、いちどそれがまっさらになってみると、かつてそこになにが入っていたのか、ほぼ思い出せないのだった。だからもちろん欲しいとも思わない。だってなにが欲しかったのか分からないのだ。結局その程度の欲求でしかないものばかりだったのだ。
これっていい作戦かもしれない。これから漫然とインターネットをしていく日々の中で、再び「欲しいもの」フォルダはいっぱいになるかもしれない。そうしたらいちどそれをフォルダごと削除してみよう。それでも思い出せたものだけが、本当に欲しいものなのだと思う。
そういう意味で言えば、かつてのフォルダに、あん肝のレトルトパックが入っていたのはしっかりと覚えている。あん肝は本当に欲しいのだと思う。
SEVENTEENの下着版があればいいのに、ということに思いを馳せたのだけど、それはやっぱりなかなか難しいだろう、6月7月の水着特集は下着と同じ露出度なのに、なぜ水着ならよくて下着はダメなのかという議題は、もうこれまでにさんざん言葉を尽くしてきたので、そこについてはもうとやかく言わない、と思った。
だから僕は、STモデルたちに、下着姿を見せろとは言わない。それを求めるのはルール違反。よろしくない。だから服は着ていていい。今までどおり、服を着た姿だけを見せてくれればいい。だけどその横に、その撮影時に身に着けていたのはどんな下着だったのかを、下着だけの写真でいいから、載せてほしいと思う。それで十分に助かる。こちらの目的はそれで果たせるのだ。どうか一考していただけないだろうかと思う。
大賞のほうは今年で10周年ということで、去年なんの構想もないままに、「来年は10周年ということで特別企画を用意してるよ!」と無意味にぶち上げていて、馬鹿野郎と思った。それで結局、特別企画というほどのことではないが、パピロウヌーボの中に、今年のそれだけではなく、歴代のノミネート語を紛れさせる、ということをやってみた。ひとつひとつにリンクも貼ったので、過去の大賞記事を読み返してみるのも一興だと思う。
なにしろ10周年。ノミネート語は毎年10~15あるので、100語を軽く超えているのである。puropediaで見返してみたら、懐かしいもの、気恥ずかしいもの、まったく思い出せないものなど、さまざまなフレーズがあって、ちょっとこみ上げてくるものがあった。
ファルマンはずっと短歌を詠んでいて、1500首を超える歌を読み返すと、恋愛、仕事、結婚、妊娠、出産、子育てなど、ファルマンの人生の場面場面が思い出されるわけだけど、僕にとってはこの「言い回し」としか言いようのないフレーズ群が、それなのかもしれないと思う。
新しいパソコンと、それなりに関係がこなれてきた。
物理的に、パソコン台として引き出しケースを買って高さがよくなったというのもあるし、中身的に、お絵描きソフトやプリンター接続の設定などが整ったというのもある。とにかくほとんど不自由なく使えるようになってきた。よかった。
ところでインターネットのブラウザに関して、ひとつ不思議なことがあって、前のパソコンのそれの、「欲しいもの」フォルダーには、カーソルを合わせれば画面の端から端まで連なるほどに、欲しいもののページが登録されていたのだけど、いちどそれがまっさらになってみると、かつてそこになにが入っていたのか、ほぼ思い出せないのだった。だからもちろん欲しいとも思わない。だってなにが欲しかったのか分からないのだ。結局その程度の欲求でしかないものばかりだったのだ。
これっていい作戦かもしれない。これから漫然とインターネットをしていく日々の中で、再び「欲しいもの」フォルダはいっぱいになるかもしれない。そうしたらいちどそれをフォルダごと削除してみよう。それでも思い出せたものだけが、本当に欲しいものなのだと思う。
そういう意味で言えば、かつてのフォルダに、あん肝のレトルトパックが入っていたのはしっかりと覚えている。あん肝は本当に欲しいのだと思う。
SEVENTEENの下着版があればいいのに、ということに思いを馳せたのだけど、それはやっぱりなかなか難しいだろう、6月7月の水着特集は下着と同じ露出度なのに、なぜ水着ならよくて下着はダメなのかという議題は、もうこれまでにさんざん言葉を尽くしてきたので、そこについてはもうとやかく言わない、と思った。
