2020年7月14日火曜日

MAX・ヒロシ・明け

 無職で時間があるときにやりがちなことランキング第6位の、蔵書の整理をして見切りをつけたものをブックオフに売りに行く、を実行した。と言ってもここ数年はずっと、増えるよりも減るほうが多いような状況なので、そこまで売るものは多くない。紙袋3つ分くらい。1200円。思っていたよりは値段がついた。売ったものの中にはMAXのCDもあり、感慨深かった。当時あんなに好きだったMAXのCDを、とうとう売ってしまう日が来るとは。なんとなくあの頃の自分を裏切ってしまったような罪悪感が胸を刺した。たしかに今の僕にはもうMAXは必要なくなってしまった。だけどMAXがくれた喜び、感動、やるせない気持ちは、これからも僕の中で生き続けるに違いない。あの日々は無駄じゃなかった。あの日々があるから、今がある。ありがとう、MAX。

 先日、柳家喬太郎の高座をテレビで観ていて、喬太郎って誰かに似てるなー、と感じて思いを巡らせた結果、芸人のヒロシとまったく同じ顔だ、と思い至った。本当に似ている。というか同じ顔なのだ。こんなに同じ顔があるかよ、というくらい同じ。一緒に観ていたファルマンに伝えたら、しばらくじっと観たのちに、「ほんとだ!」と驚いていた。
 ところでヒロシといえば、いまは再放送ばかりになってしまっているが、BSで金曜日の夜にやっている「迷宮グルメ異郷の駅前食堂」がとてもおもしろい。毎週録画し、30分の2話構成なので、週末の昼食時に1話ずつ観る、というのが最近のわが家の定番となっている。これがとてもいい。このため子どもたちの中でヒロシは、我々にとってのタモリのような、とてつもなくメジャーなタレントみたいになっている。別に教育方針でもなんでもなく、自分たちが観たい番組がないという理由で、民放の番組が子どもの目に触れる機会が少ないため、子どもたちにとってヒロシの存在ばかりが大きい。テレビタレントのイメージをグラフに表したら、うちの子だけやけにヒロシの占める割合が多い、いびつなものになるだろうと思う。

 梅雨が長い。もう1ヶ月以上、梅雨をしている。いよいようんざりだ。九州などでは災害にもなっているし、早く明けてほしい。明けると言えば、緊急事態宣言の最中あたり、「コロナが明けたら……」みたいな表現をよく目にして、コロナとは明けるものなのか、喪的なものなのか、と思ったりしたが、緊急事態宣言が解除になったあとはあんまりそういう人は見なくなって、じゃあちょっとずつ生活を元通りにしていこうとしていっているこの日々は、コロナが明けたといえるのか、といえばそんなことはもちろんなくて、コロナってまだまだダラダラと長引くようで、だとすればあのとき彼らがいっていた「コロナが明けたら……」は、ただ単に緊急事態宣言の解除のことを指していたのだな、と思った。コロナどうこうというより、活動自粛でしょげてたんだな。
 ところでつい昨日のことなのだが、わが家のインターネットの、NTTから借りているあの機械が、急にウンともスンともいわなくなり、ネットができなくなり、それはファルマンが狂乱しながらセンターに電話をかけて、たった1日で代替機を手に入れて無事に復旧したのだが、引っ越しの際には必ず初日にインターネット回線を繋げることで知られるファルマンにとって、インターネットに繋がらない一夜はありえないものだったようで、ちょっと禁断症状みたいになっていた。そのさまを見て、「アウトドア派の人にとっての外出自粛がそれなんだよ」といったら、バケモノはハッとしていたので、少し他者の気持ちが解ったのかもしれなかった。