2020年7月22日水曜日

横浜叔父・再会・重み

 実家にマスクを発送し、「送ったから明日たぶん届くよ」ということを母にLINEで伝えたところ、それに対する謝意とともに、「そういえばおじちゃんが近所に引っ越してきたよ」という報告があり、「ええっ!?」となった。
 母がたまに繰り出す、「それってもらった電話(当世はLINEだが)で伝えること?ギャグ」が、久々に発動した。ちなみに前回は「そういえば犬が死んだよ」である。
 おじちゃんというのは、母の弟である叔父のことで、大学のあった広島で就職し、ずっと独り身のまま、2年ほど前に定年退職をしたのだった。それ以降、年末年始や夏の集いの際には、祖母から事あるごとに「山梨に帰ってくればいいのに」と嘆かれ、しかし母と叔父はやけに山梨のことが好きじゃないので、帰る素振りはまるでなく、僕も叔父といえば広島というイメージしかなかったので、まあ広島でふわふわ仙人のように暮すのが性に合っているんだろう、隣県なのでそのうち家族で家に急襲してやろう、などと思っていた。
 そんな叔父が突如として横浜市民である。実家から車で15分ほどの距離だという。僕の驚愕のリアクションに対し、母は「あれ? お正月のときとかにそういう話してなかったっけ?」ととぼけていた。僕はたしかに実家で話されたことは瞬時に忘れがちなので、そういうどうでもいいやりとりを延々と覚えているファルマンに確認したところ、ファルマンもまた「聞いてないよ!」と衝撃を受けていたので、やっぱり青天の霹靂なのだった。
 しかしまあ、身寄りもない広島で独居老人まっしぐらコースよりかは、(親戚付き合いが特濃の山梨という選択肢はなかっただろうから)叔父にとっての姉や、姉の娘一家がいる横浜のほうが、今後のことを思えばなにかといいのは間違いない。それに、僕もまたそうだからほぼ間違いないこととして、叔父は40年あまり暮した広島という街に、たぶんぜんぜん格別の愛着もなかっただろうと思う。つまり広島でも横浜でも、叔父にとっては関係ないのだ。むしろ重ねないつもりでも自然と重なってしまった40年分の年輪がある広島より、横浜のほうが心地よいとさえ思っているはずだ。
 そんなふうに考えて、聞いた直後は驚愕した内容だったが、すとんと腑に落ちた。広島の叔父というイメージしかこれまでなかったので、そこの認識にはまだ違和感はある。あとやっぱり、それってもらった電話で伝えること? とは思う。

 先日、失業保険を申請してから初めての認定日がやってきて、指定された日取りにハローワークへ行った。なにしろ工場閉鎖で、従業員が一斉に退職となったので、雇用保険の申請をしたタイミングもほぼ一緒ということになり、じゃあ認定日にハロワに行ったら、工場の人たちと顔を合わせたりするかしら、と少し身構えた。別に会いたいわけではないが、なにぶん7月に入ってから、「家族以外の知人との会話」というものを本当に一切していないため、言うても寂しがり屋(かわいい)な一面が顔を覗かせたのだった。それで結果はどうだったかといえば、市という単位は自分が思っているよりもはるかに大きな単位なんだな、ということを痛感した。市内には、自分と同じタイミングで失業保険を申請した、自分の知らない人がこんなにいるのか、と思った。結局だれとも再会しなかった。この体験は2度目だ。初めては成人式のときだ。高校から東京に行ってしまい地元を顧みなかった僕は、成人式に連れ立って行くジモ友がひとりもいなくて、でも会場に行けば誰かしらに会うだろ、と思ってひとりで行ったら、なにぶん横浜アリーナで午前と午後の2部に分けて式を行なう横浜市なので、群衆の中を血眼になって探したのに、僕が知っている(20人くらいの人間は)誰ひとりとして見つからず、出発前に母に「同級生と再会して飲みに行って遅くなるかも」と言っていたのに、めちゃくちゃまっすぐ帰宅したのだった。そのことを思い出した。成長しない。

 エロ小説をベッドの下の引き出しに入れていて、ファルマンは当然ながらそれを忌々しく思っていて、子どももだんだん大きくなってくるのに、もしも引き出しを開けられて中身を見られたらどうすんだ、といい、引き出しの中にずらっと並ぶ背タイトルの上に、わざわざ目隠しの布を掛けたりしているのだが、先日蔵書の整理をして、ほんの少しブックオフに売ったりして、そういう作業をしていて思ったこととして、おそらく許容荷重をはるかに超えた、何百冊かのエロ小説がぎっしり搭載されたこの引き出し、子どもの力で引き出すことは到底不可能だ。僕でさえしっかり腰を据えて引っ張らないと開かない。だからこれは安全だと思う。つまりこれは一種の密室トリックで、重さが鍵になっているというパターン。あるいは小銭を詰めた靴下で殴打する、凶器トリックのほうか。さらにこの重みは僕自身にとってもいい作用があり、引き出しを開けるのがちょっと億劫になることにより、本当に読みたい、必要だ、と思ったときにしかエロ小説を手に取らないで済む。以上の理由により、この大量のエロ小説は、ぜんぜん忌々しくないと思います、裁判長。