だから僕は、STモデルたちに、下着姿を見せろとは言わない。それを求めるのはルール違反。よろしくない。だから服は着ていていい。今までどおり、服を着た姿だけを見せてくれればいい。だけどその横に、その撮影時に身に着けていたのはどんな下着だったのかを、下着だけの写真でいいから、載せてほしいと思う。それで十分に助かる。こちらの目的はそれで果たせるのだ。どうか一考していただけないだろうかと思う。
2018年11月14日水曜日
涼真・気温・内田
昨日「PAPIROTOIRO2」にSEVENTEEN9月号の報告を書いたのだが、その誌面の中に、竹内涼真の股下が91センチと紹介されていて、忸怩たる思いを抱いた。
しかし忸怩たる思いを抱いたあと、自分の股下ってそう言えばちゃんと知らない、と思いファルマンに測ってもらった。メジャーを太ももの内側の付け根に当てて、「えーと……、ななじゅう、ごだね。ぐひょひょ」と、妻は75という数字を言ったあと、汚らしく笑ったのだった。「本当か! 本当に75か! 切りのいい数字にしようとしているんじゃないか! 竹内涼真だって90センチでいいところを91センチと言ったんだぞ! 76かもしれないじゃないか! 測り直せ!」と命じて、再びあててもらう。「うん、75。ぐひょひょ」
でもちょっと待ってほしい。竹内涼真の身長は185センチ。そこから股下の91を引くと、竹内涼真の脚以外の部分は94センチということになる。それに対して僕は、身長が167センチで、股下が75なので、引けば92センチである。つまりこれはどういうことかと言うと、竹内涼真と僕は脚以外の長さはほとんど一緒で、竹内涼真のほうが脚だけ長いということになる。なるじゃないか。待たなくてぜんぜんよかった。なんで待ってもらったんだろう。こんなところに立ち止まってないでとっとと次の段落に行ってほしい。バーカバーカ。
この残酷な数字の原因として、僕の場合は太ももの内側の付け根にメジャーを当てようとしても、どうしても一物が出張って邪魔をしてしまい、それが股下のスタート位置を大きく(ざっと20センチくらい)下げているのではないか、ということが考えられる。僕がそんなハンデを負っているのに対して、竹内涼真のそれは7ミリくらいなんだと思う。なるほどそれなら股下91センチも納得だ。俺かてこんな一物がなければそんくらい普通にいくっちゅうねん、という話だ。涼真に対しては、そんな風に考えて溜飲を下げるしかない。
朝の準備中にニュースを眺めるのだが、そこで伝えられる週間予報に、気温の表示がない。なんの意味もない、と思う。平日は一日中屋内にいるため、ぶっちゃけ天気なんて僕はどうでもいいのだ。晴れだろうが雨だろうが関係ないのである。大事なのは気温だ。週末に向けて暖かくなるのか寒くなるのかで、服装の計画とか、体力の振り分けとか、気持ちがぜんぜん違ってくるだろう。天候だけ見ても、冷たい雨もあれば暖かい雨もあるわけで、どうしようもない。気象庁のすることなので、的中させろとは言わない。ただし目安として知りたいのだ。まあ知ろうと思えばウェブでいくらでも知ることができるのだけども。
流行語大賞のためにこの1年の日記を読み返していたら、5月6月あたり、日大の悪質なタックルの話をものすごくしていた。さらにはピンク色のネクタイを実際に買ったりして、とても愉しそうだった(日の目を見る気配はまるでないが)。
しかしあんなに愉しかったのに、年末年始のイベント期まで話題の鮮度が持たなくて残念だ、と思っていたら、ここへ来てあの内田前監督が、解雇は不当だと言って、提訴をしたというニュースが舞い込んできた。嬉しい。そうこなくっちゃ、と思う。あれだけ叩かれて、音声データとか証拠もいっぱいあるのに、なおも声を上げるバイタリティー。ここまで来れば逆に素晴らしいと思う。かつて板東英二が脱税をして捕まったとき、「板東英二くらい金が大好きで金に汚い感じの人は、もう脱税してもいいってことにすればいいんじゃないか」と思ったが、今回の内田前監督についても同じことを思う。もういっそのこと、監督に復帰させて、悪質なタックルもしたいだけさせればいい。それで、「うわ、またやったよ(笑)」みたいな感じでみんなで笑えば、みんなでハッピーになれると思う。そして僕は満を持してピンク色のネクタイを巻き、内田監督コントをやるのだ。
