2018年10月8日月曜日

太極剣・ひめ・スクールランド

 先日の出先で、「どうやら太極剣の教室をしている人たち」というのを目撃したのである。生徒らしい若い細身の男性ふたりを相手に、講師らしい恰幅のいいジイさんが指導をしていた。生徒のひとりがススス、と模造刀を両手で押し出すのを、講師ジイさんは「そうじゃない」という感じでやり直させていた。声が聞こえる距離ではなかったが、コントくらい判りやすく、太極剣の指導風景だった。こうして思い返してみて、ちょっと疑いの気持ちさえ湧いてくるほどだ。だってあまりにも唐突に、僕の眼前に、ショートコント・「太極剣の教室」が展開されたじゃないか。そんなことってあるかよ、と思う。太極拳でも見ないというのに、それを通り越して太極剣と鉢合わせするなんてことが普通あるだろうか。いや、ない。だとすればあれは、運命の出会いというやつだったのではないか。僕はあの集団に駆け寄って、「僕も仲間に入れてください!」と懇願するべきだったのではないか。「──いま思えばあれが運命の分かれ道でしたね」と、後年述懐される場面だったのではないだろうか。しかしなあ、指導のジイさん、けっこう厳しそうだったんだよな。ジャルジャルのコントの「おまはんかいな」くらい、生徒の刀を押し出す動作をいちいち直させていた。しかも僕の場合、太極剣はトワリングバトンの演舞の一助になればいいな、くらいのモチベーションで齧りたいと思っている程度なので、そんな魂胆を明かせば絶対に怒られると思う。

 姫始めってすごい言葉じゃないか、と唐突に思う。新年最初のセックス、姫始め。これってつまり、妻だったり恋人だったりという、自分の抱く相手のことを姫と称しているわけだろう。だとしたら男尊女卑のイメージが強い日本語にしては、なんだかイタリア的な、色男的な表現ではないかと思ったのだった。しかし語源とかを知ろうと検索してみたら、姫始めは誤用と言うか当て字で、その意味では「秘め始め」という表記が真っ当であるようだ。なるほど、秘め始め。そのまんまだが、たしかにそうである。そして秘め始めが、姫始めになって、それでも意味が通じるあたりに、情趣があると思った。なんなら「姫恥芽」はどうか。さすがにそこまでいくとただ下品だ。

 高校が共学じゃなかったことを僕はこれからも一生後悔して生きていくに違いないのだけど、そんな僕だからこそ思いついたアイディアとして、共学高校をモチーフにしたテーマパークがあればいいのではないかと思った。ディズニーでもなく、映画でもなく、レゴでもなく、ジブリでもなく、共学高校。そこに行けばいつでも共学高校に通っている高校生になれる夢の国、スクールランド。授業、文化祭、体育祭、遠足、合唱コンクール、部活、告白……、パーク内には様々なアトラクションが用意され、当時は叶わなかった体験をやり直すことができる。ちなみに断っておくが、もちろんキャストは全員18歳以上であり、特別コースの料金を支払えば、お気に入りのキャストを指名して、体育倉庫エリアに入ることも可能である。どうしたってこの話は風俗にならざるを得ないのだった。