2019年12月18日水曜日

遊戯・P線・元年

 先日、ピイガの幼稚園の生活発表会が催され、わざわざ有休を取って見にいった。
 生活発表会とはどんなものかというと、要するにお遊戯会だ。なぜお遊戯会といわないのだろうか。やっぱりあれか、桃色遊戯を連想するからか。しかし発表会の会場のドアには、しっかりと「遊戯室」と記されていた。よく分からない。
 内容は、歌とダンスと劇で、なかなか愉しめた。なぜなら我が子が出ていたからだ。そうでなければもちろんぐだぐだできつい。来賓などといって、保護者でもなんでもない教育関係者みたいなのが紹介され、運動会のときも思ったが、子や孫の出ていないこんなものを見なければいけないのって拷問だろうと思う。僕なら絶対寝る。なぜあいつらは寝ないのか。前日17時間くらい寝てきたんじゃないのか。
 あと園長が嫌な感じだった。僕の教師嫌い、学校嫌いの要素が具現化したような人物で、見たり声を聞いたりするだけで往時の気持ちを思い出し、とてもイライラした。卒園式もこの園長のもとでなされるのが嫌だな、と心の底から思った。その園長が、今回「ワンチーム」という言葉を多用していて、そのことにもとてもうんざりした。これまでラグビーに対して好意的な印象があったから気にしていなかったけど、考えてみたらそれは僕が好きな意味の言葉であるはずがなく、園長のおかげですっかり嫌いな言葉になった。それになにより気づいてしまった。「ワンチーム」って、ただの「チーム一丸」じゃないか。

 「G線上のあなたと私」が終わった。3ヶ月、愉しませてもらった。
 連続ドラマなので当然だが、はじめ婚約破棄されて職も失って、どん底状態だった主人公の波瑠は、話が進むにつれて尻上がりにハッピーになっていき、最後は大勢の仲間に祝福されながら中川大志とくっついて終わった。それはとても幸福なエンディングではあったのだけど、この3ヶ月で別にぜんぜん友達ができたりしていない僕は、なんだか忸怩たる気持ちになった。G線上には中川大志と波瑠がいたわけだけど、P線上には僕以外だれもいないらしい。P線上を動く点Pは、行けども行けども誰もいない、山之辺の過した30億年のような果てしない時空を延々とさまよい続けるのだ。ちなみに「G線上のあなたと私」は、別に友達を作ろうという話ではなく、ラブストーリーなので、これを観て友達ができて羨ましい云々なんて感想を持つ人間は、もうどんな話も素直に愉しめないだろうと思う。

 年賀状の印刷をした。いちど危篤状態になったプリンターは、ファルマンの懸命の看病(クリーニング)によって一命を取り留め、なんとかギリギリのクオリティーで今回の年賀状までは務めを果たすことができたのだった。しかし翌年はいよいよダメだろう。
 あと文面のデザインをしていて思ったが、「令和初の年賀状」ということが、世間的にも言われるわけだが、年賀状的にはそれは「令和2年」なわけで、元号の元年の年賀状というものは絶対に存在しないのだった。今回は生前退位だったのだから、本気で狙えばやれないこともなかったはずだが、しかし元日から新元号というのはやっぱりいろいろ大変か。元年の年賀状を生み出すためだけにするにはリスクが大きすぎる。もっとも、天然で「令和元年」と書いてしまう輩は少なからずいるんだろうと予測する。