しかし忸怩たる思いを抱いたあと、自分の股下ってそう言えばちゃんと知らない、と思いファルマンに測ってもらった。メジャーを太ももの内側の付け根に当てて、「えーと……、ななじゅう、ごだね。ぐひょひょ」と、妻は75という数字を言ったあと、汚らしく笑ったのだった。「本当か! 本当に75か! 切りのいい数字にしようとしているんじゃないか! 竹内涼真だって90センチでいいところを91センチと言ったんだぞ! 76かもしれないじゃないか! 測り直せ!」と命じて、再びあててもらう。「うん、75。ぐひょひょ」
でもちょっと待ってほしい。竹内涼真の身長は185センチ。そこから股下の91を引くと、竹内涼真の脚以外の部分は94センチということになる。それに対して僕は、身長が167センチで、股下が75なので、引けば92センチである。つまりこれはどういうことかと言うと、竹内涼真と僕は脚以外の長さはほとんど一緒で、竹内涼真のほうが脚だけ長いということになる。なるじゃないか。待たなくてぜんぜんよかった。なんで待ってもらったんだろう。こんなところに立ち止まってないでとっとと次の段落に行ってほしい。バーカバーカ。
この残酷な数字の原因として、僕の場合は太ももの内側の付け根にメジャーを当てようとしても、どうしても一物が出張って邪魔をしてしまい、それが股下のスタート位置を大きく(ざっと20センチくらい)下げているのではないか、ということが考えられる。僕がそんなハンデを負っているのに対して、竹内涼真のそれは7ミリくらいなんだと思う。なるほどそれなら股下91センチも納得だ。俺かてこんな一物がなければそんくらい普通にいくっちゅうねん、という話だ。涼真に対しては、そんな風に考えて溜飲を下げるしかない。
朝の準備中にニュースを眺めるのだが、そこで伝えられる週間予報に、気温の表示がない。なんの意味もない、と思う。平日は一日中屋内にいるため、ぶっちゃけ天気なんて僕はどうでもいいのだ。晴れだろうが雨だろうが関係ないのである。大事なのは気温だ。週末に向けて暖かくなるのか寒くなるのかで、服装の計画とか、体力の振り分けとか、気持ちがぜんぜん違ってくるだろう。天候だけ見ても、冷たい雨もあれば暖かい雨もあるわけで、どうしようもない。気象庁のすることなので、的中させろとは言わない。ただし目安として知りたいのだ。まあ知ろうと思えばウェブでいくらでも知ることができるのだけども。
流行語大賞のためにこの1年の日記を読み返していたら、5月6月あたり、日大の悪質なタックルの話をものすごくしていた。さらにはピンク色のネクタイを実際に買ったりして、とても愉しそうだった(日の目を見る気配はまるでないが)。
しかしあんなに愉しかったのに、年末年始のイベント期まで話題の鮮度が持たなくて残念だ、と思っていたら、ここへ来てあの内田前監督が、解雇は不当だと言って、提訴をしたというニュースが舞い込んできた。嬉しい。そうこなくっちゃ、と思う。あれだけ叩かれて、音声データとか証拠もいっぱいあるのに、なおも声を上げるバイタリティー。ここまで来れば逆に素晴らしいと思う。かつて板東英二が脱税をして捕まったとき、「板東英二くらい金が大好きで金に汚い感じの人は、もう脱税してもいいってことにすればいいんじゃないか」と思ったが、今回の内田前監督についても同じことを思う。もういっそのこと、監督に復帰させて、悪質なタックルもしたいだけさせればいい。それで、「うわ、またやったよ(笑)」みたいな感じでみんなで笑えば、みんなでハッピーになれると思う。そして僕は満を持してピンク色のネクタイを巻き、内田監督コントをやるのだ。
2018年11月7日水曜日
野沢・ワイヤレス・流行語
職場のおじさんが、青い物品について僕に訊ねるときに、「プロぺ君、あれどうしたかな、あのあええやつ」と言ってくる。最初なにを言ってるのか意味が取れなかった。ちょっと考えて、「あええやつ」が「青いやつ」だと理解する。よく理解できたものだと思う。もうこんなのあれじゃん。野沢語じゃん。「べえおはざーどふぇーぶ」じゃん。5年経ってもいまだにこういうことがある。田舎は奥が深い。そして闇が深い。
