2020年8月6日木曜日

精子・Poison・枕詞

 精子は進むときドリルのように回転している、ということがこのほど明らかになったという。これまでは蛇みたいな、鰻みたいな、ああいう動きだと信じられてきて、僕もてっきりそうだと思っていたが、実際は回りながら進んでいるらしい。この永きにわたる勘違いには、精子の擬人化というか、擬生命化というのが要因としておそらくあって、我々はどうしても精子の姿を見て、「頭」や「尻尾」というふうに捉えてしまう。だからその動きに、形状の似た蛇や鰻のそれをイメージしてしまう。でも実はそれは間違いで、あれらは回転するのだ。上も下もなく、三半規管もない、どこまでも機能性だけのものなので、生きものにおいては考えられないような回転しながらの移動が可能なのだ。そして擬生命化に端を発する、精子に対するその間違った捉え方は、男尊女卑にも自ずと通じていたことだろう。顕微鏡が発明される前までは、精子は小さい人の形をしていると信じられていたそうだが、実際はそうじゃなくて頭と尻尾だけのおたまじゃくしみたいなやつだったんですよ、となったところで、実はそんなに違わない。だって結局のところそれは、「女の腹は畑」という考え方に繋がるからだ。生命の根源は男が持っていて、女は、それをどの場所で育てるかの違いでしかない、という考え方。知らず知らずのうちに当り前だと思い込んでしまっていた精子の擬生命化には、そんな傲慢さが根底にあった。反省しなければいけないと思う。
 あと、精子は実は回転していたらしい、ということを、記事を読んでファルマンに向かって話したところ、「私はそれ知ってたよ」と即答してきたのだが、これはいったいどう捉えたらいいのだろう。精子の回転、いつ見たのか。いつ感じたのか。

 お盆を前にして、GoToトラベルキャンペーンだの、自粛だの、ひっちゃかめっちゃかである。なにかと振り回され、うんざりする。そんなとき、世代的にどうしても思い浮かぶのが、「言いたいことも言えないこんな世の中じゃPoison」でおなじみの、反町隆史の「Poison」である。たぶん我々は、どうしようもない厄介な局面に身を置いたときには、死ぬまでこの歌のことを思い出すんだろうと思う。そう考えると偉大な歌だ。ファルマンとふたりで語り合っているときは、もはや一節を唄ったり「Poison」というタイトルを口に出したりする必要はない。「マジで反町だ」といっている。「反町」=「言いたいことも言えないこんな世の中じゃPoison」なのだ。でも最近は、「マジで反町だ」「反町だねー」のやりとりのあと、「Ah Forever Your Love~」と唄うのが流行りだ。あ、そっちなんだ? というボケ。てっきり新型コロナ対策に対する鬱憤で「Poison」なのかと思ったら、実はビーチボーイズ」のそっちのほうだったんだ、めっちゃ声低いやつだ、という。そこまででワンセット。夫婦の内輪受けの一連の流れ。

 最近突如として始めたのだが、Twitterの勃鬼の短歌で、「オリジナル枕詞」というのをハッシュタグを付けてやっている。あの枕詞という、なんの意味もない、音数を合わすだけの言葉って、思い返すだに、「あってもなくても別にいいけど、俺たちが学ぶ必要はねえだろう」という感じなのだが(まあそんなこといったら文系の勉強のほとんどがそうなってしまうのだけど)、自分で好き勝手にやる分には愉しいのではないかと思った。学年題俳句よりはだいぶ小規模なオリジナル性なのだけど、気軽にできていい。ここ10日ほどの短歌はもっぱらこの趣向でやっている。
 ここまで「乳重の→梅雨」「常濡れの→放課後」「抜きすさぶ→ナイトプール」「夢縫いの→陰嚢」「めめぬめる→女湯」「双子獅子→金玉」「ちんまんの→セックス」「花襞の→プリーツスカート」「爛転ぶ(らんまろぶ)→ビキニ」「べろつばき→フェラチオ」「天を突く→勃起」「てるつよし→亀頭」というのが出ている。すごく愉しい。なにしろ、法則性とか意味とか、特に考える必要がないのだ。雰囲気だけで勝手にやっていいのだ。こんなに楽な短歌技法はない。古典の時代の奴らも、さぞや半笑いで「たらちねのー」とかやっていたんだろうと思う。
 これが100個くらい溜まったら、一覧表でも作ろうと思う。そしてパピロウ期末試験にここ出るからなー。夢縫いの陰嚢だからなー。ちゃんと覚えとけよー。