2018年8月31日金曜日

診療終了・スイカ・大人

 なんと歯医者の治療が終わる。最初に行ったとき、「どこが悪いとかじゃなくて全体的に悪い」くらいに悪し様に言われたので、いったい何ヶ月コースなのかと暗澹たる気持ちになったのだけど、親知らずを抜いて、ひどくなっている虫歯をふたつ処理して、そして全体の歯石を取って、このたび終了したのだった。すばらしい早さ。前に行っていたところ(僕以外の家族はまだ行っている)は、歯石取りだけで何回も診療を費やした。乗り換えて本当によかった。ここなら半年後の定期検診もサボらずに行こうという気になるというものだ。
 ただし診療室から出る最後の最後に、「たぶん近いうちに右下の親知らずが痛くなるよ」という呪いの言葉をかけられた。歯の右下エリアなんて、これまでの記憶の限り、まったく痛みの訴えをしてこなかった優良エリアだと認識していたので、そんなまさかと思った。それで家に帰って口の中を見てみたら、歯医者じゃなくても、僕が大きい口を開けて笑った場面で、一緒に笑い合った友達が見つけて指摘できるくらい可視的な感じで、歯茎から顔を出しかけている歯が最奥にあった。しかもそれはあろうことか、下から上ではなく、ちょっと斜めというか横と言うか、これってあんまりタチの良くない生え方のやつなんじゃねえの、という出方をしていた。それを目にすると同時に、わが家の歯抜き婆の、「上はええんじゃ、つらいのは下なんじゃ……」という言葉も思い出し、顔に縦線が入った。さくらももこのエッセイに、歯医者で笑気ガスを吸う話があったな。

 職場の昼休みに、誰が持ってきたのかスイカが振る舞われ、カットされたものをひとつもらって食べた。その場では特に何も思わず、スイカだなあと思って食べたのだけど、午後からの呼気が、人体の機構なのか、たまに胃の中の空気が口までせり上がってくるときというのがって、カレーを食べたあとはそのたびにカレーのことを思い出すあれだけど、それが今回の場合はスイカで、そしてそのスイカのにおいというのが、自分が思っている以上に嫌だった。これまでスイカには嫌悪感を抱かずに生きてきて、わが家の子どもたちはスイカを毛嫌いして食べないので、スイカを食べないなんて信じられない! と思っていたのだけれど、ここに来てスイカと自分の関係性を見つめ直したくなった。そのことをファルマンに話したら、「子どもたちがスイカを嫌うのはムカつくけど、でも前々から、どうしてあなたはスイカが大丈夫なんだろうとは思っていた」と言われ、冷静に考えてみたら、そう言えばどうして俺はウリ科の野菜を喜んで食べていたんだ……?と、どんどん謎が深まっていった。僕はもうスイカくらいしか冷たくて甘い食べものがなかった世代じゃないのに、どうしてあんなにスイカ=嬉しい!みたいなイメージが醸成されていたのか。さらに疑問なのが、そのイメージに誘導されて、子どもを喜ばせるためにスイカを買って帰ったのに、なぜわが子はそれを拒んだのか。なぜお前らは、パパが今の今までかかっていた催眠術にかからないんだ。パラダイムか。もうお前らはスイカパラダイム外の人類なのだな。

 夏の出雲で、次女の持ってきたスーパーファミコンミニを借りて遊ぶということをした。その前に買い物に出て、「ほろよい」とポテトチップスまで用意する周到さで、どっぷりとゲームを堪能する気まんまんだったのだが、いざしてみたらそれほど心が盛り上がらなかった。テレビゲーム、それもスーパーファミコンと来たら、ちょうどドンピシャで熱中する年頃だったので、吐くほどおもしろい、という強い印象があったのだが、ドンキーコングもストリートファイターⅡも、プレイする僕の心はとても淡々としていた。当時と同じ場所に来ていて、懐かしさは感じるのだが、でもここにはもう友達は誰もいないし、僕だって小学校高学年じゃない。ただ緯度と経度が同じ場所に来ただけ、みたいな、そんなうすらさびしい気持ちになった。今回のミニには入っていなかったが、大人になってから桃鉄をする機会というのが何度かあって、始める前はものすごい多幸感があったのだけど、いざ始めてみたら、そのときもやはり淡々としていた。あれっ?となった。でも本当はあれっ?でもなんでもないのだ。だって僕は大人になってしまったんだもの。大人は、コントローラーを持って、画面上で展開されることに、そこまで入れ込めない。ゲーム世界に飛び込めない。その世界の入り口よりも、僕の体が大きくなってしまったから。この思いは今年、カードキャプターさくらに対しても抱いた。今年は少年時代の僕との訣別の年なのか。でも体が大きくなった分、ちんこも大きくなったから、悪くないと思う。ちんこによって大人は肯定される。