秋になり、またバトンを熱心に回し始めた。昼休み、駐車場の隅でひたすら回している。Bluetoothのイヤホンは、本当に買ってよかった。ほら私、バトン回す人じゃないですか。そのとき、タブレットを持ってたり、そこからコードが伸びてたりすると、すごく邪魔なんですよね。その点、ワイヤレスのこれだとノンストレスで練習できるから、とても重宝してます。おすすめです。そんなわけで自由に動き回れるので、それなりに動きながら回している。踊っているわけではないが、歩いたりステップを踏んだりしている。もう友達ができなさ過ぎて、職場で人にどう思われるかとか、まるで気にならなくなった。
流行語大賞の候補語が発表される。僕がcozy ripple流行語大賞のため、この1年の自分の日記を読み返すという作業をしている乍中に、向こうが候補語を明かしてくる感じ、本当に毎年恒例だ。こうなってくると、いよいよ1年が締まろうとしているのだな、と感じる。
そんなわけで30語である。
「そだねー」は、たしかに流行った。流行って、そしてとても苛々した。そもそも僕は、当時の日記にもしっかりと書いているが、カーリングという競技に対して好意を持っていないのだ。そこから発信された「そだねー」は、職場の高齢者たちがよく使い、あの使ったときのドヤ感も含めて、僕を仏頂面にさせた。高齢者が「そだねー」と言うと誰もが微笑んでやると思ったら大間違いだぞ、という警鐘を込めて、どこまでも誘い笑いに乗らなかった。子どもをふたり持ち、30代半ばになっても、そこらへんの気概はまだ失っていない。カーリングからはさらに「もぐもぐタイム」も選出された。30語のうち2語カーリングて。平昌はそこまでカーリングだったろうか。もちろんそんなことはない。スピードスケートやフィギュアもあったではないか。しかしそれらはカーリングに較べてマジなので、雑談とかおやつとか、そんな要素はなかった。これはそういう話だ。
その点、「(大迫)半端ないって」は本当によかった。流行語とはこうあるべきだな、という流行の仕方だったと思う。やっぱりオリンピックやワールドカップなど、大きな大会ではひとつくらい、これぞというフレーズが欲しいものだ。だからこれは本当によかった。元ネタはもうずっと前なんだけどね、みたいな話はどうでもいい。世間で流行ったのは今年だ。
スポーツつながりで、毎年必ず入れなければならない野球関連語は、今年は「翔タイム」が選出された。解るような気もするし、苦しいような気もする。ここ10日ほど、「甲斐キャノン」という言葉をとても多く耳にしたのだけど、さすがに間に合わなかったか。「甲斐キャノン」って、なんか語感が愉快で、口にしたい感じがある。「かいきゃのん」とひらがなで書いても素敵である。もう1ヶ月あれば選出されていたかもしれないのに、と悔やまれる。
あとこれはスポーツつながりなのかどうなのか微妙だが、「悪質タックル」も選ばれた。流行語大賞が、本当になんの軋轢もなく、国民が1年間で多く口に出した言葉に授与されるのだとすれば、大賞は間違いなくこれだと思う。それくらい、みんな悪質なタックルの話が好きで、たくさんしたと思う。ここから始まった日大の一連の報道は、どれも本当におもしろかった。今年はもう特別賞を日本大学に与えてもいいと思う(ちなみにcozy ripple流行語大賞でも日大関連語が2年連続で大賞を受賞しており、今年に関しても有力視されている)。
エントリーに漏れたところでは、「平成最後の……」って今年はみんな阿呆みたいに言っていたので、それは入っていてもよかったんじゃないかと思う。あとはなんと言ってもアレだろう、というのがあるが、それは今年のパピロウヌーボで扱う予定なので、ここでは言わない。
大賞の発表は12月初頭。cozy ripple流行語大賞は11月23日。どちらも乞うご期待。
秋になり、またバトンを熱心に回し始めた。昼休み、駐車場の隅でひたすら回している。Bluetoothのイヤホンは、本当に買ってよかった。ほら私、バトン回す人じゃないですか。そのとき、タブレットを持ってたり、そこからコードが伸びてたりすると、すごく邪魔なんですよね。その点、ワイヤレスのこれだとノンストレスで練習できるから、とても重宝してます。おすすめです。そんなわけで自由に動き回れるので、それなりに動きながら回している。踊っているわけではないが、歩いたりステップを踏んだりしている。もう友達ができなさ過ぎて、職場で人にどう思われるかとか、まるで気にならなくなった。
