2025年8月27日水曜日

MAX・鈴かすてら続報・高所

 自家用車帰省では、昨年からの恒例として、4人それぞれが10曲ずつを拠出したプレイリストを作り、それをずっと流し続けていた。ひとつひとつの曲の長さは当然まちまちなのだが、40曲が入ったプレイリストは、なぜか不思議なほどに、どれも2時間10分くらいになるので、前回は勝手が分らず12個作ったが、今年は10個にし、そして見事にプレイリスト10の半分くらいのところで自宅に帰り着いたのだった。
 曲数以外のルールはなかったが、僕個人として、せっかくなので去年とはまったく違う100曲にしようと考え、選び出すのになかなか苦労した。去年もだったが、最後のほうに選んだ曲などは、思い入れなど一切なく、一部を聴いて「いいんじゃねーの?」くらいの感じで入れているので、いざ運転中にその曲が掛かると、「誰?」「誰の曲?」「誰セレクト?」と車内で戸惑いの声が上がり、自信満々に「俺じゃない」と答えるが、確認すると実は俺だった、みたいなことになるのだった。
 100曲のうちにMAXの楽曲をひとつだけ含ませ、しかもそれをプレイリスト10に入れて、家の駐車場に停めるときに流れている最後の最後の1曲がMAXになったら最高だなあと思っていたのだけど、そうはならなかった(実際が何であったか、もう記憶にない)。それにしてもプレイリスト10だって半分ほどは流れたのに、そこに登場しないMAXはさすがだな、とMAXのポテンシャルに感心した。そうだよな、こういうとき流れないのがMAX、流れないからこそのMAXだよな、と。
 しかしそのままというのもさすがに忍びないと思い、休み明けの通勤時に、ひとりでプレイリスト10の続きを聴くことにした。流れるさまざまな曲。しかしMAXは登場しない。なぜだ、なぜこんなにもMAXは流れないのだ、と不思議に思い、改めて確認したところ、信じられない事実が判明した。
 MAXの曲なんて、ひとつも入れてなかったのである。
 なんの思い入れもない曲だってけっこうあったのに、それなのにMAXは入れていなかった。入れた気になっただけで、深層心理が断固拒否したのか、実際には入れていなかったのだ。この現象を目の当たりにして、やっぱり思った。さすがMAX、と。

 トップバリューの鈴かすてらを喪失し、パピロウがどうしているのか、みんな気を揉んでいると思う。鈴かすてらってほら、パピロウの身体の8%くらいはそれで出来ているわけだから、それが欠けると、致命傷とまではいかないが、だいぶ身をえぐられてる感が出てくる。だからみんな心配していると思う。夏の帰省を挟んだことで報告が遅くなってしまい、不安が募り、せっかくの夏休みに影を落としてしまった向きもあるかもしれない。その人たちには、申し訳ないという気持ちとともに、両手いっぱいの「ありがとう」を捧げたい。
 さてそれでようやくのご報告なのだが、いまはどうしているのかと言うと、無印良品の「豆乳とおからの鈴カステラ」に落ち着いている。
 トップバリューが斃れたとき、実は心はもう定まっていたのだ。これはもう、無印良品しかないだろうな、と。そこに回帰するしか残された道はないな、と。
 そうなのだ。回帰なのだ。都会で暮らしていた頃、身近にトップバリュー商品などなかった。なので池袋の書店員時代は、PARCOの無印良品で買った鈴カステラをひたすら食べていた。だから味に関してはいちおうの保証があった。このたび久しぶりに食べてみたところ、やっぱり大丈夫だった。豆乳とおからなんか使うなよ、牛乳と小麦粉だけで作れよ、とは思うものの、ぜんぜんおいしいので許せる。
 ちなみに内容量は72gで、お値段120円。しかし120円のお菓子シリーズを3つ買うと300円になるということで、実質は100円だ。内容量は、前までは95gだったのが、実質値上げで72gに変更になったようで、たしかにこれまでの100g入りのトップバリューのものに較べると、だいぶ頼りない量だ。でも内容量を減らしてでも、同じものを売り続けてくれることが尊い。僕はトップバリューにもそれを望んでいた。
 トップバリューの買いだめしたものがなくなりそうなタイミングで、まず6袋買い、先日それがなくなりかけたので、次は9袋買った。無印良品はゆめタウンにしかないので、行くたびに賞味期限との兼ね合いを考慮しつつ、なるべく目一杯買うという、当分はこのスタイルで生き延びようと思う。鈴かすてらボートピープルの暮しは厳しい。

