2024年1月26日金曜日

飛行機・大谷・松本

 年末年始、飛行機が飛ぶ仕組みについてきちんと学習しようと本を何冊も借りて、ノートなど取りつつまじめに取り組んでいた矢先、1月2日にあのような事故が起り、さらにはそのあとも、ちょこちょこと飛行機に関する案件がニュースになって、なんだかすっかり挫けた。挫けたというか、タイミングがタイミングだったので、縁起が悪い、と思った。
 そんなわけですぐに頓挫することとなった飛行機についての学習だが、いちばん肝心の、飛行機はなぜ飛べるのかという点についてだけは、なにより真っ先に学ぶべき事柄であったので、きちんと当該のページを読み、知識を得た。
 その答えは、揚力ということであった。つまり空気の流れである。その説明を読んでいると、飛行機が空を飛べるという事実は、どこまでも盤石のことのように思えて、もしかしたら飛行機はぜんぜん怖くないのかもしれないと思った。
 思ったのだったのだけどな。

 大谷翔平が全国すべての小学校に野球グラブを配った件が、狂騒曲のようになっていておもしろい。児童がぜんぜん使えないよう展示してしまう学校があったり、さらには市長が小学校へ配布する前に市庁舎に展示してしまった例なんかもあったらしい。全国のたくさんの校長が嬉ションしちゃうんだろうなー、と予想はしていたけれど、おっさんの興奮はこちらの想像を軽く超えてくるのだった。おっさんは本当に野球と若い女が大好き。だから要するに稲村亜美が好き。
 しかし校長の肩を持つわけではないけれど、あのグラブの取り扱いって簡単じゃないと思う。ガラスケースの中に展示して、児童が自由に使えないようにするのを、「大谷選手の意向を無視して愚の骨頂だ!」と憤る輩は、児童が自由に使えるようにした途端に盗まれてメルカリに出品された場合、「管理責任はどうなっているんだ!」と憤るに違いない。そう考えると大谷のグラブは、ただの火種でしかない。丁重に保管しても地獄、破損・紛失しても地獄。これならもらわないほうがずっとよかった。心底そう思っている校長も少なくないだろう。
 ちなみにピイガの通う小学校でも、ケースの中なのかどうなのかは知らないが、展示されているそうで、「それって申し込んだりしたら貸してもらえるの?」と訊ねたところ、「知らない。興味ない」とのことで、まあそうか、そうだよな、野球に興味を持たない人間って、大谷からグラブをもらったって、絶対に興味を持たないよな、そういうもんだよな、と思った。

 松本人志のことについて、自分がどう思っているのか、定まらずにいる。
 裁判で争うという、報道された内容が事実かどうかがはっきりしないから、ということではない。事実かどうかという意味では、まあ事実なんだろうと思う。ああいうことは、なされていたろうと思う。芸能界というのは、成功すればそういうことができる世界なのだという、そういう認識がある。なんかそういう、ぎらぎらした世界なのだと。
 だから別に名誉棄損もなにもないし、テレビもこれまで通り出ればいいじゃん、と個人的には思うけれど、当世そんなわけにはいかないのだという理屈ももちろん理解している。
 そんなわけで松本人志はテレビからいなくなりつつあって、「裁判に集中したいから」と、本人は裁判後の復活をほのめかしていたけれど、しかしこのままフェードアウトしそうな気配も漂っている。
 この一連の動きに関して、いろんな見方ができるけれど、でもやっぱり「凋落」という言葉が思い浮かぶ。本人の意思に反して、引きずり降ろされてしまった。本人や周囲がどれだけ取り繕っても、図式だけ見ればどうしたって凋落だ。
 去年あたりにあった、松本人志審査員し過ぎ問題などが表すように、松本人志はお笑い界の、ひいてはテレビ界の中心に君臨していた。それが今回の件で崩壊したことに、喝采を上げる輩がいる。実は俺はずっと松本界隈の粗野な芸人たちが嫌いだったからせいせいした、などという。たしかにそれはそうなのだ。あの界隈は柄が悪いのだ。今回の件は、その柄の悪さが極限まで高まって飽和したことで起った出来事だと考えれば、松本人志の凋落によってお笑い界は少なからず浄化されるのかもしれない、という期待はたしかにある。
 でもそれじゃあ、松本人志は本当にただのチンピラの統領だったということになってしまうじゃないか。そんなはずはないのだ。松本人志は、エキセントリック少年ボウイも日影の忍者勝彦も生み出した。中学時代の、エンターテインメントをいちばん吸収する時期に、僕はさんざん松本人志を吸収した。だから松本人志を否定することは、自分自身を否定することになってしまう。そんなことはしたくない。
 でも復帰を強く望むかと言えば、別にそんなこともなくて、要するに気持ちが定まっていない。