流行語大賞の候補語が発表される。僕がcozy ripple流行語大賞のため、この1年の自分の日記を読み返すという作業をしている乍中に、向こうが候補語を明かしてくる感じ、本当に毎年恒例だ。こうなってくると、いよいよ1年が締まろうとしているのだな、と感じる。
そんなわけで30語である。
「そだねー」は、たしかに流行った。流行って、そしてとても苛々した。そもそも僕は、当時の日記にもしっかりと書いているが、カーリングという競技に対して好意を持っていないのだ。そこから発信された「そだねー」は、職場の高齢者たちがよく使い、あの使ったときのドヤ感も含めて、僕を仏頂面にさせた。高齢者が「そだねー」と言うと誰もが微笑んでやると思ったら大間違いだぞ、という警鐘を込めて、どこまでも誘い笑いに乗らなかった。子どもをふたり持ち、30代半ばになっても、そこらへんの気概はまだ失っていない。カーリングからはさらに「もぐもぐタイム」も選出された。30語のうち2語カーリングて。平昌はそこまでカーリングだったろうか。もちろんそんなことはない。スピードスケートやフィギュアもあったではないか。しかしそれらはカーリングに較べてマジなので、雑談とかおやつとか、そんな要素はなかった。これはそういう話だ。
その点、「(大迫)半端ないって」は本当によかった。流行語とはこうあるべきだな、という流行の仕方だったと思う。やっぱりオリンピックやワールドカップなど、大きな大会ではひとつくらい、これぞというフレーズが欲しいものだ。だからこれは本当によかった。元ネタはもうずっと前なんだけどね、みたいな話はどうでもいい。世間で流行ったのは今年だ。
スポーツつながりで、毎年必ず入れなければならない野球関連語は、今年は「翔タイム」が選出された。解るような気もするし、苦しいような気もする。ここ10日ほど、「甲斐キャノン」という言葉をとても多く耳にしたのだけど、さすがに間に合わなかったか。「甲斐キャノン」って、なんか語感が愉快で、口にしたい感じがある。「かいきゃのん」とひらがなで書いても素敵である。もう1ヶ月あれば選出されていたかもしれないのに、と悔やまれる。
あとこれはスポーツつながりなのかどうなのか微妙だが、「悪質タックル」も選ばれた。流行語大賞が、本当になんの軋轢もなく、国民が1年間で多く口に出した言葉に授与されるのだとすれば、大賞は間違いなくこれだと思う。それくらい、みんな悪質なタックルの話が好きで、たくさんしたと思う。ここから始まった日大の一連の報道は、どれも本当におもしろかった。今年はもう特別賞を日本大学に与えてもいいと思う(ちなみにcozy ripple流行語大賞でも日大関連語が2年連続で大賞を受賞しており、今年に関しても有力視されている)。
エントリーに漏れたところでは、「平成最後の……」って今年はみんな阿呆みたいに言っていたので、それは入っていてもよかったんじゃないかと思う。あとはなんと言ってもアレだろう、というのがあるが、それは今年のパピロウヌーボで扱う予定なので、ここでは言わない。
大賞の発表は12月初頭。cozy ripple流行語大賞は11月23日。どちらも乞うご期待。
2018年11月2日金曜日
パソコン・パソコン・パソコン
パソコンを買った。ネットで中古のものを選んだ。
このたび息を引き取ったパソコンは、何年ほど使ったのだったろうと過去の記事を照会したら、「USP」ではなく「KUCHIBASHI DIARY」まで遡った。購入は2010年4月のことで、開店間もない池袋のビックカメラで出会ったらしい。隔世の感がすさまじい。震災前で、ポルガ誕生前で、東京だ。もはや隔世どころではなく、前世のような遠さ。実質は8年半ということになるが、8年半も経てば僕の細胞のほとんどは入れ替わっているのだから、やっぱり前世からの付き合いだと言っていいかもしれない。
しかし8年半。途中で修理に出したとは言え、あまりパソコンで耳にしない年数であると思う。4度の引っ越し、幾たびもの模様替えを乗り越え、家にいる限りは確実に毎日起動をしての8年半である。よくやってくれた、以外の言葉がない。今回の故障にあたり、修理という発想はさすがに浮かばなかった。今年の茹だる夏に悲鳴を上げることもなく、ピンピンコロリで逝った。とても「当たり」のパソコンだった。
そのパソコンなのだが、処分のことで悩んでいる。
