2021年4月16日金曜日

ファルマン自動車教習・ぽんぽこ・信用筋

 ファルマンがとうとう教習所に通いはじめ、期待していた通りにおもしろい。
 まず適性検査がおもしろいんだろうな、と思っていたが、案の定で、これは質問に答えていくことで自己分析を促すのが目的なのか、回答結果で点数が算出され、「適性がないので退所してください」みたいなものではないわけだけど、どうしたって取り繕いたくなるのが人情で、ファルマンは「自分はすぐカッとなるほうだ」という問いに、「どちらともいえない」の項にチェックを入れたり、「ひとつのことに集中すると周りが見えなくなる」という問いに、「どちらともいえない」と答えたりしたそうで、あまりにも大嘘なのだった。どちらに関しても、もしもコンテストがあれば世界レベルの活躍ができるほどに、「その通りです!」と自信満々に答えるべきだった。ファルマンほどすぐにカッとなり、そしてひとつのことに集中すると周りが見えなくなる人間を、僕は知らない。
 実習も始まり、すなわち教習所内ながら、ファルマンは初めて車の運転をしたのだった。まだ信号も坂道もなく、ただの周回コースをぐるぐると走っただけなのだが、この時点で適性検査での取り繕いはいとも簡単に剥がれ落ち、助手席の教官からは終始半笑いの対応をされたらしい。はじめのうちは教官も、「右」や「左」と指示を出していたらしいのだが、やがてファルマンが右と左がすぐには分からない人だと察したらしく、「植木のほう」とか「ポールのほう」というふうにいってくれるようになったという。
 今も家でイメージトレーニングをしているが、今日は内側の車線を走り、つまり周回コースを左回りにずっと巡っていたはずなのに、復習といいながらエアのハンドルを右に回したりしている。一連のそのさまは、エンターテインメントとしてはとてもおもしろいのだけど、教習の追加料金のことを思うと、他人事ではないので不安な気持ちでいっぱいになる。道のりはきわめて険しい。

 タブレットからスマホになって、ポケットで持ち運べたり、機械を顔に当てて電話できるのは快適なのだけど、画面はやはり小さく、写真や動画を見てもいまいち心が動かないし、画面上のキーボードも、打ち間違いばかりする。かといってフリック入力もいまさらできる気がしないし、なるほどこうして人は音声入力に頼るようになり、どんどんバカになっていくのだな、などと思う。あとこれはスマホだからなのか、メーカーの方針なのか、あるいは時代による変化なのか知らないが、microSDに保存している画像が、すんなり管理閲覧できなくて、いちいちクラウド的な、なにか大きなところからの干渉を許可しなければ取り扱えないみたいな仕様になっていて、これが大きなストレスになっている。本体なりSDなり、個人的な記憶媒体内の画像を、なぜサクサク自由に扱えないのか。アプリだなんだと、これまでできなかったことが魔法のようにできるなどと謳いながら、肝心なところで気色悪い制約があり、居心地の悪さを感じる。
 これまで使っていたタブレットは、子どもたちの音楽再生用に転用されているのだが、先日なんとなく久しぶりに手に取ってみたら、画面の大きさや、そもそも製品の理念としてのパソコン的な包容力に、やるせない気持ちになった。仕事上、ポケットに入れて持ち歩ける必要があってスマホにしたという経緯もあり、「平成狸合戦ぽんぽこ」のラストのような、のどかなあの時代に戻りたい、みたいな物哀しさを覚えた。

 冬や生活のゴタゴタを理由に筋トレをサボっていたら、さすがはアーバンマッスルと呼ばれる俺の筋肉、おい俺の筋肉、どうしたんだい、というくらいに、1年半くらいかけて付けた筋肉という筋肉が、体から消え去った。築くのには長い時間がかかるが、崩れるときは一瞬。筋肉とは、信用なのかもしれない。そのくらい容易に失われた。今になって再興を試みているが、失った信用を取り戻すのは難しい。筋肉を増やすためには、負荷をかけてトレーニングをするわけだが、筋肉そのものはなくなったくせに、トレーニングのこなし方みたいな小手先の技術ばかり体に残っていて、やっていてもどうも体にきちんと負荷がかかっている気がしない。なんか、スンとしている。本当に僕の筋肉はアーバンで、ビジネスライク。もう少し、儲けにならなくても名前を守り続けるみたいな、人情発想はないものかよ。