2018年7月12日木曜日

プロフ・ハート・メモ

 これまでLINEのホーム画像が手塚治虫の写真で、プロフィール画像が火の鳥だったのだけど、昨日ふと思い至って変更した。ホーム画面を、雫と杉村が神社で話している場面、プロフィール画像を杉村のアップにしたのだった。先日、耳をすませばのスタンプがあればいいのに、ということを書いたが、こうしたことで、要するに僕が耳をすませばスタンプでしたかったことは実現できるのではないかと思った。僕自身はLINEのやりとりの画面に杉村は現れないのだけど、向こう側ではすべての発言が杉村が頬を赤らめて叫んでる風に見えているはずなので、そんなん僕だったらおもしろいから、特に用件もないのにずっとその人とだべっちゃう、と思う。あとステータスメッセージはもちろん「わっかんねーよ!」である。基本的に杉村は「わからない」。すべてわかってる風だった火の鳥から、一気にキャラを変えてきた。発言内容も自ずと変化してくると思う。
 この変更をファルマンは褒め称え、「私も耳をすませばにしようかな」と言ってきたので、「いいじゃん。ホーム画面を一緒にして、君は雫にすればいいじゃん」と言ったのだけど、言ってから夫婦で杉村と雫じゃダメだろ、と気がついた。しかし僕は聖司にするつもりはないので、ならばファルマンには夕子になってもらうしかない。夕子……。僕が杉村で妻が夕子というセットで捉えれば、まあもちろん大いに痛々しいのだけど、意味はとりあえず解るとして、共通の知人ではない、たとえば子どもの幼稚園や小学校の母親たちは、ファルマンの唐突な夕子に対してどう思うか。数あるジブリキャラの中で、夕子!? ……でもあの人ならさもありなんよね。そうね、さもありなんよね。ヒソヒソ、ヒソヒソ……。ちなみにファルマンのプロフィール画像は、ジブリじゃない原作のほうの魔女宅です。夕子とそれ、果たしてどっちがセーフなのか。わっかんねーよ!

 TikTokの話をしたい。お前どうした。TikTokに対してなんでそんなに入れ込んでいるんだ。自分でもわからない。もうさすがにしつこいので杉村調では言わないが、よくわからない。なんかあのネタ合戦的なところに、生来のなにかが刺激され、こうしちゃいられない気持ちにさせられるのかもしれない。それと同時に主に映っているのが女子高生なものだから、その合わせ技で、そのまま寝技に持ち込みたいのかもしれない。
 演出なのだろうと思うが、女子高生のムービーで、撮影者が友達に向かってスマホを向けて勝手に撮影をスタートし、あのパンチするやつとか、いろんなハートを指で作るやつとか、「め組のひと」とかのメロディを流し、カメラを向けられたほうは0.5秒くらいびっくりしたあと、それぞれのメロディのお決まりの振り付けをする、というのがよくあり、あれがなんだかとても羨ましい。友達が多い子の、急にTikTokの撮影をスタートされちゃって、でもそれに対応しちゃう、その情景からにじみ出る、その子の幸多からん日々が羨ましいのだと思う。
 友達ってなんだろうということを常日頃から考え続けているけれど、友達っていうのは、勝手にスマホを向けてTikTokの撮影をしちゃう人のことなんじゃないかな、と思った。だから僕もいつか起るだろうその瞬間に対応できるよう、女子高生たちのムービーを観て、日々練習に励んでいる。あの「しあわせはいつも続かない」みたいな歌詞のハートを作るやつ、もう急に撮影がスタートしても大丈夫だ。かわいくできる。いつでも来い。どす来い。

 かつてタブレットを持っていなかった時代、ガラケーのメモ欄に思いついたことをメモしていたのだけど、やはりタブレット導入以降はそれをめっきりしなくなった。いまはもっぱら、タブレットバッグのポケットに入れたメモ帳と、ペン差しに差したボールペンで、書きつけています。