 車での帰省は、途中で寄りたいところにも寄れるし、家族水入らずだしで、概ね快適なのだけど、ただひとつ困るのが、高架が怖い、という点だ。
 前までさすがにそんなことなかったと思うのだが、どうも僕の高所恐怖症は悪化しているようで、海の上を走る中京工業地帯らへんとか、あるいは道中に無数にある、山と山を繋ぐ架橋など、それらの道を走っていると、にわかに動悸が激しくなり、手にじわっと汗が滲んできて、ハンドルが掴みづらくなるのだった。
 全行程が中空である空路に較べればぜんぜんマシなのだが(もはや現在の僕が飛行機に乗ったらどんなことになるのか、想像もつかない)、それでも自家用車帰省の懸念材料になるくらい、恐怖感は強い。でも、飛行機もダメ、車もダメとなって、じゃあ鉄路か、と言えばあれもあれでスピードが速すぎて怖く(飛行機のほうが速度は速いが、飛行機はそういう次元の問題じゃない)、もう僕は大きな移動ができない生きものになってしまったのかもしれない。横浜のアップダウンの道を走って車酔いした娘たちを、なんとか弱い生きものだろうかと思ったが、僕も大概だ。我々はちっちゃなほわほわ家族なのかもしれない。
 今後あまりに悪化するようなら、心療内科とかに行かなければいけないかもしれない。

2025年8月1日金曜日

生きているだけで・奇特・純粋理性批判

 ここ数日、スーパーに行ってもあまり食材を買う気が起きず、店内をさんざん巡った挙句、スポーツドリンクと食パンしかカゴに入ってない、なんてことが何度かあった。こんなことは今まで経験がなく、どうしてだろうと思案した末に、そうか、俺はいま、暑さで食欲が減退しているのだな、と思い至ったのだった。今年の、この10日間ほどは、なんだか本当に暑くて、そのくらい参っている。創作も筋トレもすべて諦め、ただ精いっぱい生きている。そのため晩ごはんの献立を考えるのも非常に苦労している。ひとりだったら毎晩、なんかしら魚を唐揚げにしてレモンをかけたもので酒を飲み、そのあと少しだけ冷たい麺を啜って終わらせていると思う。でも子どもがいるのでそうもいかず、苦労して捻り出している。盆の休みあたりを境に、いくらかフェーズが変わることを切に願っている。こんな状況で思い出すのは、去年のやす子とフワちゃんのことだ。「生きているだけで偉いのでみんな優勝でーす」と言ったやす子に、フワちゃんは「お前は偉くないので予選敗退でーす」と言ったのだった(本当はもっとひどいフレーズも含む)。夏、生きるのに精いっぱいになるたびに、僕はこのことを思い出すのだろうと思う。

 夏休みということで、ぼちぼちファルマンの上の妹一家が実家へとやってきて、そして盆の休みに義妹の夫もこちらまで来て、家族を回収して兵庫に戻るという、いつものパターンが繰り広げられるようなのだが、仕事が忙しく、今年の夏は休みが短いという義妹の夫は、しかしそれでも島根まで来た折り、彼にとっての実家の面々とともに広島に野球を観に行くのだそうで、それを聞いた瞬間、なんて奇特な奴だろう、なにが愉しくてこんな真夏にわざわざ広島まで野球を観に行くというのか、と本気で不可解に思ったのだけど、たぶん義妹の夫に言わせれば、もとい世間的な評価で言えば、趣味と言ったらもっぱらオリジナル水着作りという人間のほうが、よっぽど奇特であろうと思った。いい趣味なんだけどなあ。プロ野球って、休みの日の試合なんかは、平均すると3、4万人くらいは客が入るのだろうか。だとすれば6試合で20万人あまりが野球観戦をするし、なんならテレビ観戦の人も含めれば圧倒的な数ということになる。その裾野の人数がそれぞれオリジナルの水着を作ったら、すさまじいものが出来上がるだろうになあ、と思う。

 「パピロウせっ記」で企画の立ち上げを告知した、神楽陽子による二次元ドリーム文庫全作品の感想文投稿を、はじめはそのまま「パピロウせっ記」でやろうかとも思っていたのだが、なんとなく思い立ち、専用のブログを創設した。
 タイトルは「CRITIQUE OF PURE REASON」で、これはなにかと言えば、カントの「純粋理性批判」(ドイツ語による原題は「Kritik der reinen Vernunft」)の英語版タイトルである。かつて、「二次元ドリーム文庫」とブログに記すのはなんとなく気が引けて(いまも大概だが、昔の僕はいまよりももっと純潔だったので、「二次元ドリーム文庫」や「美少女文庫」といった言葉を並べるのは、アクセス数稼ぎのようで不純であると考えていたのだ)、前者を「純粋理性批判」、後者を「社会契約論」と呼んでいたのである(しかしいま考えてみると、そちらの哲学書のほうがよほどアクセス数稼ぎになるのではないかと思う)。そのいきさつから、このタイトルとなった。タイトルを見た瞬間に意図がピンと来た人は、相当なインテリかつ、熱心な僕のファンだろう。つまりこの世にひとりもいないことだろう。じゃあよかった。ひとりぼっちよりも、ひとりもいないほうが、つらい思いが少ないものね。
 「CRITIQUE OF PURE REASON」、せっかくブログとして始動させたからには、神楽陽子作品の感想文だけではなく、二次元ドリーム文庫にまつわる他の試みも展開していきたいと思っている。パピロウのブログでいまいちばん盛り上がってるのがここだ。20年間ひとりぼっちのダンスホールで、僕はいまこのエリアでステップを踏んでいる。