2024年12月26日木曜日

おむすび三太・濫用エース・台帳的な

 娘たちにサンタクロースからのプレゼントが届く。しかし娘ら、小5と中2である。サンタの存在、果たしてどうなの、いまどういう捉え方の段階なの、と思う。思うけれど、口に出して確認することはもちろんできず、また娘たちも、そこを突くと藪蛇になるかもしれないと警戒しているのか、まったく言及してこない。存在を疎ましく思うものを、ないものとして扱うというのはよくある話だが、いまわが家ではサンタが、もはや誰にとっても存在しないのに、あるものとして扱うという、不思議な状態になっている気がする。しかしサンタというのは、具体的に実在すると考えると、不法侵入とか、贈与税とか、いろいろ問題が出てくるわけで、本当はいないのに各人の心の中でだけいることになっている、というこの状態こそ、実はサンタの正しい立ち位置なのかもしれないな、とも思う。サンライズのアニメの原作者って、会社全体の共同ペンネームとしていつも矢立肇なわけだけど、それみたいな感じで、わが家4人それぞれの、クリスマスという催しにまつわる思念が合体し、でもぴたっとは嵌まらないので隙間が空く、その隙間こそがアイノカタチであり、サンタクロースノカタチなのだと思う。だからその容貌は、毎年変化する。今年のサンタは、曜日の巡りがよくなかったため、週末と平日、ふたつの顔があってちょっと馴染みづらかった。

 年末恒例の健康診断が執り行なわれた。クリスマスイブ、火曜日のことで、前週金曜日が忘年会、土曜日がブリ大根、日曜日がクリスマスディナーとあっては、数値のことを気にしてアルコールを制限するなどということができるはずもなく、ここでも頂上戦争のときのエースの達観、悪い意味での、「もうジタバタしねえ」が発動した。このため結果がどうなるか、わりと不安はあるけれど、唯一の救いは、結果が返ってくるのはどうせ年明けだ、ということだ。残酷な現実を突きつけられ、テンションが下がった状態で年末年始を過さなくていいのだ。ならいい。もうジタバタしねえ。

 ファルマンがひそかにやっている、台帳的な名称の文章投稿サービスがあるのだけど、そこが先日、あなたの1年間の投稿まとめみたいのを送ってきてくれたそうで、少しだけうらやましいと思った。もちろんそんなの、今のご時世、AIが自動でやってくれるのだろうけど、でもなんか丁寧に扱われていると言うか、なんだろうこれは、通信簿とかからの発想だろうか、君のがんばってるところきちんと見てたよ感というか、そういう喜びがあるだろうな、と思った。
 じゃあパピロウ、台帳的な名称のあれを始めちゃうの、と言われれば、もちろん答えはノーである。InstagramやTikTokなど、文章を蔑ろにするツールは好きではないが、それと同じくらい、いやそれよりもはるかに強い度合で、文章表現を尊ぶツールおよび、それに群がる輩のことが大嫌いだからだ。読書とか文章とか、そういうのを好きな人、そういう表現手段にアイデンティティを持っている感じの人、本当に嫌。ダサくて汚らわしい、と思う。台帳的な名称のあれには、それのにおいを強く感じるので、忌避している。もちろんファルマンをはじめとして、それほどの情念を持ってやっているわけではない人も大勢いることは判っている。それでもやっぱり拒否感が拭えない。
 翻って、Bloggerである。あなたの1年間の総括? まったくない。そもそもびっくりするくらい、運営側の、運営している感がない。というより、もうだいぶ前から運営されていないんだと思う。あのGoogleが、2024年にまだブログに思いをかけているはずがないのだ。ブログってもうFAXとかMDの仲間なのだから。もう管理者はとっくにいなくなっていて、でも設備はまだ使えるので、僕はその廃墟に勝手に忍び込んで遊んでいるのだ。そのうち管理者がここの存在をひょんなことから思い出して、「どうでもいいっちゃいいけど、まあ処理しとくか」みたいな感じでスイッチをひとつ押せば、Bloggerは音もなく消え去るに違いない。ブログをやる上でBloggerはとても快適だけど、常にその恐怖がつきまとう。だから定期的に投稿記事をダウンロードして保存している。
 台帳的な名称のあれのユーザーの扱いが先進国(北欧とか)の子どもだとすれば、いつ灯が消えるか知れないBloggerで生きる僕は、難民みたいなものだと思う。それでも僕は自分のしあわせよりも、世界全体のしあわせを願ってやまない。