2018年10月11日木曜日

癖寝相・けんちん・モテ

 癖寝相なんて言葉は聞いたことがないけれど、そういうのが僕にはある。両手の指を組んで頭の下に置く、というものである。そんな、腹筋運動をするときのような、あるいは20分くらい仮眠を取るような恰好で、ひと晩じゅう寝ていることがある。こうなると当然、起きたときには指も肩も痛い。これには朝からものすごくテンションが下がる。
 ファルマンにこのつらさを訴えたら、夜中にファルマンがふと目を覚ましたとき、僕がこのポーズを取っていたら、直してくれるようになった。「今度からそうしてあげるね」「頼むわマジで」というやりとりなど一切なくそれは開始されたので、最初にされたときはとても驚いた。夜中に、妻にいきなり腕を払われるようにして目を覚ますのである(頭が動かされるのでどうしたって目が覚める)。すぐにはその行動の意味が解らず、てっきり妻がキレているのかと思った。なぜ寝ていて妻がキレるのか、という話だが、それはほら、寝言でつい言っちゃったのかもしれないじゃないですか。あんなこととか、こんなこととか……。

 豚汁が食べたいと唐突に思い、ファルマンにリクエストをして、昨日の夕飯にそれが出た。それをひと口すすって、こう思う。
 これは豚汁じゃない。けんちん汁だ。
 豚汁とけんちん汁の違いをそれほど意識して生きてきたわけではなく、「豚汁」と出されたら豚汁と思い、「けんちん汁」と出されたらけんちん汁と思って、だいたい済ませてきたけれど、昨日のそれを口に入れた瞬間に、僕の中で明確な定義ができた。
 口に含んだとき、肉を感じたら豚汁。ごぼうを感じたらけんちん汁。
 強烈なごぼうの風味を口いっぱいに感じながら、そんなことを思った。
 それから改めてネットで検索をかけたら、両者の違いは、いろいろな捉え方があるらしいが、けんちん汁は元が精進料理であり、肉は入らないらしい。昨晩のわが家のそれには、いちおう豚肉が入っていた。だからけんちん汁の定義からは外れるようだが、その肉を感じさせないほどごぼうが強かったので、やはり豚汁と呼ぶには抵抗があった。
 たしか松屋だったと思うが、サービスの味噌汁をけんちん汁や豚汁に変更することができて、その調理工程は、タッパーに一食分のけんちん汁の具材というのが用意されていて、そこに味噌汁を入れて温めたらけんちん汁に、そこへさらに肉を入れたら豚汁に、という仕組みだった。だからなにが言いたいのかと言えば、豚汁の肉の存在感は、必ず野菜を凌駕しなければならないということだ。多分けんちん汁変更は+80円、豚汁変更は100円とかだったと思う。

 読んでいた本に、「女は女の気配がある男に惹かれる」という一節があり、そうなんだよ、そこなんだよ、と深く感じ入るところがあった。
 女っ気がない男というのは、つまり女に見向きもされない、魅力がない男なのだから、惹かれないのは当然で、大勢の女がいいという男が、結局いろいろと優れて、魅力を感じるのは当たり前のことではないか、と思われるかもしれない。それはたしかにそうだ。でもそれだと男女が逆でも一緒の理屈になるはずだが、「男は男の気配がある女に惹かれる」なんて話は聞いたことがない。男は往々にして、まだ誰にも踏み荒らされていない処女雪を切望する。そしてここに悲劇の元凶がある。そもそも子作りの役割分担として、女は吟味してひとりの優れた男を選ぶ必要があり、男はとにかくたくさんの相手と子どもを作ろうとする、という差があって、上記の違いというのもそのまんまここの性質から来ているわけだけど、だから結局、トドやゴリラのハーレムのごとく、モテる男はどこまでもモテて、モテない男はひたすらモテず、そして女は滅多なことがない限り抱かれないことはない。そういうことになる。だとすればこの世で最も哀しい存在は、やはりモテない男だということになる。モテない男への救済というものが、まったく無いように、この世はできているのだ。