2024年6月2日日曜日

俺ばかり・孫夫婦の下着・一茂

 5月は後半にかけ、「おもひでぶぉろろぉぉん」をよくやった。「おもひでぶぉろろぉぉん」が愉しかったのである。しかし過去を振り返る行為である「おもひでぶぉろろぉぉん」に没頭するというのは、果たして健全なのかどうなのか。
 5月の投稿の中で、いつか「おもひでぶぉろろぉぉん」が「いま」に追いついたらどうなるのか、という話があり、「いま」の僕はもちろん日々の新しい日記を書き続けるわけだが、「おもひでぶぉろろぉぉん」を経て「いま」に至った僕もまた、ふたり目の「いま」の僕として、二重らせん状態で日記を紡ぐようになるのかもしれない、と書いた。
 さらにそのあとで思ったこととして、「おもひでぶぉろろぉぉん」が「いま」に追いつくのが何年後になるのか分からないが、そのときの僕は、「おもひでぶぉろろぉぉん」を始めた39歳の僕のこともまた、振り返りたくなるのではないだろうか。「おもひでぶぉろろぉぉん」自体が、「おもひでぶぉろろぉぉん」の対象になるのだ。だとすればここに3人目の僕が誕生し、それはひとり目の僕を見る、ふたり目の僕のことを、愛しく見つめるのかもしれない。そしてそれは当然、4人目、5人目の僕が生じるということを意味する。なんと心強いのか。のび太がため込んだ宿題も、5人で掛かれば朝までに終わらせることができるはずだ。

 横浜の実家に帰省したときは、洗濯が祖母の手によってオートメーションでなされるのだが、その際にどうしたって下着の問題が発生する。
 ファルマンは初期の頃、恥ずかしさから下着類は洗濯に出さずにいたのだが、そうしたらあるとき祖母から、どうして下着を洗濯に出さないのか問われたという。それはわざわざ問うまでもなく、姻戚としての遠慮や羞恥だろうという話なのだが、昭和一桁生まれの祖母がそんなことを黙って察するはずもない。問われたファルマンは戸惑い、思わず「……私、使い捨ての紙のパンツを使っているので」と変な嘘をついたそうだ。ちなみに最近はもう、なんかしらの境地に至ったようで、普通に洗濯に出すことにしたようである。
 それで実家とわが家の下着洗濯問題は永久解決、ということならばよかったのだが、今度は僕のほうに問題が出てきた。2年ほど前から唐突に僕が、布面積がやけに小さかったり、そのうえフロント部分が異様に突出したりしている、自作のショーツしか穿かなくなったのである。これに関しては、姻戚だろうが血縁だろうが関係なく、洗濯に出すことはできない。ファルマンだからすべてを理解してやってくれているのだ。
 その問題の解決は簡単だろ、実家に泊まるときの数日だけ、ユニクロとかのボクサーを穿けばいいのだ、という話なのだが、それができれば苦労はない。横浜の実家に滞在するということは、大規模な移動をするということだ。そんなときにあんな布面積の大きなものを穿けるはずがないだろう。
 というわけで現時点で、次回の帰省の際のこの問題の解決として、実際に穿く自作ショーツと、洗濯に出すカムフラージュ用ボクサーの、両方を用意する、という方法を考えている。あるいはそれがどうしたってバカらしいと考えるならば、洗濯には一切出さず、そして出さないことを祖母に問い詰められたら、「使い捨ての紙のパンツだからだ」と答えようと思う。なんでこの夫婦、何年かおきにそれぞれ紙のパンツを愛好するのか。

 いまの朝の連続テレビ小説「虎に翼」を観ると同時に、BSで再放送している2000年放送の「オードリー」も観ている。毎晩、録画したそれぞれを観る30分間がある。一方では米津玄師を聴き、一方では倉木麻衣を聴いている。まさか2024年にこんなに倉木麻衣の歌声を聴くはめになるとは思っていなかった。
 「オードリー」の本放送時、僕は17歳ということになり、もちろん当時は一切観ていない。ネットがなかったためか、十代だったためか、朝の連続テレビ小説のことなんて、生きていてもぜんぜん情報が入ってこなかった。
 若き日の佐々木蔵之介や堺雅人が出る中、ヒロインの相手役を演じるのはなんと長嶋一茂で、昔はマグロのトロの部分は誰も食べずに捨てていた、みたいな強烈なもったいなさがある。一茂演じる錠島は、天涯孤独の不愛想な男という設定で、それはしずかちゃんがああも頻繁にお風呂に入る理由が、「きれい好きだから」という、とんでもない力業であるように、なぜ一茂の演技はあんなにも仁王立ちで棒読みなのか、それで許されるのか、という問いに対する、ほぼ反則のような手法であると思う。錠島は今後のストーリにおいてもたぶん、あまり人に心は開かないだろう。なぜなら演じているのが一茂だからである。ドラマには大竹しのぶも出ていて、先日は大竹しのぶ演じる滝乃と錠島が一対一で相対する場面があり、画面に映し出される両者の演技力のあまりの不均衡さに、三半規管が乱れるのを感じた。
 もう四半世紀近くも前に作られたものなので、どうしたってそういう、純粋じゃない味わい方も出てしまうが、それでも観続けているわけで、わりと愉しんでいる。そして僕が観ているということは、たぶんプロ角ねえさんも観ている。年末のパピロウヌーボで宿敵のこのドラマに関して言及があるのかどうか、いまからそれも愉しみにしている。