データの移行こそ奇跡的になんとかなったのだが、現在はもう起動そのものがままならないので、初期化さえできない。これが困る。だって初期化ができていない今の状態で引き取り業者に渡して、専門家のテクニックによって起動がままなってしまった場合、データとか、ブラウザの履歴とかブックマークとか、相当に恥ずかしいではないか。業者が本気を出せば素人のする初期化なんて関係ないのかもしれないが、それでも精神衛生上、初期化によって救われる部分というのはある。
ただ性癖とかがバレて恥ずかしいだけなら別にいいのだが、持ち主の運営しているブログが明確すぎていけない。裸を人に見られるとき、どこを隠せばいいかという命題で、胸でも股間でもなく、顔さえ隠せば問題ない、という考えがあるが、この場合、顔が出てしまっている。そこが大いに困る。自意識過剰だとは思うが、なんとなく居心地が悪いではないか。とは言え使わないのにいつまでも家に置いておけるサイズでもない。まったく悩ましい。
新しいパソコンが届く。わけあってまだネットには接続できていないのだが、そう悪くはなさそうだ。なにより安くって、その安さに見合う不足の覚悟はしていたので、まあこんなものだろう、という印象だ。
前のパソコンは8年半使ったわけだが、それは新品を、15万円とか、たぶんそれ以上の値段で購ったのである。だとすれば、使い倒しておいてこんなことを言うのも何だけど、日割りで考えたら1年で2万円程度かかっているのだ。そう考えれば、今回手に入れたパソコンは、2、3年使えればぜんぜん御の字だな、と思う。さてどうなることか。
このたび息を引き取ったパソコンは、何年ほど使ったのだったろうと過去の記事を照会したら、「USP」ではなく「KUCHIBASHI DIARY」まで遡った。購入は2010年4月のことで、開店間もない池袋のビックカメラで出会ったらしい。隔世の感がすさまじい。震災前で、ポルガ誕生前で、東京だ。もはや隔世どころではなく、前世のような遠さ。実質は8年半ということになるが、8年半も経てば僕の細胞のほとんどは入れ替わっているのだから、やっぱり前世からの付き合いだと言っていいかもしれない。
しかし8年半。途中で修理に出したとは言え、あまりパソコンで耳にしない年数であると思う。4度の引っ越し、幾たびもの模様替えを乗り越え、家にいる限りは確実に毎日起動をしての8年半である。よくやってくれた、以外の言葉がない。今回の故障にあたり、修理という発想はさすがに浮かばなかった。今年の茹だる夏に悲鳴を上げることもなく、ピンピンコロリで逝った。とても「当たり」のパソコンだった。
そのパソコンなのだが、処分のことで悩んでいる。
データの移行こそ奇跡的になんとかなったのだが、現在はもう起動そのものがままならないので、初期化さえできない。これが困る。だって初期化ができていない今の状態で引き取り業者に渡して、専門家のテクニックによって起動がままなってしまった場合、データとか、ブラウザの履歴とかブックマークとか、相当に恥ずかしいではないか。業者が本気を出せば素人のする初期化なんて関係ないのかもしれないが、それでも精神衛生上、初期化によって救われる部分というのはある。
ただ性癖とかがバレて恥ずかしいだけなら別にいいのだが、持ち主の運営しているブログが明確すぎていけない。裸を人に見られるとき、どこを隠せばいいかという命題で、胸でも股間でもなく、顔さえ隠せば問題ない、という考えがあるが、この場合、顔が出てしまっている。そこが大いに困る。自意識過剰だとは思うが、なんとなく居心地が悪いではないか。とは言え使わないのにいつまでも家に置いておけるサイズでもない。まったく悩ましい。
新しいパソコンが届く。わけあってまだネットには接続できていないのだが、そう悪くはなさそうだ。なにより安くって、その安さに見合う不足の覚悟はしていたので、まあこんなものだろう、という印象だ。
前のパソコンは8年半使ったわけだが、それは新品を、15万円とか、たぶんそれ以上の値段で購ったのである。だとすれば、使い倒しておいてこんなことを言うのも何だけど、日割りで考えたら1年で2万円程度かかっているのだ。そう考えれば、今回手に入れたパソコンは、2、3年使えればぜんぜん御の字だな、と思う。さてどうなることか。
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