2024年4月2日火曜日

腰・ブラジャー・進学祝い

 腰を痛める。数日前の風呂上り、タオルの入っているいちばん下の引き出しを開けようと屈んだところで、ヌドゥンッという感じの味わったことのない違和感が腰を襲い、そこで動きが静止した。ぎっくり腰のエピソードとして伝え聞くような、その姿勢のまま一切動けなくなった、というほどのことはなく、最悪の結果は(今のところ)免れているが、それでもまだ腰は不穏な空気を放ち続けている。まるで反社のようだと思う。俺のこと軽い扱いしたらどうなるか分かってんだろうな、あぁ? と凄まれ続けているようなストレスがある。
 体に不調を来したとき、明確な原因など特定できる場合のほうが少ないのに、執拗なまでに「これが悪かったのかもしれない」「あれのせいかもしれない」と可能性を探るという性癖を持つファルマンは、「この春先の、寒さとして認識しづらい微妙な寒さに対する油断のせいだよ」などと言ってきたのだけど、春先のそれには毎年接していて、それなのにこれまでいちどたりともこんなことはなかったのだから、そうなるともう答えはひとつしかないと思う。目を逸らすなよ、と。
 そう思う一方で、春休みの娘を連れて実家に日参するファルマンは、すぐさま僕のこの腰痛のことも実家の面々に伝えたそうで、そのことに対して僕は、「やめろよ! いつまでも若々しいパピロウでありたかったのに!」と抗議をしたのだった。しかし僕のその抗議に対し、「別にあなた、いままでもそんなキャラじゃなかったよ」と冷静に諭され、何重かにショックだった。
 腰の不穏な痛み、つらい。じわじわじわ、と人生のテンションを下げてくる。

 「おもひでぶぉろろぉぉん」で、相変わらずまだ23歳時点の日記を読み返しているのだが、当時の僕はしばしば女子高生のブラジャーの話をしていて、時代性を感じる。
 たぶん17年前に較べて、世の中のブラジャーの売り上げというものは大幅に落ちたことだろうと思う。なぜか。
 それはブラトップができたからだ。
 17年前にはまだブラトップはこの世になかった。いつから出たのかと検索したところ、この1年後の2008年なのだった。エポックメイキング!
 ブラトップの登場によって、ブラジャーは一気に遠い存在になった。
 しかしなったらなったで、僕としてはなんの問題もない。どうも僕は、当時からそこまでブラジャーというアイテムには熱情を持っていなかった様子がある。ブラトップがブラジャーに取って代わったことに、苦言を呈したことはこれまでいちどもない気がする。
 おっぱいに関しては人並みに好きだという自覚があり、それを守るための女の子特有のアイテムと考えれば、ブラジャーに関してもパッションがあるべきだという気がするのに、なぜかそうではない。どっちでもいい、さらに乱暴に言えば、どうでもいいと感じている。
 ショーツと異なり、ブラジャーにしろブラトップにしろ、その中身以上に見目好いものというのが、存在し得ないからかもしれない。引き出しの、ショーツの段には興奮できるけれど、ブラジャーの段は開けてすぐに閉めると思う。もしも女の子の部屋に忍び込んだとしたら、と仮定して。

 姉の長女、姪がこの春から高校に進学する。姪が高校生て、という気もするが、なにぶん娘が中学生なので、実はその「月日の流れ早すぎるよ!」の感慨は、ただの定型句である。本当は淡々と、そうか、とだけ思っている。
 中高一貫の学校に通っていて、さらには制服もない学校なので、高校進学という感じはきわめて乏しいのだけど、それでも一応は進学なので、親戚としてなんかしらのお祝いを贈るべきだろうという話になっている。
 3月からなっているのだが、これがなにも思い浮かばないので困っている。横浜で生きる高校1年生の姪が、いったいどんなものが欲しいのか、見当もつかないのである。本人が欲しいものではなく、そんなものは世代の違う者が分かるはずないので、大人として、人生の先輩として、これから若者が必要となるであろうものを与えてやればいいのだ、とも思うのだが、そちらもまたなにも思い浮かばない。さらには姪の父の顔の広さのことを思うと、その考え方から思いつく大抵のものは、あの大集団の誰かしらからもう既に贈られているのではないか、それも情報強者特有の、知る人ぞ知る気の利いた逸品を、などと考えると、友達がいない田舎在住の叔父は、いよいよ手も足も出なくなる。
 もはや開き直って、相手のパーソナリティのことなど一切考慮せず、こちらの趣味を貫くしかないか。だとすれば、どうしたってこの叔父夫婦は、本くらいしか選択肢がなくなるわけだが、でも本って! とさすがに思う。本ってもう、叔父夫婦もほぼ読まないではないか。あんな現代にそぐわないものもらっても、迷惑なだけだろう。姪の家には本の収納場所(本棚といいます)などないだろうし。
 さあどうしよう。もう4月や。