2024年1月7日日曜日

ピイガ10歳・あの輩・出雲大社

 1月4日、無事にピイガの誕生日の祝いを執り行なった。なんと10歳である。信じられない。あのピイガが10歳であるということも、僕はもう小さい子のほうだって10歳以上になっている親になったのだということも、びっくりする。
 ちなみに上のほうの子の10歳のお祝いのときはどんなふうだったろうと当時の日記を読み返したら、僕は帯状疱疹で酒が飲めない状態だった。そうか、あの時期か。あの時期はつらかったな。あの時期に較べると、いまはだいぶ暮し向きはよくなったと思う。
 晩ごはんのメニューは、去年に引き続き餃子の皮を使ったたらこのピザと、あと使用食材はなんにも被っていないのだが、ただピザ繋がりということで、粉から作る本式のピザも併せて作った。4枚作り、もう少し具のバリエーションを用意しておけばよかったなー、とも思ったが、それなりに美味しくできた。
 ケーキはこれも去年と同じく、7号サイズのスポンジを買ってきての、手仕上げショートケーキ。これの製作にあたり、それにしたって今年のいちごの異常な高値はどうしたことだよ、と義憤に駆られた。詳しい事情は知らないけれど、不作なのだとしたら、もう甘みの追求はしなくていいから、強い品種を作ってくれよ、と切に思った。
 親からのプレゼントは、直前まで決まらず、当日の買い出しの際に、ショッピングセンターで見かけたバッグを所望したので、それになった。マウント気質があり、妬みや嫉みによく苛まれているが、しかし実際のところ、そこまで物欲がある子ではないのだと思う。もはやサイコパスな姉と較べるとはるかに常識人で、そのせいで損な役回りになることも多いが、根が真っ当で、そして人当たりがいいので、愛されやすいだろうとも思う。10歳になったので、ここからいよいよ本格的な人間生活が始まる。しあわせに生きてほしい。それと、あともうちょっと食事の際の行儀をよくしてほしい。

 年末にやったらしい「サ道」のスペシャルドラマをTVerで眺めたら、昨今のサウナというのは本当に、ブームに乗ってやってきたしゃらくさい輩によって、猛烈なしゃらくささを纏い始めているのを感じるが、その時代の流れに対してこのドラマは、まったく反発することなく、とても素直に寄り添っているので、すごいと思った。何度も言うけれど、僕自身がサウナブームでサウナを嗜むようになったので、新参者が文化を壊した、みたいなことを言う資格はない。ただ、しゃらくさい、ということを猛烈に思う。
 最近のサウナブームのその感じには、キャンプブームのそれと同じものを感じていたが、なんのことはない、その二者の正体は同一であるということが、近ごろはっきりした。あの輩は、キャンプに行った先で、自然と一体になれる、SDGsなサウナを、仲間とやるのだ。「あの感じのサウナが好き」と「あの感じのキャンプが好き」のベン図は、もうほぼひとつの円にしか見えないほど、しっかりと重なった。
 憎い。あの輩のなにが憎いって、仲間と一緒にやって、さらには一緒に来られなかった別の仲間に向けてSNSで報告までしないと、自分がそれをしたという喜びを実感できないほど、実はその行為そのものには喜びを感じていないくせに、しかし大人数で声が大きいというそれだけの要因で、その領域においてすぐ我が物顔になるところだ。彼らが生み出すありとあらゆるものの、薄っぺらさ。そんな張りぼてでしかない虚飾が、なぜ成立しているかと言えば、それは彼らがその柱に互いに寄っかかって倒れないようにしているからに過ぎない。でもそれはブームだから寄っかかっているだけのことで、ブームが過ぎ去れば、彼らはまた別の張りぼてを急造し、そこでつるむのだ。その軽薄さが憎い。憎いけれど、正面から立ち向かおうとは思わない。彼らはすぐにキレるからだ。そういうところも嫌い。
 そんなことを思った「サ道」だった。じゃあもう観るなよって話だ。

 神在月の、甘く見ての失敗もあり、三が日は出雲大社に行こうとは思わなかったのだけど、しかしまあ1月のうちに顔を出しておきたい気持ちというのはどうしたってあり、そんなわけで地元民は、正月の喧騒が少し落ち着いたこの3連休で行くことが多いんだよね、という感じで、出雲大社へと赴いた。とは言えまだ松の内ということもあり、かなり賑わっていた。臨時駐車場が開設していて、なんとかそこに停めることができた。
 境内をぐるりと回り、複数ある御祈願ポイントで祈願をする。願うのはやはり家族の健やかな暮しで、去年も同じことを願った。それは無事に成就されたとも言えるし、しかしコロナにはかかったよなあ、ということも思った。なにより元日からの災害のことを思えば、神も仏もないじゃないか、なんてことも言いたくなる。
 家族の健やかな暮しのあとで、ロトのこともよろしく言っておいた。災害は別として、健やかな暮しには、自身の行ないも重要になってくるが、ロトは完全に運任せなので、罰当たりのように見えて、神に向かって願う案件として、実はいちばんふさわしいのではないかとも思った。神様の「よっしゃ、まかせろ」という返事が聴こえたような気がした。